#13 名もなき化物
みんなの名前
「の、え……のえ、る……りあ、ちー……ちゃん――ノエリアだ!」
「よく読めましたわね、ミア! では、この行はいかがかしら」
「んーと……ろ、さ……せ……うにゃにゃ?」
「うふふ。それは神聖にして高貴なる偉大なお方の御名ですわ」
「うおー、ノエリアはそんなすげー人と友達なんだぁ」
だだっ広い草原を走る馬車の中で、トマスは呆れ半分、嬉しさ半分といった心持ちで手紙の読解にチャレンジするミアを見守っていた。
手紙というのはノエリアが家宝のように大事に持っていたものだが、文面があまりに短いので、教材としてはちょうどよかった。ノエリアも案外面倒見のいい性格なのか、ミアを膝に乗せて妹に接するように勉強を教えている。
ミアは眠気さえなんとかなれば、学習意欲は人並み以上にあるらしく、乾いたスポンジのように読み書きの知識を吸収していった。
御者台には、ずっと同じ姿勢のシグルドが座っている。
元々の御者は、自分たちを<ゼータ>と呼んだ瞬間にロキの合図で袋叩きに遭い、馬車から蹴り出された。クエストを交換する作戦を取りやめることは、トマスたちも直前に知ったくらいなので、敵もまんまと引っかかってくれたようだ。
「ねーねー、みんなの名前、どうゆう字かくのー?」
「俺が書いてやるよ」
トマスはクエストの詳細が書かれた紙の裏側に、メンバーたちの名前をすらすらと書き始める。クエストについては内容を覚えているので、もうこの紙は必要なかった。
書いている途中で、ふと手を止める。
「……ロキ。お前の本名はなんていうんだ?」
「いやだなぁ、本名で呼ばれたらオークに攫われちゃうよ」
「それはダークエルフの古い迷信だろ。しかも、子供に限った話じゃなかったか?」
「ボクはいつまでも少年の心を忘れないのさ」
適当にはぐらかしているが、要するに自分の個人情報を明かしたくないのだろう。
御者台にいるシグルドが、渋い顔で一瞬ロキを振り返っていた。
書き終えたトマスは、その紙をミアに渡す。
「どれが誰だか当ててみろ」
「これがノエリア! さっきみたよ! そんでね、こっちがロキだとおもう。いちばん短いから」
ちょっとずるい気もするが、一応見逃して頷いてやる。
「そんでそんでー……し、ぐ……これ、シグだぁ! 次が、えっと、えー……? このチョー長い人はだれですか?」
「それはヘルミーナだ」
「ヘルミーナのほんみょー、なんてよむのー?」
急に話を振られたヘルミーナは、びくっと小さく飛び上がる。
「あ、えっと……ヴィルヘルミーナ・アンネ・フォン・メランヒトンです」
「にゃにゃ? びる、へる……?」
「ヴィルヘルミーナ・アンネ・フォン・メランヒトン。この子がモーリス」
「もーりす……?」
ぬいぐるみの名前まで付け足して、余計ややこしくしている。なぜかロキがぎょっとしているが、ぬいぐるみに名前をつけるなんてカタリナもやっていたことなので、トマスは別段不思議に思わない。
「ふむー、名前ってむつかしい……。で、いちばん下のやつが……そ、そます……?」
「トマスだ!」
「とます、ってだれ?」
「俺だよ!!」
「へぇー、おーじさまってそうゆう名前だったんだね! トマスおーじさま!」
無邪気にはしゃいでいるミアを見ると、トマスは怒る気も失せてしまう。
「よし。その下に自分の名前を書いてみろ」
「おっけー!」
ミアは慣れない下手くそな字で、しかし楽しそうに自分の名前を書き足し、全員の名前を大きなマルで囲んだ。
「これで全員しゅーごー!」
にかっと満面の笑みを見せるミアに、馬車にいた全員の顔が緩む。なるほど彼女にはこういう才能もあるのか、とトマスは感心する。
そんなパーティの元気印であるミアが、勉強疲れかすーすーと寝息を立て始めた頃。
和やかな雰囲気から一転、真摯な面持ちでトマスが口を開く。
「それで――今回は、どんな罠が待ち受けてると思う?」
クエストの概要は、草原に現れる魔物を退治するという単純なものだった。被害は通りがかりの商隊の数名が負傷と、大したことはない。ただし、気がかりなのが――
「まず、討伐対象の魔物の種類が明記されていないのが怪しいですわね」
ノエリアの言った通り詳細には「魔物」としか書いておらず、何がどのくらい出てくるのか一切不明なのだ。
「上位ランクの魔物が、たくさん出てくるとか……ない、ですよね?」
ヘルミーナが心配そうに呟く。確かに、そう懸念したくもなる内容だ。しかし。
「それでこの被害の少なさが説明できるか? 人里はなれた山奥ならともかく、比較的交通量の多い草原のど真ん中だぞ」
「それはそう、ですけど……」
彼女の心配性は、すぐには治まるものではないらしい。
トマスはちらりとニタニタ笑っている憎たらしい顔を見る。本命はお前の意見なんだが、と視線で伝わっただろうか。
「いやあ、今の段階ではなんとも」
「嘘をつけ。お前なら俺を嵌める方法なんて軽く1000個くらい思いつくだろ」
「敵がボクと同じだけの知恵があるとは限らないじゃない?」
適当なはぐらかしにイラッとくるが、ロキはこう見えてよく考えて行動する奴だ。今何も言わないのは、何か理由があってのことだろう。
「シグルドはどうだ?」
御者台にいる無口な彼は、こちらを見ないまま「わからない」とでも言いたげに手だけひらひらと振っている。
「へぇ、ボクとシグが同意見とは」
「意見がないことは同意見とは言わない」
「ま、心配しすぎることはないさ。敵の主力はあっちに割いてるだろうし、ボクらは放置か、やるとしてもちょっとした嫌がらせくらいだよ」
「確かにな……」
今からあれこれ余計な想定をしても、不安を大きくするだけか。ロキやシグルドはそう言いたかったのかもしれない。
と、丸まっていたミアがばっと目を覚ました。
「どうした?」
ミアは馬車の中をうろうろしながら鼻をくんくん動かしている。
「……マモノのニオイがする」
こういうときの、仲間たちの行動は早い。
ノエリアは立ち上がって剣を抜き、ヘルミーナは即座に<聖域>の術を馬車の中にかける。ロキが「飛ばすよ」と合図したのと同時に、シグルドが馬に鞭を入れる。
「ミア、敵はどこだ?」
「ん~~? 前か後ろか……右か左」
「わかんねぇんじゃねーか!!」
ミアの嗅覚でも方向が感知できない理由がわかったのは、すぐあとだった。
突然、周囲にあった草原は消え去り、すべてが真っ白の世界に入り込んだ。
「……霧、か?」
こんなところに急にこれほどの濃霧が発生するだろうか。
「――っ!!」
何かを見つけたらしいヘルミーナが、息を呑んで怯えたようにへたりこむ。全員がその視線の先を見上げると――
巨大な、化物の影があった。
巨人のようではあったが、人間よりもはるかに太くずんぐりとした体型で、顔らしき部位から2つの赤い眼がおぞましい光を放っている。
「シグルド、もっと飛ばせ!!」
バシッと鞭が鳴ると同時に、馬が全速力で走り出す。ここは撤退一択だ。状況が悪すぎる。
幸い馬車はあの化物に捕まることなく、恐ろしい霧の世界から脱出することができた。
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