いざ危険の地へ

「もう我慢ならねぇ!! 俺は上の連中に文句言いに行ってやる!! 止めるなよ、オーランド!!」


「よせ。お前が行ったところで何も変わらん」


「あぁ!? お前は何とも思わないのかよ!! エステルちゃんがあんなヤベーところに送られちまうんだぞ!! それともなんだ、上の奴らが怖いのか? え!?」


「俺だって思うところはある。だが、問題起こして俺のクビが飛んでみろ、誰が<ゼータ>の面倒を見る?」


「だからって黙ってるのかよ!」


「あのぅ……」


 オフィスのど真ん中で言い合いをしているドナート課長とレミーさんに声をかけるのは非常に気まずかったが、私のことで喧嘩してほしくなかったので、勇気を出して声を絞り出した。


 2人はこちらに気づいて振り向いてくれたが、すぐにレミーさんが私の両肩をがしっと掴む。


「エステルちゃんッ!! 何も西方支部なんて地獄に行く必要はないんだぜ!? 俺が抗議しに行ってやる!!」


「あ、いや……」


「そうだな。俺からも白紙にできないか掛け合ってみる」


「なんだよオーランド、エステルちゃんの顔見たら気が変わったのか?」


「抗議には反対だっただけだ」


「よーし! 2人で上層部をギャフンと言わせて――」


「待ってくださいよっ!」


 ドナート課長は冷静に、無駄にヒートアップしていたレミーさんは気勢をそがれたようにきょとん顔でまた振り返る。


「あの、そこまでしていただかなくても……私、あっちでも頑張るので」


 しばらく硬直していたレミーさんだが、やがて大げさにおでこをバシッと手のひらで叩いた。


「ああ、なんて天使なんだエステルちゃん!! でもなぁ、西方支部はマジで終わってんだよ……。まず街が終わってる。犯罪者じゃねぇ奴を探すほうが大変だ。だもんだから、向こうの連中は勇者っつってもただのゴロツキ同然! エステルちゃんみたいな子、何されちまうか……」


「そうだとしても、みんなが守ってくれるから大丈夫ですよ」


「確かにあの連中は強ぇけどな……。そもそも、この出向自体が体のいい厄介払いなんだよ。上は<ゼータ>が気に食わねぇからこんなことしてんだ。連中の言うこと聞く必要はねぇ!!」


「でも、向こうの人たちが本当に困ってるなら、私行きますよ。困ってなかったら、それはそれで誰も不幸にならないじゃないですか」


「……おお、神よ」


 レミーさんは脱力したようにへなへなと座り込んでしまった。


「や、あの、心配してくださるのは嬉しいんですよ? ありがとうございます。だけど、本当に私たちの力が必要なのかもしれないし。会長だって、全然悪そうな人じゃなかったですよ」


 そう喋りながら、あのいかにも普通のおじさんといった風貌のウェッバー会長を思い浮かべる。


「……こりゃあ、ダメだ。俺じゃ止めらんねぇ。エステルちゃんが眩しすぎて眼球が破裂しそうだ」


「そのまま潰れてしまえ」


「オーランド君、ひどぉい!」


 課長に辛辣な言葉を浴びせられて、レミーさんは床に座り込んだまま身をくねらせている。


「それよりも、私じゃ力不足かもしれないっていうほうが心配なんですけど……課長、どう思います?」


 そう話を振ると、中指で押し上げられた眼鏡のレンズが一瞬白みを帯びた。


「……俺もどちらかといえば出向には反対だが、それを抜きにして言えば――君なら十分、やれるだろう」


「よかった!」


 課長からのお墨付きを貰って、単純な私は気分が明るくなる。さっきまでバチバチ火花を散らしていた2人も、すっかり穏やかな顔つきに戻ってくれた。


「君がそんなに乗り気なら、止めはしない。これを持っていけ」


 そう言って課長が渡してくれたのは、手のひらサイズの丸い水晶だった。


「本部との連絡用<伝水晶>だ。基本的に俺が取り次ぐ」


「わかりました」


「ああ、エステルちゃんの顔見れねぇってなると寂しいなぁ……」


「私も寂しいですよ。ちょくちょく連絡入れますね」


 そう私が微笑んでみせると、どういう意図かはよくわからないが、レミーさんはしみじみと「天使……」と呟いた。



  ◇



 出立のとき、本部のすぐ外では大勢の人が私たちを見送りに来てくれていた。


 そこにはトマスさんたちの姿もあって、ノエリアさんが大騒ぎしたりと賑やかだったが、退院したはずのロキさんはいなかった。トマスさんは「君たちが行く街のことでも調べてるんじゃないか」と推測していて、私も納得した。


 レオニードさんたちはヤーラ君を励ましに来てくれたみたいだけど、逆に脱いだ服はすぐ洗濯してちゃんと畳むとか、洗い物を溜めるなとか、そういう注意をくどくど受ける羽目になっていた。帰ったときに家がひどいことになっていないよう、私も心の中でお祈りした。



 そんな温かい歓送を受けた私たちは一転、馬車に揺られながらピリッとした空気の中で顔を突き合わせている。


「まず……エステルは絶対に1人で街を歩くな。常に誰かと一緒に行動してくれ」


 スレインさんの忠告に他のみんなもウンウンと賛同し、私も深く頷いた。


「因縁ふっかけてくるクソがいたら、全員俺がぶん殴ってやる」


「いやだわ、野蛮人は。エステルちゃんはずーっと私といればいいのよ。ねえ?」


「あ? テメェはすっこんでろよ、ババア」


「だってあなた……寝てるときまで一緒にいるつもり?」


 向こうでは私たちは支部の建物の一部を借りて、そこで寝泊りすることになっている。もちろん男女は別だ。

 そのことを思い出したらしいゼクさんは気まずそうに黙ってしまい、ロゼールさんはクスクスと笑っている。


「そうだな、宿舎では私とロゼールがおもに警戒に当たる。隠れて怪しい動きをしている奴がいたら……マリオ、君に任せていいか」


「いいよー」


「なるべく殺しはなしで頼む。独断で行動せず、まずは我々に知らせてほしい」


「うん。気をつけるねー」


 なんとも気のない返事だが、マリオさんなら大丈夫だろうとわかっているので、私もスレインさんも特に何も言わない。



「……そういえば、ラムラさんから聞いたんですけど」


 ヤーラ君が不安そうに切り出して、私たちは一斉にそちらを向いた。


「今から行く街には、<ウェスタン・ギャング>っていう大規模な犯罪組織があって……実質その人たちが街を支配してるらしいですよ。協会の支部長も、お金を払って従ってるとか……」


「……」


 驚きというか、呆れというか、厄介というか……とにかくそんな感情が私たちの口を閉ざし、しばし沈黙が流れた。


「どうしてラムラはそのことを知ってるのかな?」


「ご実家が商会で、よくあっちのほうに商売に行くんだそうです」


 マリオさんのもっともな質問に、ヤーラ君ももっともな回答をする。そこでゼクさんが呟くように言った。


「……前々から謎だったんだがよ、なんでそんないいとこの嬢ちゃんが、レオニードやゲンナジーみてぇなチンピラとつるんでんだ?」


「僕も不思議なんですけど……なんというか、聞きづらい雰囲気があって」


 確かに、ラムラさんって謎が多い人かもしれない。


 それでも、商会の人が普通に商売できるのなら、それほど危険な街じゃないのかも……なんて、やっぱり考えが甘いのかなぁ。



  ◆



 帝都の大通りから少し離れた道のど真ん中に、大荷物を抱えた大男と褐色肌の美女が並んで歩く。


「ヤーラの奴、なんつってたっけ? 3日に1回服を畳め、だったかぁ?」


「拭き掃除をしろ、じゃなかった? 帰って来たときにどやされないようにね~」


 そうかぁ、とゲンナジーは頭を掻こうとして、両手が食品や雑貨の入った紙袋で塞がっていることに気づく。大半がラムラの荷物なのだが、頭の鈍い彼はすでにそのことを忘れ、律儀に運び役を真っ当している。

 そんな彼に対する罪悪感など皆無なラムラは、悠々と煙草を燻らせていた。


「あれぇ? ラムラ、いつもよりでっけぇ煙草吸ってんなぁ」


「うちの新商品。試用品ってことでタダで貰っちゃった」


「いいなぁ、オレもタダで酒とか欲しいぜぇ」


 ラムラはクスクス笑いながら、まだ短くなりきっていない煙草をピンと指で弾き飛ばし、煉瓦造りの道路にポトリと落とす。


「あ、ポイ捨て」


「味が気に入らなくて。『道端に煙草を捨ててはいけない』なんて戒律はないから、大丈夫よ~」


 まだオレンジ色に灯っているそれを残して、2人の談笑は遠ざかっていく。



 入れ違いに、どこからともなく現れた人影が、そのゴミをきちんと火を消してから拾い上げる。

 外側に巻き付いた紙を剥がして広げると、そこには細々とした文字がびっしり書かれていた。


 その文章にじっくり目を通した人影――ロキは、読み終えてすぐに紙をビリビリに破き、川に散らした。いつものニヤケ顔に、溜息を交える。



「『最果ての街』……ヤバイのは知ってたけど、もっとヤバイことになってるとはね~。さーて、どうやってあの子に知らせようかな……」

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