閑話 神眼の記憶

最初に思い返したのは、兄の手で川に突き落とされた時のこと。苦しかった。息ができなくて冷たくて。どうやら私はしばらくするとぴくりとも動かなくなって水面にぷかぷか浮いていたらしい。周りの大人たちが急いで引き上げてくれた時、左眼が光って私は息を吹き返した。その数秒間の記憶はなかったが、なんだかスッキリした気分になって起き上がったら、目の前に兄の顔があった。恐怖で歪んだ顔だった。


兄の性格とか家の事情とか私の立場とか、そんなことはどうでも良い。私は兄のことを誰にも話さなかったから。私はいつのまにか帝都に連れて行かれ、いつのまにか"神眼"の持ち主と呼ばれ、11歳になった頃にはいつのまにか王宮で特別な仕事を貰っていた。


28歳当時の私、デキズリー・ジラは宰相の補佐官で、3歳の息子を1人で育てていた。彼が生まれる前に戦死した父親と同じく、息子は金の眼を持っていなかった。よかった。本当によかった。

そんな時だった。彼が訪ねてきたのは。

「実験・・ですか?」

その男は"神眼"の原理を究明したいと言った。ノブレス・オブリージュという良い言い訳が浮かんだ。この男が私を救ってくれるだろうか?

「協力しましょう。君の名前は?」

「オーディン。シノノ・オーディンです。」

実験は楽しくもなく辛くもなかった。頭に剣を刺しては抜き、剣を刺しては抜き。帝都にやってきた当時さんざんやられたようなことをやっただけだった。

ただ、1度だけ首を切り落としたとき。あの時は本当に痛かった。彼も遠慮すると言ったしもうやりたくない。

・・・もうやることもないか。


ある寒い冬の日。実験が終わった後のことだった。頭に付けられた変な装置を取って私はこう尋ねた。

「オーディン。私の眼にあるこの数字。どんな意味を持つと思いますか?」

ずるい質問だったと思う。

「残機数・・だろうな。」

「なら。」

私はこの後に続く言葉を言うべきでは無かったかもしれない。

「ならば、この数字が10000になって、1000になって100になって、マイナスになったら?私はどうなるんですか?」

オーディンは答えなかった。ただ私に背を向けて、何かの装置をいじっていた。

「私は、私は・・」

怖い。生きるのが怖い。死ぬのが怖い。誰も知らない道を1人で行くのが怖い。人の10万倍の時を生きて誰にも知られず死ぬのが怖い。怖くて怖くて、得体の知れない自分が怖い。自分の体が怖い。

この眼が、怖い。

オーディンは無言で私を抱きしめた。右目から涙が落ちる。左目はただ、無機質な数字を刻んでいた。

この眼さえなければ。あの時、川で溺れ死んでいたら。


完全な暗闇。洞窟のような場所で、私は昔のことを思い返している。

生きたまま龍に食われながら、左目の数字が少なくなっていくのを感じる。正確な数字は分からない。しかし自らの命が、遠のいていくのを感じている。

食われては排泄物から復活し、食われてはを繰り返す。最早痛みは感じない。"神眼"を持っていてよかったと初めて思う。

「時間は、稼ぎましたよ。オーディン。」

左目の光が消える。龍の顔面が迫っている。ごしゃり。命が壊れる音を聞くともなく聞いている内に、私の意識は深い深い闇に吸い込まれた。

「夜を超えて。未来の、その先へ・・」

彼の好きだった歌を口ずさみながら。

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