第三部

#17 最果ての街

ホビット職員の憂鬱

 ホビットというのはつくづく損な種族だ、とファース・ヘイマンスは常々思っていた。


 寿命は長いがエルフほどではなく、手先は器用だがドワーフほどではなく、頭は悪くはないがヒト族ほどではない。獣人族のように力が強いわけでもない。

 唯一の目立った特徴は「背が小さいこと」だけだ。女の子なら可愛く見られてお得かもしれないが、生憎ファースは丸眼鏡をかけた地味な風貌の男だった。


 そんな器用貧乏なホビットに、故郷を追い出されて流れ着いた「最果ての街」での仕事などそう多くはなく、彼は現在<勇者協会西方支部>で職員という名の雑用をしている。



 勤めて日の浅いファースがまず思ったのは、「仕事量が尋常でなく多い」だった。


 ホビット用に低く小さく作られた机には、彼の何倍の高さにもなる書類が積み上げられている。それらは捌けども捌けども減っていくことはない。


 よくよく精査してみると、おそらく他の職員や勇者が担当すべきであろうものまでこちらに回されていることに気づいた。


 まず上に掛け合ってみたが、鼻で笑われて終了だった。この支部の管理職クラスが仕事をしている場面を、ファースは見たことがない。

 次に勇者たちに会いに行ったが、この街の勇者は完全にゴロツキと同じ人種であり、小さいホビットなどただの憂さ晴らしの道具である。ぶん殴られる前に、そそくさと帰った。



 アホみたいな仕事量の原因その2は、職員の少なさである。人数はいるはずなのだが、まともに仕事をしている人間はおそらく片手で数えられるくらいしかいない。


 ファースの所属する庶務課は、いつも2人しかいない。彼と、アイーダという女性職員である。


 つややかな長いブロンドヘアを丸め上げた、きりりとした目つきの美人だが、冷然とした瞳は一心に紙上の文字列に注がれていて、細い指に握られたペンは休むことなく紙面を走り、近寄りがたいオーラを発している。

 デスクに余すところなく敷き詰められた細かいメモ用紙も、彼女の几帳面な性格をよく表している。


 この街は亜人が比較的多いとはいえ、ヒト族が支配層であることに変わりはない。アイーダほどの美貌と若さならば引く手あまたであろうに違いないが、なぜここでファースと同じく雑務を任されているかはわからない。


 同僚ではあるが、口数の少ない無表情の仕事人間と親しくなれるほどファースに社交性はなかった。ただその淡々とした働きぶりに、心の中で「鉄人」というあだ名を勝手につけていた。



「ファースさん」


「はい!?」


 冷たい鉄のような声に、小さな身体がびくっと跳ね上がる。アイーダは構わず眼鏡の尖った縁を軽く上げる。


「これを、ソルヴェイさんに」


 必要最低限の言葉とともに、小さな紙がファースに手渡される。それは薬品の発注書のようなものだった。


「……ソルヴェイさん、というのは?」


「この支部の専門職の方です」


 ああ、と納得したファースはソルヴェイの居場所を聞き、「会話ができる人だといいなぁ」と低次元な期待を胸にそこへ向かった。


 結果的に、その期待が叶うことはなかった。



  ◆



「ん~……わかんねぇ」


 実験室なのか工房なのか私室なのかよくわからないごちゃごちゃした部屋に、彼女はいた。


 エルフらしい眉目秀麗な顔立ちが台無しになるほどの、適当に結わえられたボサボサの髪とヨレヨレの白衣。死んだ魚のようなやる気のない目は、ファースの持ってきた発注書をほんの一瞬だけ捉えて、あとは虚空に流された。


「いや、あのですね……ここに書かれている薬を、指定された個数分用意していただきたいんですよ」


「あ~、それはわかるけど……わかんねぇ」


 一番わけがわからないのはあなたですよ、と言いたくなるのをファースは堪える。


 その後も二三言葉を交わしたが、ソルヴェイはすべて「わかんねぇ」の一点張りで、ファースは泣きたくなった。



「とりあえず、ここで待つ?」


「はい?」


 初めての「わかんねぇ」以外の言葉に、ファースはただ目を丸める。

 ソルヴェイはだるそうに身を屈めて床に手をつき、その部分の形質を変化させて小さな立方体の塊を生み出した。ホビット用の椅子らしい。

 そこに腰掛けたファースは、彼女が錬金術師であることを了解する。


「待つって、どれくらいです?」


「わかんねぇ」


 そのまま部屋の奥に消えてしまったソルヴェイをぼんやりと見送りつつ、ファースは何度目かわからない溜息をつく。よく見れば発注書は散らかった机の上に放っておかれている。彼女はいったい何をしに行ったのか……。


 どれだけ待たされるかわからないし、せっかくだからのんびり待とう、とファースは煙草をくわえた。愛煙家の多いホビットであるが、彼も例に漏れず煙草を嗜み、最近は仕事の疲れもあってその頻度は増していた。


 火をつけようとしたところで、ソルヴェイが箱を持って戻ってきた。


「随分早いですね。この箱はなんです?」


「わかんねぇ」


 質問した自分が馬鹿だった、とファースは反省しながら煙草をしまい込み、箱の中を検める。

 そこには薬液の詰まった瓶が、ぎっしり均等に並べられていた。


「……もしかして、注文の品ですか? なんだ、すでにご用意があったなら言ってくれれば――」


「いやぁ、今作った」


「へ!?」


 ソルヴェイの言うことが本当なら、あの短時間でこの量を拵えたということだ。発注書などろくに見ていなかったようだが、数も内容も相違はなく、素人目に見ても高品質だった。「どうやって?」と聞きたかったが、いつもの文句が帰ってくるにちがいないので、黙っていた。


 しかしホビットの小柄な身体でどうやってこの荷物を運んだものか、と思案していると、ソルヴェイは積み上げられたガラクタの中から手提げサイズの袋をぴっと抜き取る。


 どう見ても大きさが釣り合わないその袋を箱に被せると――何が起こったか、質量など完全無視して大きな直方体の物体がその中に消えていった。


「ほい」


 ソルヴェイは携帯しやすくなったそれをファースに差し出す。


「い、いや!! 何です、それ? 魔道具? 勇者協会って、こういうのも支給されるんですか!」


「あー……これはあたしが作った」


「え? つまり、ソルヴェイさんは錬金術師で、魔道具職人でもあるってことですか?」


「わかんねぇ」


「……」


 ――ああ、この人は常人には理解できないタイプの天才なんだ……。


 ファースはソルヴェイをそう認識したので、ちらっと本棚に治癒魔術や医学工学の書籍などが見えても、もはや驚きはしない。



 あまりにも用事が早く済んでしまったため、ファースは今度こそ一服つけようとこっそりと外に出た。


 この街に来て早々荷物を全部盗まれてしまった苦い記憶から、袋の魔道具をしっかりだぼだぼの服の中にしまいこんでいる。

 やっと一息つける、とマッチを擦ろうとしたところで、またその手を止めなければならなかった。



 人間が転がっている。



 うつぶせに倒れているそれは、身体中生傷だらけで、どう見ても無事ではなかった。

 金髪に犬のような耳、狐のような白いふさふさの尻尾がげんなりと垂れていて、獣人の男であるらしいことはわかる。身体能力の高い彼らがボロボロにされるなど、尋常な状況ではない。


 ファースは周りに彼をあんな状態にした人間がいないことを確認して、急いで駆け寄った。



  ◆



 こんな奴助けるんじゃなかった、とファースは後悔の真っただ中にいる。


 金髪の若い獣人は「狐」という名で通っている街のアウトローだった。丸いサングラスを伊達に決め、酒と女とギャンブルが好きで時折喧嘩もする、この街には珍しくない人種だ。


 狐に使ってやったソルヴェイ製の薬は信じられないほど効き目がよく、白い体毛がほんのりピンクに染まっている以外に傷らしい傷はもう見えなくなっている。


 他のゴロツキに因縁をつけられてスカンピンにされて家も追い出され、袋叩きにまでされてあそこに転がっていた、と彼は説明した。

 放っておくのも可哀想なので協会で面倒を見よう、とファースが言い出したのは、ついでに彼に仕事を手伝わせて働き手になってもらおうという打算もあったのだが……。



「助かったっす、ファースの旦那。あんたァ命の恩人だ! 俺にできることがあったらなんでも言ってくださいよ!」


 意気込みだけは立派な狐は、どこからかっぱらってきたのかわからないソーセージをむしゃむしゃと口に突っ込んでいる。

 彼の辞書に遠慮という言葉はないらしく、建物内の備蓄食料をもりもりと消費し、気性の荒い勇者たちとは問題を起こし、渡してやった金はすぐにギャンブルで溶かした。


 仕事能力など論外で、もはや邪魔どころか金食い虫となった狐だが、面倒を見ると言った手前、ファースには追い出すこともできない。ちなみに、「鉄人」ことアイーダは彼についてはノーコメントだった。



 器用貧乏、鉄人、天才、ダメ狐。


 こんな面子でうまくやっていけるのか、とファースが悲観していた矢先、本部から助っ人が来るという吉報が届いた。


 哀れにもこんな場所に派遣された、一見して凡庸なその少女は、恐ろしいほど強くて凶悪な仲間たちを率いて――この支部どころか「最果ての街」全体を、破滅の危機に陥れることになる。

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