霧の巨人

 大きなマルの周りを雲のような曲線が囲う。その前方に、6つの小さなマル。


 シグルドが棒で地面に描いた図だ。トマスは彼の将軍という経歴を信頼し、戦術についての意見を求めたのだった。


 小さなマルの1つを指した棒は、そのままノエリアに向けられる。そのマルから何かエネルギー波のようなものが発せられ、霧を表す曲線がぐしゃぐしゃと塗りつぶされる。


「ああ。あの霧が自然現象と同じ理屈なら、ノエリアの爆炎で消せるな」


 トマスがシグルドの図を解釈する。


 続いてシグルドは魔物を表す大きなマルにクエスチョンマークをつけ、また別の小さなマルから魔物に向かっていくような矢印を引いている。


「えー、つまりこれは……」


「敵がなにぶん未知数だから、誰かが前に出て動向を探ってみてくんない? ってことだよね」


 通訳歴の長いロキのほうが先にその意を汲み取る。


「あ……じゃあ、私がやりましょうか」


 ヘルミーナが控えめながら手を挙げる。しかしシグルドは頷かず、首をひねっている。


「<防護>の魔術を使えばローリスクで陽動できますよー、ってことだと思うけど。いざとなったら自分で傷治せるし、みたいな」


 ロキは今度はヘルミーナの言いたいことを代弁している。こいつコミュ力高いな、とトマスは変に感心してしまう。


「わたくしは賛成できませんわね」


 ノエリアは彼女らしい率直さで反論する。


「<防護>の術は他の誰かにかければ務まりますし、ヘルミーナがわざわざ危険を冒す必要はありませんわ」


「え……。そうすると、他の人が危なくなってしまうんじゃ……」


「危険なのは誰でも一緒よ! あなたはよくて他の方はいけないという道理はないのではなくて?」


 そんな発想など今まで考えつかなかったかのように、ヘルミーナは驚いてきょとんとしている。


「ヘルミーナは前のパーティのやり方、一回全部忘れたほうがいいね」


「どういう意味ですの?」


 ロキの意味ありげな発言に、ノエリアが食いつく。


 まさかヘルミーナは、前の<ブリッツ・クロイツ>では危険な役回りをさせられていたのか? 疑念を抱いたトマスが彼女を見やると、気まずそうに目線を地面に落としている。


「詳しく話してもいいけど、お金取るよ。ボクも商売だからね」


「まあ、なんてがめつい……。シグルド、陽動役はロキにやっていただきましょう。<防護>の術なしでね」


「あのー? ボクはリスクに晒されてもよくて、他の人はいけないって道理はないんじゃないですかね。ちょっとシグさん、ボクの名前書き足さないでくれますー?」


「ロキかわいそーだから、ミアやったげよっか?」


 おそらく自分よりも数百歳は年下であろう少女に同情されて、ロキは複雑な表情を浮かべた。



  ◆



 蹄が地面を叩く音は、さながら行進曲のようだ。

 馬車で向かったのは撤退を考慮に入れてのこと。初めは様子見さえできればいい。


 一番槍を担う頼もしく小さな戦士は、トマスの膝の上で丸まって寝息を立てている。気が抜けているわけではない。戦いに備えて体力を蓄えているのだ。


 彼女がぱっと目を開けるのと同時に、外が白い世界に飲み込まれた。


 手筈通り、まずはノエリアが勇ましく立ち上がる。


「視界を奪うなんて、卑劣だこと。あの巨人ごと消し飛ばしてしまったら、ごめんあそばせ」


 その手から発せられた爆炎は、神が世界に下す裁きの雷のようだった。

 すさまじい爆風とともに白い世界は雲散霧消し、巨大な影をはっきりと浮かび上がらせた。


 白い体毛に覆われた、猿あるいはゴリラと形容すべきか。


 その巨体は山のようで、煌々と光る赤い瞳が小さな馬車を睨んでいる。太い腕を一振りすれば、6人の勇者などいっぺんに叩き潰してしまえそうな、圧倒的な力を感じさせる。



「だいたい15分から20分ほどで効果が切れると思います……」


 ヘルミーナに術をかけられたミアは、薄い光の膜に覆われた。


「術が解けるか、やばそうだと思ったらすぐに戻って来い」


 トマスの忠告にミアは素直に頷き、それからまん丸の大きな目を向けて質問を付け足した。


「やれそーだと思ったら?」


「やっていいぞ」


 にっと歯を見せた小さな戦士は、巨大な敵のほうへ果敢に飛び出ていった。



 霧の魔物は、足元に猛スピードで接近してくる、奴にとっては小虫程度のものであろう刺客に気づかず、じっと馬車のほうを見つめている。


 援護のため、ノエリアは自慢の炎魔術を放ち、シグルドも弓を引く。


 しかし、威力は控えめにしてあるとはいえ、その炎は体毛すら焦がすことができず、鋭い矢も鋼鉄のような皮膚に弾かれてしまった。



 ミアが塔のような脚に飛び乗り、体毛を取っ掛かりにしてすいすいと登っているのが見える。魔物の意識は依然こちらに向いている。


 その意識を逸らさぬよう、ノエリアとシグルドは攻撃を続けている。傷ひとつついていないが、苛立ったのか奴はこちらに地響きを鳴らせながら近づいてくる。


 広大な草原のような肩から、豆粒のような黒い影が垂直に飛び上がった。ようやく気づいた魔物は、その影を視界にとらえようと上を向く。


 ドラゴンが鋭利な爪で巨岩を切り裂くような音が響き渡った。


 あまりの衝撃に、霧の魔物の頭がガクッと後ろへ引っ張られるようによろけるが、すぐに足を地面にドシンと踏みしめてとどまった。


 強烈な攻撃を食らった頭部は――亀裂のような傷跡が刻まれているものの、血の一滴すら垂らさず、大したダメージにはなっていない。


 ――ヒュドラの胴体を真っ二つにしたあの爪で、かすり傷程度しかつけられないのか!!


 トマスはぎりっと奥歯を噛みしめる。


 ミアはめげずに鳥のように飛び回って連撃を叩き込むが、ほとんどダメージが入らない。<防護>の術が解けるタイムリミットだけが迫っていく。



「……ダメだ! 撤退するぞ!」


 トマスの号令で、シグルドは合図の火矢を空に放ち、馬車をギリギリまで近づけるべく馬を走らせる。

 ミアもその指示を了解し、足場にしていた広々とした肩から飛び降りようとする。


 しかし、霧の魔物はそれを許さない。


 大きな口がゴオッと息を吸い込むと、烈風のような吐息とともに白い煙が当たり一面に広がった。


 ああやって霧を発生させていたのかと頭が理解した頃には、濃霧が外を覆いつくしていた。



「ミア!! ここだぞ!! 戻って来れるか!?」


 トマスが姿の見えなくなった仲間の名を必死で叫ぶ。返事は聞こえない。


 代わりにぶん、と空気を裂く音がして、遠くの霧がうごめくのが見えた。


 何かわからない高音が聞こえ、それがだんだん大きくなる。その正体がミアの声だと認識したときにはもう遅かった。



「よけてぇぇぇぇっ!!!」



 魔物にぶん投げられたらしいミアの身体は、弾丸のように馬車の脇に激突し、横転した箱から中の5人が放り出された。


「ぐっ……!!」


 起き上がったトマスは、何も見えない白い世界に一人取り残されたことに気づき――戦慄した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る