親不孝

 私の頭は整理が追いつかず、混乱したままその変わり果てた姿を見つめていた。唯一変わっていない紅の瞳がこちらに向いたかと思うと、すぐに離れて顔全体に苦みを伝えていく。


 ゼクさんが、魔人。

 あんなに魔族を忌み嫌っていたのに? いや、だからこそ過剰なまでに嫌悪していた、とも受け取れる。


 私たちを追い詰めていた長髪の魔人は、さして動揺した様子もなくゼクさんを睨む。


「俺のゲートを勝手に通るとは、相も変わらず不躾な真似をしてくれるな。ゼカリヤ」


 ああ、ゼクさんの本名はゼカリヤっていうんだ――逼迫した状況なのに、そんなことに意識が向く。


「うるせぇ、アモス。テメェ、なんでこんなところにいやがる」


 名前を呼び合う2人は、まるで旧知の仲のようだった。


「それはこちらの台詞だ。魔王様の寛大な思し召しにより、人間界に逃亡したにもかかわらず帰還を許された貴様が、なぜまたここにいる。エステルという女なら連れてきてやると言っただろう。それとも他の仲間も必要か?」


「……俺はもう戻らねぇっつってんだろ」


「だが、貴様の素性は割れてしまった。もう人間界にはいられないのではないか? 勇者協会とやらに義理立てする道理もなかろう。この連中共々まとめて我々につけばいい。魔王様も受け入れてくださる」


 アモスはゼクさんを魔界に引き戻そうとしていて、その餌に私を連れて行こうとしたってこと?


 最初に牢屋を襲ったとき、ゼクさんを魔界に連れ帰そうとしたんだ。そこに居合わせてしまったスレインさんを退けて。

 魔界で私たちの話を聞いたんだろうか、アモスは私たちまで勧誘しようという気になったのかもしれない。


 確かに――ゼクさんが魔族だと知れたら、協会が黙っているはずがない。

 スレインさんはたぶん牢屋で襲われたとき、このことを知ったんだろう。口の堅い人だから、誰かにばらすことは絶対にしない。他の仲間たちだって同じだ。


 でも、もし他にこのことを知っている人がいたら? たとえば、この場所を教えてくれたロキさんは? スレインさんからも、あまり信用を置かれていない。

 それに、アモスや魔族側がゼクさんのことを誰かに明かしてしまったら……。


「我々魔族は、人間であろうと協力者は丁重に扱う。人間界はお前たちが考えている以上に腐敗している。我々につくのが賢明だぞ」


 私が思考や疑念を巡らせているのを、アモスは見通しているかのように説得してくる。

 確かに、<勇者協会>も憲兵隊も今回のことで信頼性をだいぶ失ってしまった。当然、人間の世界だって美しいものばかりでない。むしろ、そういう汚い部分のほうがありふれているのかもしれない。


 でも、だからって魔族の味方になる気はなかった。そんなことしてしまったら、命を賭してまで魔族と戦ったお兄ちゃんに顔向けできない。


 私が頷くことはないと悟ったのか、アモスは再びゼクさんに向き直る。


「もう一度言う。こちらに戻れ、ゼカリヤ。貴様はもう、ここにはいられん」


「黙れ!!!」


 ゼクさんは猛りながら背中の大剣を抜き、そのままの勢いでアモスに振り下ろす。ひらりとかわされて真っすぐ下りた刃は、とてつもない衝撃音を響かせて大地を粉砕した。


 粉々になった破片が波しぶきみたいに噴き上がり、その高さは周辺の崖のてっぺんに達するほどだった。刃が当たった箇所は地割れのように深く引き裂かれている。


 ただでさえゼクさんが人間離れした強さなのは知っていたが、本当に人間でなくなってしまった彼の力は普段のそれを遥かに上回っていた。


「めんどくせぇこたぁ後だ……まずはテメェをぶっ殺してやる!!」


「愚か者が」


 アモスの両手から禍々しい黒い炎が現れた。その炎は2頭の竜のように突進していき、ゼクさんは剣でそれを振り払っていく。

 黒い煤のような火の粉が飛び散るが、距離があるにもかかわらずこっちにまで熱気が迫ってきた。


「離れたほうがいいね」


 冷静なマリオさんは、立つこともままならないヤーラ君を抱えて移動し始める。私もロゼールさんに肩を貸して後に続いた。


 熱風から脱出して再び戦火のほうに目をやると、巨岩ほどの大きさの黒炎がアモスの手に纏われているのが見えた。

 ゼクさんはその恐ろしい炎の塊を正視しながらも、自分から当たりに行くかのように一直線に駆けだす。


 アモスが手を突き出す。放たれた炎は、まさしく嵐。巨大な渦巻きが地面を抉り、大気を弾き飛ばしながらゼクさんを飲み込もうとしている。


「うおおおおおおおっ!!!」


 雄叫びとともに振り出された剣が、渦を切り裂きながら突き進んでいく。2人は一気に接近した。

 ゼクさんは剣を天高く振り上げる。対するアモスは魔術で鋼鉄のように固めた腕で身を守りつつ、反対の腕で切り払われた黒炎を操作する。


 ブーメランのように返ってきた炎が背後からゼクさんを襲ったと同時に、巨岩が砕け散るような轟音が響き渡った。


 炎が消える。


 あの怪力を乗せた剣をまともに食らったアモスの腕は、割れたガラスのような亀裂が入っている。

 一方、火炎に包まれたゼクさんは身体のところどころが焦げ、小さな黒煙を燻らせている。


 互角――あるいは、アモスのほうが優勢に見える。

 信じられない。あのゼクさんが。魔人の力を解放しても、苦戦する相手がいるなんて。


 真紅の瞳を持つ2人は、燃えるような眼つきをお互いにぶつけ合っている。ともに相当なダメージが残っているはずだけど、一歩も退く気はないようだった。

 まさに同時に踏み出そうとした、そのとき。


「そろそろやめにしたら?」


 冷水を浴びせかけるように、ロゼールさんが口を挟んだ。


「アモスといったかしら。あなた、別に戦争を仕掛けに来たわけじゃないんでしょう? ゼクが必要だなんて言うくらい、そちらは切羽詰まってるみたいね。ここで大暴れして目立って、私たちに手の内を晒してくれるのなら、とっても助かるんだけど」


「……」


 彼女はアモスの狙いを見事に見抜いていたらしい。手を止めたアモスは、厳めしい面相をさらに苦々しく歪める。


「……今日のところは、退いてやろう」


 アモスは再び自分の傍にゲートを開いた。息を荒げていたゼクさんも睨んではいるが、追いかけようとはしない。


「いずれ、貴様は己の親不孝を悔いることになるだろうな、ゼカリヤ」


 ゼクさんの顔に、険しい緊張が走ったのが見えた。

 ダメ押しのつもりだったのか――アモスは去り際に、とてつもない置き土産を残していった。



「魔王――いや……我らが父に背いたことを忘れんぞ、愚弟よ」



 私はゼクさんの顔を見上げた。彼はただ、ゲートがあった場所を血走った眼で睨みながら歯を食いしばっているだけだった。


 アモスは魔王の息子。ゼクさんは、その弟。

 ただの魔族というわけではなかった。彼は、つまり――


 一瞬だけ過った恐怖を追い出して、自分に喝を入れる。魔族とか、魔王とか……今は、関係ない。ゼクさんは、私のパーティの一員。私は<ゼータ>のリーダーなんだ。


「ゼクさん」


 気合を入れ直したつもりでも、私の声は震えていた。その震えを噛み殺すように続ける。


「えっと……助けに来てくれて、ありがとうございます! ほら、傷の手当、しましょう!」


 ようやく向けてくれた紅い瞳には、無理やり繕ったぎこちない笑顔が見えているのだろう。

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