ちょっとした殺人事件

 <勇者協会西方支部>の支部長としての私の務めは、みんなの仕事を見守ること、ただそれだけだ。いつもとやってることが変わらない。


 <ゼータ>のみんなはそれでも優れたパフォーマンスを発揮してくれるけれど、この支部の人たちが私たちに抱く感情は憎しみか恐怖のほぼ二択で、これでいい仕事をしてくれるとは思えない。


 とりあえず、私がこの支部でもっとも頼りにしている、副支部長となったファースさんのいる庶務課に行ってみた。



 果たして、彼は死んでいた。



 いや、死んでいたは言い過ぎだ。狭いオフィスのホビット用の小さな机に、以前の倍はある書類の山に埋もれて、精魂尽き果てたように彼は突っ伏していた。


 一方、向かいには同じ量の仕事を黙々と片付けるアイーダさんの姿があった。端正な顔には疲労の色など微塵も見えない。彼女のハートは鉄でできているんだろうか。


「ファースさん!! 大丈夫ですか!?」


「……は……おはよ……ざいます」


「ど、どうしたんですか、これ! ちゃんと寝ました?」


「いえ……副支部長になってから、仕事量が増えてしまいまして……徹夜でも終わらず……」


「だめですよ、そんなに無理しちゃ!! もっと、他の人に任せるとか――」


「急造のホビット上司なんて、誰も言うこと聞いちゃくれませんって……」


 ファースさんにある程度権限があれば、仕事量もいい具合に分配されるんじゃないかと期待したけど……結果は逆で、結局2人が全部背負い込むことになってしまったらしい。


「ファースさんが無理なのであれば、何割か私が引き受けます」


 アイーダさんだって大変だろうに平然とそんな提案をするものだから、私もびっくりしてしまう。


「いやいや、お2人とも休んでくださいよ! アイーダさんもお疲れでしょう?」


 本当に疲れているかどうか顔からは伺えない彼女だが、少し黙ってデスクにびっしり広げられたメモを1枚じっと見ると、「なるほど」と呟いた。


「では、本日は終業とします」


「ふぇ?」


 アイーダさんはぴしゃりと言い放つと、ぼんやりしているファースさんをよそにさっさと片付けを始める。


「は、あの、アイーダさん。まだ全然終わって――」


「支部長が引き継いでくださるということではないのですか?」


「私ですか?」


 改めて、2人の前にある紙の山を見る。私が1人でこれ全部処理できるなんて、前の仕事ぶりを見ていたアイーダさんが考えるわけない……よね?


 一通り机上を整頓したアイーダさんは、力尽きて顔面を机に押し付けたまま動かなくなってしまったファースさんの小柄を持ち上げる。


「引継ぎ内容はそちらのメモをご確認ください。失礼します」



 徹夜で働いていた2人を引き止めるわけにもいかず、残された私は1人膨大な書類の束をぼーっと見つめていた。


 アイーダさんは私の仲間たちを当てにして続きを任せたのかもしれない。

 だけど、みんなもこういう事務作業なんてほとんどしたことがないだろうし、とりあえずアイーダさんが残してくれたメモを見てみる。


 小さな正方形の紙片は細々した文字で埋め尽くされ、私はさっそく貧血を起こしそうになる。いったいどれが何なのやら……とあれこれ探していると、1枚のメモが目に留まった。


『エステル・マスターズ。本部から出向の勇者パーティ<ゼータ>のリーダー。紫がかった赤い髪、サイドテール。10代の少女。新しい支部長』


 へぇ、私のことわざわざ書き留めてくれてるなんて。本当にマメな人だなぁ。

 また別の紙にはファースさんやソルヴェイさんのことが書いてあった。狐さんに至っては『生活力に難あり。ファースさんに一任』なんて補足もあって、クスッと笑ってしまった。


 しかし、そんな和やかな気持ちは、別のあるメモを見た瞬間に吹き飛んでしまった。



『アイーダ・デサンティス。自分の名前。勇者協会西方支部庶務課所属。職務内容の詳細は青いファイルを参照のこと』



 何、これ……。なんでアイーダさんは、自分の名前や立場までメモしてるんだろう。


 不思議に思って気を取られていたせいか、部屋に人が入っていたことに気づいていなかったらしい。


「んー……おお?」


「ひゃあっ!!」


 気の抜けた声ではあったが、それでも私はびっくりして叫んでしまった。

 その声の主――ソルヴェイさんは、私1人だけになった部屋を見て、首をかしげながら頭を掻いている。


「えっと……ファースさんとアイーダさんは、お疲れのようだったので休んでもらってます」


「あー……」


 のっそりと踵を返すソルヴェイさんを「すみません」と引き止める。


「あの、これ、任されちゃったんですけど……ソルヴェイさん、わかります?」


 これまたのんびりした動作で、デスクに積まれた書類の束を適当にぺらぺらめくる。


「……わかんねぇ」


「ですよねー。……あ、それと……ソルヴェイさんって、アイーダさんのこと何か――」


 ここに勤めて長いという彼女に、さっき見たメモのことを聞いてみようと思ったが――私の声は、ドタドタ走ってくる音と慌てたような大声にかき消されてしまった。



「旦那ァァ―――ッ!! 大変だああぁぁ……あ?」



 大急ぎで駆け込んできた狐さんは、ファースさんの姿がないことで声も勢いも尻すぼみになっていった。


「ファースさんはお休みしてもらいました」


「なんだ……。まあいいや、可愛い新支部長様に、実は美人な技術屋の姉ちゃん。ウン、悪くねぇ! これから俺とちょいとメシでも行かない? そうだ、お嬢ちゃんはここに来たばっかだもんな。俺が街を案内してやるぜ。どう?」


「いや、ちょっと待ってください。今、狐さん『大変だ』って……何かあったんですか?」


「大したことじゃないって。ちょっと、ほら、殺し」


「こっ!?」


「怖がらなくていいんだぜ~、お嬢ちゃん。殺しなんてここじゃ珍しくない。ただ、死んだのが例のギャングの……ちょっとした大物ってことくらいでさ」


 私は無意識に狐さんの手を取っていた。


「その話!! 詳しく聞かせてください!!」


「ひょうっ!? おいおいお嬢ちゃん、意外と大胆な――」


「来てください、みんなも呼びますから!」


「え!? あのヤベェ連中は勘弁――うおい、待って!!」


 私は部屋の中をぼーっと見回していたソルヴェイさんを残し、狐さんの手を強引に掴んで出て行った。



  ◇



 さっきの調子の良さはどこへやら、会議室で私たちに囲まれている狐さんは、取り調べを受けているみたいにしゅんと縮こまってしまっている。


「殺されたのは、その……古株っていうか。古参の幹部で、それなりに人望のあった奴でよ。殺ったほうはそいつの弟で、なんでそんなことしたか誰もわからねぇんだ」


「その弟というのが、不可解な証言をしていた。違うか?」


 スレインさんの指摘に、狐さんは耳をぴくりと動かす。


「なんだぁ、知ってんのかい? 兄さん……あれ? 違うな、におい的に……え、女の子?」


「それは今はいい。もっと詳しいことを教えてくれ」


 狐さんは1つ咳払いをすると、なぜかさっきよりも気取ったような声で続ける。


「弟のほうは珍しくカタギの仕事やっててな。真面目で兄弟仲も良かったはずなんだが――『兄貴が娘を殺した』とかなんとか。だが妙なことに、そいつには娘なんていなかったのさ」


 私たちは押し黙ってしまう。これも、ヨアシュの魔術の仕業なんだろうか……。


「ヤクでもやってたんじゃねぇかって噂だが、ブチギレたギャングの下っ端にそっちも殺されちまって、真相は闇の中。あんたらも気をつけたほうがいいぜ。なんだったらご婦人方、この狐様がボディガードになって差し上げても――」


 そんな軽口を遮ったのは、ロゼールさんだった。


「そういえば、ギャングのボスさんも似たような殺され方をしたらしいわね。あなた、知ってるでしょう?」


 さっきまでへらへら笑っていた狐さんは急に表情を強張らせ、恐怖のせいか全身の毛を逆立てた。


「えっ……ボ、ボ、ボス? ななな、なんのことだぁ? こ、殺されたの? その怖そうなお方……」


「とぼけても無駄よ。ボスっていうのも、実はもう1人いるとか――」


 ロゼールさんの圧に耐えきれなかったのか、狐さんはガタッと椅子を倒しながら飛び上がり、祈るように膝をついて手を合わせながら弁解した。


「かっ、勘弁してくれぇ!! そ、そ、そんなヤベェ話しちまったら、次は俺が殺されちまうぅッ!!」


 その怯え様はファースさんが支部長になるのを断ったときと似ていて、本当にこの街ではわずかな油断が危険に繋がるんだな、と私も理解した。


「わかりました。じゃあ、とりあえず今回の事件のことだけを調べましょう。狐さんも手伝ってくれますよね?」


 私の提案に、狐さんはきょとんと顔を上げる。


「え? なんで俺も?」


「さっき言ってくれたじゃないですか、街を案内するって」


 彼は思いっきり後悔しているように両手で頭を抱えたが、私は見なかったことにした。

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