#7 血の呪縛

脱獄犯

 ほぼ全域がとっ散らかっていることで有名な診療所でも、さすがに病床は綺麗に片付いていた。清潔な白いシーツの中で、その黒い髪はよく目立つ。耳をすませばようやく微かに聞こえる呼吸の音も、それだけで不安を払拭してくれる。


「マジでぇ、マジヤバの激ヤバだったからぁ。あとちょい遅かったらアンナもどーしよーもなかったかもぉ」


「はぁ……ありがとうございます」


 間一髪のところで助かったということらしいが、アンナちゃんの言い方では危機感も薄らいでしまう。


 地下牢でスレインさんが倒れていたという知らせを受けて、私は仲間を伴ってこの診療所に急いだのだ。ひとまず無事を確認できて、ほっと胸を撫でおろす。


「てかこの人超絶イケメンくない? アンナ静かに大コーフン的な。目ぇ覚ますまで、しばらくイケメンの寝顔堪能~♪」


 スレインさんの意識が戻らないなら、何があったか本人の口からは聞けない。牢屋から忽然と姿を消した、ゼクさんのことも。


 私と違って始終さして慌てた様子もないマリオさんは、さっそくカミル先生に聞き込みを始めた。


「発見されたときの状況を聞いてもいいかな」


「何か鋭利な武器による腹部の切傷で出血多量。もちろん意識不明」


「倒れていた向きは?」


「その逃亡中の男がいた牢に向かって横臥の姿勢」


「彼女は剣を抜いていた?」


「ええ。血はついていなかったけど」


「ふーん……」


 スレインさんはゼクさんと向き合った状態で斬られたことになる。しかも、先生の「逃亡中」という言い方――すでに容疑者として扱われているんだ。


 <ホルダーズ>にもゼクさんを示す反応はない。あの首輪は壊されてしまったのかもしれない。これじゃ居場所もわからない。


 こんな状況で平然としていられるのはマリオさんくらいのもので、ロゼールさんはそれが気に入らないのか不機嫌そうに目を細めている。ヤーラ君もずっと青ざめた顔で爪を噛んでいて、ふいにボロボロの親指を離した。


「あの、ゼクさんがやったわけじゃない……ですよね?」


「私はやってないと思う」


 根拠らしい根拠はないけれど、私はゼクさんを信じている。むやみに仲間に手をかける人じゃない。

 カミル先生は我関せずと、いつも通り眉間に皺を寄せて煙草をふかしている。


「悪いけど、あたしらは中立よ。味方はできないわ」


「エティ、メンゴ~」


「構いませんよ。私たちで何とかします」


 先生やアンナちゃんに迷惑をかけるわけにはいかない。とはいえ、ここからどう動くべきかというビジョンも何も浮かばない。こういうときに仕切ってくれるのは、いつもスレインさんだった。

 その代わりというのか、ロゼールさんがある人をつんと目で示した。


「エステルちゃん、その人形男連れて現場に行ってみたら? 何か手がかりが見つかるかもしれないわよ。こいつ目ざといし」


「そうですね。マリオさん、いいですか?」


「うん。ヤーラ君にも手伝ってもらっていいかな」


「は、はい。僕でよければ」


「この子は私が見張っておくわ。目を覚ましたら真っ先にゼクを探しに行くわよ、この働き蜂」


「エーッ! こんな美人さんも一緒とか、アンナ心臓バクハツしちゃう~!」


「ありがとう。可愛いヒーラーさん」


 スレインさんのことはロゼールさんたちに任せることにして、私はマリオさんとヤーラ君を連れてあの牢屋に向かった。



  ◇



「……何これ」


 牢屋を訪れての第一声がそれだった。

 ゼクさんがいたはずの一番奥の牢の鉄格子は、ど真ん中に大きな円形の穴が空いている。頑丈な鉄の棒は紙粘土みたいにねじれ、ひしゃげ、粉砕されている。


 その周りの壁も表面がボロボロに剥がれ落ちて廃墟みたいになっているし、床には生々しい血の跡が広がっている。


 私が茫然としたままその悲惨な光景と向き合っていると、その間に捜査に赴いてきた憲兵らしき人が割り込んだ。


「あ、中には入らないでください。ここは立入禁止ですので」


「え?」


 せっかく現場を調べに来たのに、それでは困る。今度はマリオさんがしれっと間に入った。


「ぼくたち、協会の人に言われて調査に来たんだけど、聞いてない?」


「そうなんですか? 我々は何も……」


「職員さんの許可も貰ってるんだ」


 マリオさんの目配せに促されて、私は協会職員であることを示す腕章を見せた。


「はぁ……そういうことなら、どうぞ」


「ありがとう。君の名前は?」


「ポールです」


「ポール君。ぼくはマリオ。友達になろう」


「へ?」


 一芝居打った直後でも、いつもの習慣は欠かさないようだ。手を握られて戸惑っているポールという憲兵さんを置き去りに、マリオさんはさっそく中をざっと見て回った後、へし折れた柵の辺りをじっくりと観察し始めた。


 後に続いたヤーラ君も、地面に落ちている破片を試験管の中の液体に浸してみたり、戦闘があった場所を手でなぞったりと何かを調べている。


「マリオさん、どうですか?」


「うん。ゼクじゃないね」


 そう断言するということは、相応の根拠があるにちがいない。私はひとまず安堵する。


「まずこんな狭い通路であんな大きな剣使うわけないし、使ったとしてもどこかに刃がぶつかるはずだけど、その跡がない」


 そういえば、前にゴブリンのいる洞窟に行った時は、剣を使わず素手で戦っていた。


「この檻も――まあ、彼の腕力ならへし折れるかもしれないけど、折れた部分が落ちてないし、そもそも折れている方向が牢の内側だよね。外からものすごい力で吹っ飛ばされたって考えたほうがいい」


「ものすごい力って……」


 当然、スレインさんのわけがない。


「ヤーラ君。そっちはどうだい?」


「はい。壊された柵の欠片を見てみたんですが……はっきりと魔力の痕跡があります。この辺り一帯も魔力が濃いし、ここで魔術が使われたのは間違いないです」


「へぇ……そんなこともわかるんだ」


「そうですね。物質の成分も見ればだいたい解析できますし、手で触れれば空間の構造も大まかにわかります」


 軽く説明してくれているけど、それってとてつもなく有用な能力なのでは? 錬金術がすごいのか、ヤーラ君がすごいのか……。


「やっぱりね」


 黙って聞いていたマリオさんは、頭の中で結論を組み上げたようだ。ゼクさんもスレインさんも、魔法は使えない。なのに、魔力の痕跡があるということは――


「2人は魔人に襲撃された」


 ゼクさんへの容疑は晴れたが、新たな問題が浮上した。彼は今どこにいるのか、2人を襲った魔人はどんな相手なのか、まだ戦いは続いているのか……。


「<ホルダーズ>の反応がないところを見るに、首輪が壊されたか――あるいは死んでるかだね」


 マリオさんの淡白な言い方が、かえって私の悪い想像を掻き立てて、思わず首を振った。


「……ゼクさんが魔人に殺されるわけ……ないですよ」


「そうだね。まだわからない。少なくとも、スレインを傷つけたのはゼクじゃない。ポール君、調査結果を上の人に伝えてもらえないかな」


「は、はい!」


 すっかりマリオさんのなすがままになっている憲兵さんは、今の調査結果を書き留めたメモを受け取った。

 あとはゼクさんの居場所を探すだけ。スレインさんが早く目を覚ましてくれるといいんだけど――


 しかし、事はそう簡単には進まなかった。



  ◇



 デスクの向こうに座るドナート課長は、腕を組んで目を閉じたまま動かない。私はじれる気持ちを我慢できず、課長の言葉を促す。


「どういうことですか、課長」


「さすがの俺も、庇いきれん」


「ゼクさんは無実だって、憲兵さんにも伝えましたよ」


「あの捜査は正式なものではない」


「だからって――指名手配、なんて……!」


 協会も憲兵隊も完全にゼクさんが傷害事件の犯人だという認識になっていて、手配書まで出回ってしいまったのだ。


「エステルちゃん。あんまりオーランドを責めないでやってくれよ。そもそもあいつが仲間殺しなんてやらかしたときも、ライセンス剥奪どころかあわや死刑のところをギリギリ救ったんだからな」


「それは……ありがとうございます。でも今回は冤罪です!」


「ああ、俺もオーランドもわかってるさ。だがな、仲間殺しなんて悪評が広まっちまったんだ。上の連中はとっとと誰かを吊るし上げて事を収めてぇんだよ」


 ぐっと力をこめた手に、汗がにじんだ。


「ともかく……俺たちにできることはない。早くゼク本人を探し出して――あとは成り行き次第だ」


「わかりました」


 それは納得を表す返事ではなかった。

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