魔人襲来

 引きちぎられたドアだった木片が乱暴にガランと転がされ、落下したランプが床を鳴らす。入り口の空洞に立つパブロさんの姿が下から照らされて、その人間とは思えない容貌が鮮明になった。


 肌は青黒く変色し、白目を剥きながら全身の血管を浮き上がらせている――異形の怪物のような姿。


「っ……!!」


 恐ろしさに身体を締め上げられつつも、必死に思考を巡らせる。あれは何? 彼はどうなってしまったの?


 魔人の仕業だ。私は直感した。

 あの常軌を逸した腕力。魔人は自ら手を下すのではなく、村人を化物に変えて他の人を襲わせていたんだ。


『何があった!! 敵襲か!?』


 ゼクさんの鋭い声が上がっても、私はそれから目を離せなかった。


「パブロさんが……た、助けないと」


『落ち着いて。すぐ行くから。絶対にそこから動かないでね』


 マリオさんに動くなと言われても、パブロさんだったものは今にも襲い掛かりそうな気配で私を見据えている。獲物を狙う猛獣のような、荒い呼吸を刻みながら。


「グゥゥゥ……ガアアァァアアアッ!!!」


 この世のものとは思えない絶叫を響かせて、彼は私に飛び掛かろうとした。

 咄嗟に身を屈めて痛みが来るのを覚悟するが、それはいつまで経ってもやってこなかった。


 ――見れば、青黒い身体は糸にびっしり巻き付けられ、身動きが封じられていた。


 マリオさんだ。罠を張っておいてくれたんだ!


『おい返事しろ、うすのろ女!! どうなったんだよ!!』


「と、とりあえず助かりました。マリオさんのお陰です」


『それはよかった。ぼくも今そっちに――あっ』


 2人の声が途絶える。どうしたのかと聞く前に、こちらに近づいてくる足音に意識を持っていかれた。


「あの、今の音は何ですか? 大丈夫ですか?」


「エバさん、来ないでください!!」


「え?」


 こんな光景を見せるわけにはいかないと叫んだのも虚しく、彼女は壊れたドアから無防備に顔を覗かせてしまった。


「な……何、これ……。あなた、なの……?」


 夫の変わり果てた姿に絶句して、エバさんは顔面蒼白になっている。


『テメェら、逃げろォ!!』


 事態は私たちを悠長に待っていてはくれない。ゼクさんの大声が警鐘を鳴らした。


『村の連中が化物になって襲ってきやがった!! 1人2人じゃねぇ!!』


 パブロさんだけじゃなかったんだ。他の人たちまで、あんな姿に? いつ、どうやって? パニックになりかけている私を、マリオさんの冷静な声がなだめてくれる。


『エステル。君はエバを連れて逃げたほうがいい。君の居場所は村中に知られているからね』


「はいっ! エバさん、早く!」


「何が……なんで……」


「エバさん!!」


 放心している彼女の手を引いて、無理やり連れて行く。



 裏口から音を立てないよう外に出た私たちは、夜の闇に紛れながら、注意深く移動する。

 茂みに隠れて<ホルダーズ>を起動し、2人の位置を確認してみると、両方村の中心に沿った目立つ場所にいる。どこかで2人が来るのを待ったほうがよさそう。


「この辺りに隠れられる場所、ないですかね」


「は……ああ、ええと……離れ小屋みたいなものなら……」


「そこに行きましょう」


 悲鳴、叫び声、破壊音……耳を覆いたくなるような音を遠巻きに、エバさんの案内に従って進む。


「あ、あれです」


 その建物には、見覚えがあった。ところどころ穴だらけの、小さな小屋――ああ、そうだ。最初に私たちが泊まることになりそうだったところ。結局ここのお世話になるなんて。

 穴だらけでところどころ朽ちていても、死角になるスペースはありそうだ。私たちはそっと中に入った。


「どうして、こんなことに……」


「……きっと、助ける方法はあります。これは魔人の仕業です。元凶を見つければ、元に戻す方法がわかりますよ」


 エバさんを元気づけるために、私はあえて断定的な言い方をした。

 だけど――すぐに別の誰かの声が、暗闇から飛んできた。



「いいや、そんなものありませんよ」



 知らない男性の声。小屋の奥から静かに響く。そこに目をやれば、窓とも穴ともつかないところから入った月光に浮かぶ、黒い人影。


「こんなボロ小屋に人が来るとは……。村人が近づかないから、都合がよかったのですが――まあ、仕方ありませんね。こちらで処理しましょう」


 黒が晴れていくとともに、その姿がはっきりと目に入る。


 青い肌。尖った耳。黒い目に赤い瞳。頭部に2本の角。

 ――魔人だ。


「……おお、よく見れば人間の勇者ですね。これは幸いです。あなたを殺せば、魔王様も喜ばれる。わたくし、レケルと申します。お見知りおきを」


 そんな……避難した小屋に、魔人がいたなんて。

 逃げなきゃ。そう思っても、竦んだ足は言うことを聞いてくれない。せめて、エバさんだけでもどうにか逃がせれば……。


「――そちらのご夫人だけでも逃がそうとお考えで?」


「!」


「いけませんね、村人は皆殺しにする予定でして。あなたがた勇者が釣れたから、もう用済みなんですよ。せっかくですから、わたくしとしては――できる限り惨たらしく殺して、魔王様のご威光を知らしめたいところなのです」


 レケルがパチッと指を鳴らすと、小屋の外に魔法陣が出現したのが壁の隙間から見えた。そこから異形となった村人の1人が召喚され、こちらに飛び掛かるような勢いで迫ってくる。


 腐りかけた壁が轟音を上げて破り倒される。大きな穴から見えたそれは――パブロさんだった。


「あ、あなた……」


「糸などと、小賢しい真似をしてくれましたね。さて……『愛する夫に惨殺される妻』というのも美しいのですが、『夫の暴虐をなすすべなく見届ける妻』というのもなかなか面白いと思いませんか?」


「や、やめてください!! 殺すなら、私にして!!」


 エバさんが必死に叫ぶと、レケルは口元を歪めて尖った牙を晒す。


「いいですねぇ。やりがいを感じます」


 怒りが恐怖を上書きして、ようやく足が自由になった。私はじりじりと後退する。背中がピタリと壁につく。


「もう逃げ場はありませんねぇ……。さあ、殺せ!!」


 レケルの掛け声で攻撃を受けたのは――私ではなかった。

 風を裂くように飛び込んできた大柄な影が、異形となったパブロさんを背中から蹴り倒したのだ。


「殺されんのはテメェだ、クズ野郎」


 振り向きざま、大きな傷と赤く煮えたぎる眼差しが月明りに照らされる。


「グ……オオォ!?」


 蹴り倒された身体は、いつのまにか糸で拘束されている。消失した壁の外に、糸の束を握りしめるもう1人の姿があった。


「すごいねー。どうやって脱出したの?」


 2人――ゼクさんとマリオさんには、実は<ホルダーズ>を通じてこの小屋に行くことを伝えておいたのだ。間に合ってよかった。


「これはこれは……わざわざ倒しやすいように集まってくださるとは、ありがたい。わたくしはレケルと申します」


「ぼくはマリオ。友達になろう」


「面白いことを言う方だ」


 マリオさん、こんなときまでそれ言うんですね……。


「しかし、よろしいのですか? ここに来ては、わたくしの手駒となった者たちが他の村人を襲ってしまいますよ。彼らを見捨てて――」


 言い終わる前に、ゼクさんは素早く間合いを詰め、レケルの頬に拳を叩き込んだ。


「ッ!?」


「テメェこそ、自分の手駒なしでやるんなら俺が秒殺しちまうがいいのか? どちらにせよ、俺が勝つがな」


「くっ……」


 レケルはまた指を鳴らして、異形となった村人たちを次々と召喚した。私たちのいる小屋があっという間に正気を失った人々の肉壁で囲まれる。


「おい糸目、バケモンども全員縛っとけよ」


「オッケー」


 マリオさんはパブロさんを縛った糸を木に結びながら、緊張感のない返事をした。


「女どもは隅っこに隠れてろ。俺はこのクズ野郎を八つ裂きにしてやる」


 ゼクさんは大剣をするっと抜く。レケルはさっき殴られた傷に治癒魔法をかけている。魔人はこれが厄介だ。


「人間とは野蛮なものですな。八つ裂きにされるのはどちらか、教えて差し上げましょう」

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