制御不能の怪物

 攫われた子供たちがいるという第三倉庫の中は、積荷が森の木々のように立ち並んでいて、入り組んだ迷路になっていた。箱の中に隠れるようにして地下への階段があり、私とスレインさんは慎重に降りて行った。

 私たちを待っていたのは薄暗がりと、静けさだけだった。


「……誰もいませんね」


「罠かもしれない」


 スレインさんは決して油断した素振りを見せず、神経を張りつめたまま用心深く進んでいた。私も緊張しながらその後ろに張りついていたが、結局誰にも会うことなくあっさりと子供たちの捕まっている部屋を見つけてしまった。


 子供たちは縄で縛られていたものの、目立った傷もなく全員が無事だった。ただ、そこにヤーラ君の姿はなかった。


「他に誰かいなかったか? 君たちを見張っていた人間は?」


 スレインさんは子供たちの縄を切りつつ、いつもより優しい声音で尋ねる。


「知らない。こわい顔してどっか行っちゃった」


「私たち、仲間を探してるんだけど……大きいローブを着ている茶髪の男の子、見なかった?」


 子供たちはそれぞれ顔を見合わせたり、首を横に振ったりと芳しくない反応だった。誰も見ていないということは、初めからここにはいなかったということだ。


「こことは別の部屋にいるか、途中で上手く逃げたか……」


 スレインさんが子供たちを解放している間、私は部屋の外の様子を伺いに顔を出した。相変わらず薄暗くて、人の気配がまったくしない。少しだけ出て、ヤーラ君がいそうな部屋はないかと探ってみる。


 敵がいないからと、油断しすぎていた。

 暗闇から2本の太い腕が伸びてきて、私をそこに引きずり込んだ。


「ッ……!?」


「騒いだら殺す!」


 見覚えのある男――祭りで絡んできたモヒカンのチンピラだ。奴らの仲間だったんだ。クレープ屋に並んでいたのも、子供を狙っていたからなのかもしれない。


「エステル!! どこだ!?」


 私がいなくなったことに気づいてか、スレインさんが険しい声を上げる。が、私は口を塞がれたまま強引にその声から引き離されてしまった。

 どこかわからない奥のほうで、ようやく喋る自由だけを与えられた。


「協会のクソアマめ。俺たちをメチャクチャにしやがって! あれはこういう意味だったのか? ああ!?」


「な、何の話ですか?」


「テメェのツレだよ!! あのチビのせいで俺たちは……早くなんとかしろ!!」


 必死の形相で喚き散らすモヒカンを前に、私は混乱で何も言えなくなっていた。彼が話しているのはヤーラ君のことだろう。でも、ヤーラ君はこいつらに攫われたわけではなかったの?


 モヒカンは依然がっちりした腕で私を拘束したまま、やたらと周囲に気を配りながら移動する。いざというときは私を人質にするつもりなんだろう。


 だんだんと嫌な臭いが鼻につき始めてきて、不穏な気配がじわじわと漂ってくる。


 どん、と音がしてモヒカンの身体が傾き、私も一緒によろめいた。


「うおっ! チッ、何――」


 何かに躓いたらしいモヒカンは苛立たしげに足下を見て――みるみる威勢を削がれていった。


「ッ!?」


 恐怖で窒息しそうになっているモヒカンの視線の先を追ってみて、私も一緒にすくみ上がった。


 死体が転がっている。

 下半身が魔物に喰われたように綺麗になくなっていて、腕だけで這って逃げる途中に息絶えたように、長い血の跡を引きずっていた。


「うっ……うひゃああああああっ!!!」


 情けない悲鳴と一緒に私は放り出されて、床に身を打った。その痛みよりも、ドタドタと足音を鳴らして逃げていったモヒカンのほうが気になって、目だけで行方を追いかけた。曲がり角に姿を消した彼は、すぐに尻餅をついて後ずさりながら出てきた。


 モヒカンの怯え切った目の先には、明らかに何かがいる。きっと、さっきの人を殺した何かだ。

 私はガクガク鳴る足をどうにか叩き起こして、ふらつきながらも物陰に身を隠した。見つからないように、そっと状況を伺う。


 出てきたのは、魔物ではなかった。

 背を丸めた小柄で、細身をローブに包んだ茶髪の少年。私のよく知っている人間――の、はずだった。


 生真面目でちょっと神経質で、でも優しくて大人びていて……そんなヤーラ君の面影が丸ごと抜き取られて、外側だけ残っているかのような立ち姿だった。


『君はあの子に近寄らないほうがいい』


 マリオさんの警告が頭をかすめる。


 同時に今までのヤーラ君のことが蘇ってきて、それを受け入れられない自分がいた。牢屋で怯えていたのも、几帳面にポーションを作ってくれたのも、お祭りで一緒にクレープを食べたのも……。


 あの死体がヤーラ君の仕業だとは思えない。彼は非戦闘員だと聞いているし、書類にもそう書いてあった。あの子が、そんなことをするはずはないんだ――


 ――そんなのは、私の都合のいい考えだったのかもしれない。


「お……おい!! やめてくれよ!! 勘弁しろって!! 昼間のことは謝るからよぉ、許してくれよぉ!!」


 モヒカンの泣き声交じりの命乞いが虚しく響く。ヤーラ君は一言も発することなく、嗚咽に引きつる呼吸と後ずさりの音だけが聞こえた。


 私は物陰からもう少し身を乗り出す。ヤーラ君はこちらに気づいておらず、薄闇で顔もよく見えない。手に金属の何かが光ったのがギリギリわかった。

 仲間なのだからここから出て合流すればよかった。なのに、できなかった。


「――だれですか」


 何も入っていないような声だった。


「アーリクが……お腹をすかせてるから……早く、行かないといけないんです……。僕を、呼んでるから……」


 ふわふわと宙を彷徨う言葉は、誰に向けられているものでもなかった。少なくとも、私の知っているヤーラ君ではないような気がした。


「お、おい……やめろ……。おっ、俺たちが悪かった!! もうこんなことはしねぇ!! た、頼む……命だけは――」


 決死の懇願も、ヤーラ君には届かない。


「ああ、ここにいたのか」


 モヒカンの首から上が、黒い塊に包まれて消えた。


 骨が砕ける音、肉がすり潰される音がしばらく繰り返されて、足の力が抜けた私は壁を背にへたりこみながら、吐き気や震えと戦っていた。


 あの大きな黒い塊は、おそらく生き物だ。あの男を頭から捕食したのだ。

 ――ホムンクルス?


 以前カミル先生に聞いたところでは、ホムンクルスは成功すれば本物の人間のようなものまで生み出せるという。失敗すれば生物としての原形を留められず、まともに動くこともできないらしい。


 じゃあ、あれは? あれは人間でもなく、獣でもなく、魔物でもない。ドロドロとして定形を持たない、異形の姿。だけど、動いている。


「ダメだよ、アーリク。行儀が悪いよ。待っててね。食べやすいように……切ってあげるから。細かく……細かく……細かく……こまかく……」


 取り憑かれたような呟きと、刃物でグチャグチャと何かを刻む音が交互に聞こえた。その後にまた、咀嚼音。ひどい臭いが充満してくる。意識が飛びそうになるのを、必死でこらえた。


 あの怪物を人の名前で呼んでいるヤーラ君は、明らかに正気じゃなかった。

 『能力の制御が困難』? 違う、自我の制御ができていないのだ。

 無意識に術を使う? 違う。意識はある。混濁した意識が――

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