混沌の中で
薄暗い通路、人喰いの怪物と我を失ったヤーラ君。私はどうすることもできず、隠れて座り込んでいるだけ。
1つ間違えれば殺されるかもしれない緊張の中、複数人の足音が迫ってくるのが聞こえて、慎重に顔を出した。
「いたぞ!!」
集まってきたのは敵側の人間たちだったようで、明らかに仲間を殺された恨みをヤーラ君に向けていた。
「この……化物が!!」
黒いローブを纏った男が、魔法の火球をホムンクルスに放った。炎が箒星のように突き進んでいくその最中、ヤーラ君の左目が光を発した。
瞬間、弾丸のような赤い炎が跡形もなく掻き消えた。
「!?」
敵の男たちにどよめきが起こる。不可解な術を使ったヤーラ君は、急に頭を抱えてうずくまった。
「う……あああぁぁぁ……っ!! なんで……なんで、世界はいつも、僕たちにひどいことをするんだ……!!」
髪をぐしゃぐしゃに掻きむしりながら苦痛の声を絞り出すヤーラ君を前に、敵はあっけにとられたまま棒立ちになっていた。隙だらけなのに、意味不明な言動とさっきの不思議な術のせいなのだろう、誰も攻撃を仕掛けることはなかった。
『最高クラスの錬金術師は目で見ただけで錬成できるっていうけどね』
カミル先生の言葉が記憶から浮かんでくる。ヤーラ君のあの眼の光は、まさか……。
「この野郎ォ!!」
ようやく戦意を取り戻した1人が、ホムンクルスに突進して槍を振り上げた。
槍が刺さった――と思いきや、それはドロドロの身体に沈んでいるだけだった。
ホムンクルスの身体が中心線に沿って縦にぱっくり開く。縁には無数の牙が並んでいて、槍の男をその中に巻き込んでいく。
「う、うわ、やめっ……!! うあああああああああっ!!!」
肉の塊に閉じ込められた男の悲鳴は、痛々しい咀嚼音や飛び散る血しぶきとともに、次第に小さくなって途切れた。
「……ぎゃあああああああああっ!!!」
すっかり戦意を放棄した彼らは蜘蛛の子を散らすように逃げ出し、ホムンクルスはほとんど自動的に鈍い足で追跡していった。この狭い通路では逃げ場もほとんどなく、1人また1人と大きな腕にとらえられ、餌食になっていった。
悲痛の叫び声が反響し、人体が粉砕される音が繰り返され、大雨の後みたいな血だまりが広がり、悪臭が空間を支配する――まさに、地獄絵図だった。
「なんで……なんで……? うるさいなぁ、この音なんだよ……ここ、どこだ……?」
ヤーラ君は朦朧としたまま、自分のホムンクルスの後をふらふらと歩いていた。バケツを振りまいたように大量の血液がバシャバシャとかかっても、まばたき1つしていない。
はっとして、私は陰に身を潜めた。
ペンキを塗ったくるような、不定形の身体を引きずる音が近づいてくる。
あのホムンクルスの視界がどうなっているかはわからない。ヤーラ君は私のことを覚えているだろうか。望みは薄い気がした。
口を塞ぐ手が震えている。足はガクガク揺れるだけで力が入らない。気配を消さなければならないのに、息は荒くなっていく。
ホムンクルスが、こちらに身体を捻った。
「……!!」
目が合った――ような、気がした。
死の恐怖が、足元から這い上がって絡みついてくるような感覚。死にたくない。あんな恐ろしい死に方は嫌だ。
それにヤーラ君が正気に戻ったとき、私を殺したということが彼をどこまで打ちのめしてしまうかと思うだけで耐え切れなかった。
泥のような大きな肉体の陰から、ヤーラ君の姿がぼうっと出てくる。
「アーリク、その人はダメ」
その一声で、ホムンクルスはずるずると引き下がった。
ヤーラ君を近くで見ると、茶色がかった髪も青白い肌もほとんど真っ赤な血にべっとりと浸されていて、鈍色の目は焦点が合っていない。
手に持っているナイフもどす黒い液体が滴っているが、よく見ると色や素材があの首輪と同じだった。これを錬金術で加工したから、反応が消えたんだ。
「……ヤーラ君? 私のこと、わかる?」
「道に迷ったの? 出口は、あっちだよ。ここはあぶないから……」
「あ……ありがとう」
会話はすれ違っていても、ヤーラ君が私を助けてくれたのは確かだった。
◇
あの場を離れた私は大急ぎでスレインさんと合流して、事の顛末をつっかえつっかえ説明した。
「にわかには信じ難いが……君が言うなら本当なんだろうな。あの真面目な少年が……」
「もう、どうすればいいかわからなくて……」
「そうなった原因やきっかけに心当たりはあるか?」
記憶を遡ってみる。ヤーラ君の様子がおかしくなったのは、広場で具合が悪そうにしていたときからだ。
その前は……そう、どうして牢屋から出たがらなかったのかを聞いた。それが原因? 何か違う気がする。牢屋が原因なら、もっと早くにああなっていたはずだ。
そもそもどうしてベンチを離れたんだろう。あのモヒカン男の口ぶりからして、ヤーラ君は奴らに攫われたわけじゃない。この場所がわかったのも、どうして?
もしかして……彼は、子供が攫われるところを目撃して、ついて行ったんじゃ……?
私に連絡もしなかったことを考えると、そのときにはすでに――
「子供……かな。子供が関係しているような気がします……」
「なるほどな。実際に見てから考えよう。まずは合流優先だ。子供たちはまだ外に出さないほうがいいな」
「はい」
私たちは第三倉庫の外に出て、ゼクさんたちのところへ向かった。
――が、そこで待ち受けていた光景に、私たちは驚愕した。
「おぉい、ボケナス女!! いったい何がどうなってやがんだ、説明しろォ!!」
剣を握りしめて叫んでいるゼクさんの前には、さっきのホムンクルスと、相変わらず幽霊みたいにぼんやりとしたヤーラ君がいた。
その周りでは、腕が変な方向に曲がっているマリオさんがぐったり仰向けになっていて、両腕とも肩から指先まで氷に覆われているロゼールさんが座り込んでいた。
「なっ……何があったんですか!?」
「どうもこうもあるか!! いきなり襲ってきやがったんだ、このガキ!!」
ヤーラ君のほうが先にゼクさんたちのほうに行ってしまったようだ。やっぱり敵味方の区別がついていないのだろう、無差別に攻撃を仕掛けているんだ。
ひとまず、私はやられてしまったらしい2人に駆け寄った。
「だ、大丈夫ですか?」
「いやー、糸が通る相手じゃなかったね。失敗失敗。糸巻も壊れちゃったしなぁ」
「あの化物を凍らせようと思ったんだけどね。見てこれ、100年は解けないわよ?」
私は急いでマリオさんにポーションを飲ませる。
ロゼールさんの腕はポーションではどうしようもないが、なんとか魔法で温めているらしく、凍傷の心配はないみたい。本当に100年解けなかったらどうしよう。
「おい騎士野郎!! ボケッとしてねぇで倒すの手伝え!!」
1人でホムンクルスの猛攻をしのいでいるゼクさんが叫ぶけれど、スレインさんはためらっている。
「待て……。皆に聞きたいんだが、あれは倒すべきだと思うか?」
「それがいいと思う」
「私は反対よ」
またしても、マリオさんとロゼールさんの意見が分かれた。
「ロゼール、反対の理由は?」
「だって、ほら。あんなに錯乱してるヤーラ君が、あの子にだけは名前呼んで、甲斐甲斐しくお世話して……やだもう、可愛い。苦しみとか悲しみとか愛憎とか全部ないまぜになってるヤーラ君、ホント可愛い」
話が逸れていく。感情が暴発しているあの状態も、彼女にとっては愛すべき人間らしい姿なんだろうか。
マリオさんが補足するように話を戻す。
「彼が使ってる『アーリク』って、北国の人が親しい人に対して使う呼び名だよね。だから、あのホムンクルスは、彼の――」
『弟』
2人が口を揃えて断定した。
スレインさんが言っていた。ヤーラ君は両親とまだ幼い弟を殺されてしまったと。
カミル先生が言っていた。ホムンクルスの素材は死体でもいいと。
あれは――ヤーラ君が弟の亡骸で作ったもの……?
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