地獄の痛み

 幼い錬金術師が創造した世界の、どこに空との境界があるかわからぬ地面の上で、2人の人間と1人の魔人が向き合っている。


「こんにちは。ぼくはマリオ。君の名前は?」


 初対面の相手に対する定型句を述べると、目の前の魔人は顔をしかめた。


「さっきから見てたけどよ、お前らイカレてんのか? お前なんかずーっと笑ってるし、そこのチビなんて突然ぶっ壊れちまったし。初めてだぞ、こんな奴ら」


「本当にイカレてる人は、自分がイカレてるなんてわからないものだよ」


「ああ、聞くだけ無駄ってことな。……名前くらいならいいか。おれはオベド」


「オベド君、友達になろう」


「はあ? やっぱお前、イカレてんだろ」


 至極常識的な感覚を身につけている魔人だな、とマリオは判断した。

 そして、こんな悠長に会話しているのは、まだ自分が負けるとは想定していない――つまり、いつでもマリオたちを殺せる手立てを持っているということだ。


 この状況を打開できるかどうかは、ヤーラにかかっている。



「あなたは、だれですか」


 ついさっき魔人が名乗ったことをもう忘れている。というより、記憶の連続性が途絶えているのかもしれない。


「……お前なんだよな、怖ぇの。わけわかんねぇし。そのバケモン、何だよ。おれらにも魔物を使役する奴は結構いるけど、その類いなのか?」


「あはははっ。アーリクが魔物なわけないじゃないですか」


「微妙に話噛みあってねぇし。どーれ、試してみるかい」


 常人ならば目で追えないスピードで、オベドがその爪でホムンクルスの身体を裂く。


 飛び散った身体の一部がべちゃべちゃと地面に散る。ダメージがあるようには見えない。


 弟を傷つけられた彼は――どういうわけか、嬉しそうな笑みを浮かべている。光った左目がすぐさまその傷を癒した。


「……くっ、ふふふ。アーリク、遊びたいのかい。いいよ。僕が見ていてあげるから」


 ホムンクルスがオベドに殴りかかる。オベドは軽くかわしてみせたが、その腕力に少したじろいでいるようだった。


 ホムンクルスの動きは鈍く、オベドは容易に反撃する。しかし、その耐久性は尋常ではなく、大きな傷がついても、ヤーラが目視しただけでたちまち治してしまう。


 やはり魔力を消耗しているからか、オベドが使うのは魔法ではなく物理攻撃ばかりだったので、今のところヤーラのほうが有利だった。


「うおお、マジか。やべぇよこいつ。やっぱこっちのがやべぇ。――でもな、知ってんだよ。こういうのは全部、魔力の産物だって」


 オベドがホムンクルスの背後に回り、その背に手を当てると、バチッと閃光が走った。



 あの巨大な怪物が、一瞬にして姿を消してしまった。



 魔力を反発する――この場合は無効化する術だ。身体能力がほとんど期待できないヤーラには、これは厄介だった。

 いや、それよりも問題なのは――


「――アーリク?」


 さっきまでそこにいたはずの「弟」が急に消滅してしまったことは、彼にどんな影響を与えるのか。


「どこだ? どこにいった? アーリク? ああ、どうして目を離してしまったんだ!! 近くにいるはずだ……そうだ、近くにはいる。泣き声が聞こえるんだもの。泣きながら、僕を呼んでる……」


 顔面蒼白で焦燥に駆られている彼は、頭を抱えて座り込んでしまった。



「ひっ、ひひひひっ。あれがいなけりゃ、ただのガキだ」


 オベドはほっとしたようにニタニタ笑っているが、警戒心の強い性質なのか、ふと思い直したようにマリオのほうに視線を移す。


「お前! お前も油断ならないんだよな。おれがこのガキ殺ろうとしてる隙に、何かしようとしてんじゃないだろうな?」


「もしそうだとしても、ぼくからは言わないよ」


「それもそうだ。よし、お前から殺そう」


 オベドは瞬間的に距離を詰め、鋭利な爪甲を振り上げた。



 ――何もしようとはしていないさ。

 だってもう、準備は終わっちゃってるからね。



「うお!?」


 人間も魔人も、二足歩行をしている以上、バランスを崩す危険性が高い。


 魔人が姿を現して、ヤーラに気を取られていた時点で、勝ち筋は見えていた。


 マリオの魔道具の糸は、まったく触れなくても自在に動かすことができる。見えない糸は、オベドがホムンクルスと遊んでいる間に、蛇のように彼の足に絡みついていた。


 転倒した魔人の身体を引き寄せると、その足に素早く注射器を突き刺す。


「なっ……何をした!?」


「これかい? 人間用か魔族用かわからないんだけどね、作った本人曰く――『35時間激痛が続く毒』なんだってさ」


「いっ……!?」


 オベドの全身からビキビキと血管が浮き出ていく。


「――いぎゃっ!! あああああああああっ!!!」


 痛みに悶絶する叫び声が無の空間に響き渡った。


 その毒薬はここに迷い込んだ時、まだ話が通じた頃のヤーラに貰った袋に入っていたものだ。1つ1つ丁寧に効能や用法・用量がメモしてあったので、マリオは迷いなく最も効果の高いものを選ぶことができた。


 もっとも、痛覚の麻痺したマリオにはオベドの苦しみがいかほどのものか、察することもできないが。



「ヤーラ君。これって解毒剤とかあるの?」


「アーリクがいない、アーリクが……僕を呼んでるはずなのに……」


 会話は難しそうなので、マリオは諦めて絶叫し続けるオベドに向き直った。


「やあ、オベド君。質問に答えてくれたら、楽に殺してあげるよ」


「うぐっ、おおおおおおっ……!! 死ね、劣等種族が!!」


 痛みに耐えながらも、オベドは鋭い爪をマリオに振り上げる。それはむなしく空を切った。


「危ないから、切っとこう」


 マリオは飼い猫の爪でも切るかのように、オベドの両腕を糸で切断する。すでに十分な痛みに襲われているはずだが、それでも「ぎゃっ」と短い悲鳴を上げていた。


「それでね、君の友達のことを聞きたいんだ。サラとか、リベカとか――他にもいたら教えてね。どんな人で、何をしようとしているのか――」


「ぐううううっ!! 地獄に落ちろ、イカレ野郎ども!!」


 ――これはダメだ。オベド君は意外と義理堅いタイプなのかもしれない。失敗したなぁ、徐々に痛みの度合いを上げていくほうがよかったか。あの状況じゃ、仕方なかったけども。


「わかった。最後に、ぼくと友達になってくれないかな」


 オベドは滝のような汗を流して顔面を歪めながら、マリオの差し出された手を見ている。


「……ああ、そうか」


 そこで、自分がオベドの腕を切り落としてしまったことを思い出し、落ちたその右手を拾い上げて握手を交わした。


「君のことは忘れないよ、オベド君」


 ――ぼくもきっと、地獄に落ちるだろうからね。


 マリオが左手をくいっと引くと、オベドの首がスパッと胴体から離れ、血が噴き出した。



 主を失った亜空間は闇に包まれて消滅し、マリオとヤーラは元の森の中に戻っていた。


 これでオベドの術の効果はすべてなくなったはずだ。マリオは懐からポーションを出し、ぐいっと飲み干した。ヤーラの薬はよく効くので、もう出血が止まりかけている。


 そして次なる課題は、戻ってきたホムンクルスを歓迎している、正気を失ったままのあの少年をどうするかということだった。

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