雲の糸/Love Under the Cloudy Yarn

和泉眞弓

Lucy is the Sky with Diamonds

 縷糸ルーシーなどという当て漢字を与えられてもまともに書くこともないしいっそカタカナがよかったと、ルーシーは思う。

 十七歳になるルーシーはこの国が好きではない。この国に四季があり一年を通して空模様が安定しないことも輪をかけて好きになれない。

 実際ルーシーの体調や気分は空模様あるいは気圧にひどく左右される。この国の空は、ほんとうじゃない、とルーシーは思う。ルーシーには「み空」と呼ぶ、ほんとうの空がある。「み空」は外にも部屋の中にも自在に現れる。舌でとろかすあのタブレットがそれを連れてきてくれる。


きらきらのダイヤモンドのお粉は天蓋を満たし

木々の生命が樹液とともに迸り

音はスピーカーから姿を顕し箴言を告げ

あかりがレインボウシャウワアを撒き散らして


「ルーシー」

「またやったのか」

 とろんとしたルーシーの様子をみて養育者は金属を引っ掻くような耐え難い声を出す。


み空の中から口ばかり大きい養育者の顔

おもむろにあらわれ

むきだしの歯が吠えかかり


「やるなら自分で金稼いで自分の金でやれ」


 ルーシーが「み空」から帰ってくるころを見計らって、養育者はルーシーを打ちつけて説教する。ルーシーはぶたれながら養育者を遠く見下ろしている、いや、見下している。心だけをここから離して痛くならない術を知っている。そして自分を打ちつけるこの大人の、ベッドサイドの引き出しに、あのタブレットが山ほどあるのも知っている。


 

 あたしのみ空は

 いつも穏やかで晴れていて

 ピンクバイオレットグリーンブルーどれでも口にすればたちまちみ空が色づいて

 幼稚園の時に描いてへんな色と怒られた動物たちがみ空でそのまま生かされており——


 ——ダメだ。

 時にルーシーはタブレットにたよらずに「み空」を想い描こうとするけれど、その想像力はタブレットが生みだす世界を越えることができない。どれもこれもカスみたいなもので、やがて諦める。そして、少しだけ、と、隠し置いたタブレットに手を伸ばし、ちびちびと残りを惜しみながら含んでしまう。


鏡のはまった土人形

抱える風花アスベスト

おおきく息をすいこめば

肺はダイアのコスモスに


傷から顔出すおともだち

左右非対称のおともだち

万華鏡の瞳がかちり

まともじゃないねとひらり去る


「このごくつぶし」「身体でもなんでも使って稼ごうという気すらないのか」「天気がとかなんだとか都合良く仮病ばっかり使いやがって」


晴れのち時々養育者

くちが沢山吠えるでしょう

彩雲の裂け目から養育者

非対称のおともだち

ほんとにあたしのおともだちなら

ナパームピンクに蹴散らして



 コツ、コツ、と雨に混じって叩くような小さな音がする。

「ね、ね」

 女の子の小さな声も聞こえた気がして、ルーシーは窓に近づいた。

「おねえさん、雨宿りさせてよ」

 見ると、小学校高学年くらいの痩せた女の子がずぶ濡れで、ひょっこり捨て猫のように立っている。

 幻覚か、と何度か瞬きするけれど、その姿はかわりなく、雨はますます強まっている。知らない子、なんて不用心な。ルーシーは細いその子を引き上げて、バスタオルを引っ張り出しその子を包む。彼女が拭いている間に、足でタブレットをベッド下にそっと押し込んだ。

「おねえさん、ありがと」

 乾いたタオルで顔と髪をこすって人心地のついた少女は、ルツと名乗った。「変わった名前でしょ。聖書からとったんだって。お母さんは昼も夜もいつもいろんな教会に行くの、信心深いのよ」

 ルーシーは疑いの目でルツを見た。日曜礼拝以上の信心を勧める新興宗教の類か。雨があがったら、出て行ってもらおうとルーシーは密かに決めた。


「おねえさんは、お母さんと同じ目をしてる」


 ルツはまるい目でルーシーを射抜くように見る。ごまかしのきかない、黒々として吸い込まれそうな瞳。けっして表面的な瞳の色の類似を言っているのではないと直観させる瞳だ。

「おねえさん、名前は?」

 底をつかまれたようになったルーシーはするりと答えてしまう。「ルーシー。漢字もあるけど、難しいからカタカナでいい」

 ルツは笑顔になる。「よかった。変わった名前、私だけじゃなかった。ルーシー、漢字もおしえてよ」

「むずかしいよ?」

「私、名前が山川ルツのくせに漢字検定三級なんだよ」

「画数少なかったらテストで名前書く時間省略できて有利じゃん」

 そう言いながらルーシーは「縷糸」と紙に書く。一緒に画数を数えると、縷一字で山川ルツの総画数をかるく超える。どちらともなしに二人はくすくすと、やがて声をたてて笑いはじめる。

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