残酷な現実
狭い小屋の中ではゼクさんの大剣は不利――なはずなのだけど、射程の長い刃は屋根や壁を構わず切り裂きながら暴れ回っている。壁際に追われたレケルは腕に黒い魔力の塊のようなものを作り出し、その刃を食い止めた。
それらが接触した瞬間、すさまじい衝撃波が壁や屋根を巻き込んで炸裂した。
「きゃ――っ!! ちょっと、私たちが隠れるところなくなっちゃうじゃないですか!!」
「うっせぇな、もっと離れてろよ。ぶった斬っても知らねぇぞ」
仕方なく、私とエバさんは這うように狭い戦場を脱出して、木々の中に身を隠すことにした。
その間にもゼクさんとレケルの凄まじい戦闘の音が何度も空気をビリビリと震わせていた。
「グオオォォ……」
獣のような呻き声にはっと顔を上げる。異形となった村人の1人が、私たちの行く手を阻んでいる。
「いやっ!!」
エバさんが悲鳴を上げると同時に、その村人の右足がぐいっと引っ張られて、木に逆さまに吊り上げられた。
「マリオさん!」
左腕の糸巻のような魔道具がギリギリと糸を引っ張っている。彼の切れ長の細い目が、逆さ吊りにされた村人の顔をじっくりとなぞった。
「――彼はディエゴか。昼間、ぼくがギターを貸してあげた人だ」
「……」
昼間の賑わいと、人々の陽気な姿を思い返す。あんなに楽しそうにしていた人たちが、こんなに恐ろしい容貌になって、私たちの命を狙ってくるなんて……。ここに住んでいるエバさんなんて、なおさらショックは深いだろう。
マリオさんはつい数時間前に友達になったであろう人を見ても、恐怖や悲しみなどおくびにも出さない。
「彼らは単純な動きしかしない。ぼくが注意を引きつけるから、君たちは見つからないようにしてて」
「はい」
言われた通り、私たちは草陰に身を潜めた。
ゼクさんのほうは、珍しく防戦一方になっている。魔法を使えるぶん、レケルのほうが手数が多いせいだ。
マリオさんは、ちょこちょこ走り回って村人たちを集めている。注意を引いてくれているのだろうけど――だんだん、人の群れに絡めとられていく。
あっ、と声が出そうになった。
マリオさんを囲んだ村人たちが、一斉に飛び掛ったのだ。あれでは袋叩きだ。
ところが密集した人々の隙間をすり抜けるように、マリオさんの身体が上に飛び出した。
――空を、飛んでる!?
一瞬そう見えたのは気のせいで、彼は左手の魔道具が糸を巻き取る力で飛び上がっているだけだった。糸は高い木の幹に引っかかっているらしく、そこに綺麗に着地する。
本当に単純な動きしかしない村人たちは、その木の根元にわらわらと群がり、先頭の人からよじ登ろうとする。
マリオさんは糸の束を新たに引き出すと、網でも放るように下方の群れに振りまいた。
そして木の上からひょいっと飛び降りたかと思うと、シーソーのように入れ替わりで村人たちが一気に吊り上げられた。
肉眼で捉えづらい細い糸を無視すれば、いきなり人が空中に固定されてしまったように見える。
鮮やかな糸捌きを披露したマリオさんは、抜かりなく村人たちの顔を1つ1つ確かめていた。
別の方向から、地面に隕石でも激突したような強烈な破壊音が鳴り響いた。
見ると、ゼクさんが振り下ろしたらしい剣を地面にめり込ませている。その前方には、左腕を切断されたレケルがいた。
「ぐ……! 貴様、なぜこれだけの魔法を食らっても生きている!?」
「テメェがクソザコなだけだ。残りの手足も切り落としてやっから、覚悟しろ」
しかし、レケルが切断面に治癒魔法をかけると、なくなった腕がすぐさまズルリと生えてきた。この回復力は驚異的だ。
「舐められたものですね。わたくしほどの魔力があれば、この程度の傷など」
「へぇ」
ゼクさんはひるむどころか、口の端を嗜虐的につり上げる。
「じゃあ、テメェの身体はいくら切り刻んでもいいってことだな?」
ぞわっと寒気が背筋を走る。一瞬恐怖に飲まれたのはレケルも同じで、わずかに身を引いた。
その隙を、殺気に血走る紅い瞳が確かに捉える。
まず、両腕が吹っ飛んだ。
「――ッ!!」
驚いたレケルは逃げようとするが、腕がなくなったためかバランスを崩し、うつ伏せに転ぶ。
その背に大剣を引きずる悪魔のような影が覆い被さって、大きな足が踏みつけるように乗せられる。動けなくなったレケルの足の付け根に、銀色の刃が突き立てられた。
刃は右へ左へ揺れて、肉や骨を抉りながら深く深く沈みこんでいく。
「うぎゃああああああっ!!!」
上品ぶっていた魔人の、情けない悲鳴が辺りにこだまする。
「どうした。手足生やしてみろよ。まだ刻み足りねぇぞ。そうだ、テメェの目ン玉も抉らなきゃいけねぇんだ。早くしろよ」
どす黒い血を絡めながらずるりと抜けた剣は、容赦なくもう片方の足にも突き刺さった。
「ぐあああああああっ!!! きっ……貴様、勇者じゃないのか!? こんな残虐な……」
「あ? テメェと同じことしてるだけだろ。ボケてんのか、クソ魔族」
剣がぐりぐりと身を抉るたびに、苦痛の絶叫が響く。
あまりにも、むごい。ゼクさんはいつも過剰に敵を痛めつけてしまう。魔族への憎しみがそうさせるのかもしれないけれど、こんなのはあんまりだ。エバさんまで怯えてしまっている。
今日はスレインさんもロゼールさんもいない。誰が彼を止められる?
「彼らを元に戻す方法はないの?」
凄惨な光景など存在しないかのようなマリオさんの声に、ゼクさんは手を止める。
「……どうなんだ。答えてくれりゃ、目ン玉は勘弁してやるぜ」
「あ……ああ、あるとも。あります。解除の魔法をかければ、すぐに」
「嘘だったらタダじゃおかねぇ」
ゼクさんは手足のなくなったレケルの首根っこを乱暴に掴み上げ、縛り上げられた村人たちのほうに突き出す。
レケルの両目に紫色の光が溜まっていく。魔術を発動する準備をしているようだ。
――が、その眼が光の糸を引きながら、私たちのいるほうへと旋回した。
「1人でも葬らねば、魔王様に申し訳が立たん!!」
紫の光は一筋の線となって、こちらに突き進んで――
私はその光線に貫かれる前に、何かに引っ張られるように地面に転がされた。
「きゃっ!?」
すぐそばを紫の光線が通り過ぎて、後ろの大木を焼き焦がす。
「やっぱり嘘かー」
いつマリオさんは私たちに糸を絡ませていたんだろう。ともかく、助かった。
ほっとしたのも束の間、耳を裂くような怒鳴り声が上がる。
「テメェ!!!」
再び怒りに沸いたゼクさんは、その太い指をレケルの右目に思いっきり突っ込んだ。
「ごあああああっ!!!」
「ふざけやがってクソが!! とっとと吐け!! あいつらはどうやったら戻るんだよ!!」
「ぎ……ぐぐぐ……っ!! な……ない!」
「ああ!?」
「な、ない……です。あれは……わたくしの血を飲ませ、中から魂を侵食する術なので……あれはもう、魂がない。死体と同じ、なのです……」
――嘘だ。
元に戻す方法はない。だったら、もう……。
「殺すしかないね」
あまりにも無情なことを、マリオさんはさらりと言った。
わずかの間、夜の静寂が戻ってくる。死体と言われた村人だったものたちの低い呻き声だけが、無言の空間に染みこんできて、いやに耳につく。
やがてゼクさんの荒い息遣いが聞こえてきて、やり場のない感情を内部に煮えたぎらせているように震え出した。
「嘘を……つくんじゃ、ねぇ!!!」
血でべったりと濡れた指が、レケルの残った目にも食い込んだ。
「なんかあんだろ、1つくらい!! 吐かねぇと、ぶっ殺すぞ!!!」
「いぎゃああっ!! む、無理ですっ!! もう――あがっ!! ああああっ!!!」
凄絶な悲鳴と暴力の音。それが遠くに聞こえるくらいの、残酷な現実。
どうして、罪もない人々を殺さなければならないの?
お兄ちゃんがいたら――お兄ちゃんなら、助けられたのかな。
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