第31話 妙な子供

「よーうワネ、元気してるか?いつもより肉多めにしといたからなぁ」 



 配給兵のロンドルが十日前と同じことをいいながら食料の詰まった麻袋をドサリと地面に置いた。



「ありがとうロンドル、気をつけて下山してくれ」



「ああ、また十日後にな。それまで鼬熊に食われるんじゃねぇぞ」




 ◆◇◆◇◆◇




 その日もいつもと変わらない一日だった。



 夕刻の見回りを終えたをワネは小屋に戻って夕食の準備を始めた。先ほどロンドルが持ってきた干し肉と乾燥米にその辺りから収穫した野草を混ぜて川の水で煮たものが主食だった。



  野草多めの肉鍋をコトコト煮込んでいる時、外から物音がした。風じゃない、生き物の声のようだ。



 ワネは猟銃を手にして扉付近に立って外の気配をうかがう。少し前に大型の鼬熊を見かけている。深呼吸を一度してからゆっくりと外に出た。



 周囲の気配をうかがっていると、「ギアッギアッ!」と獣の声が聞こえた。威嚇しているようだが鼬熊のものではない。



「ギギッアァ!」また聞こえた。これは鼬熊のものだ。どうやら鼬熊が小動物を襲っているようだ。それなら放っておいてもかまわないけど、いかんせんワネの小屋から近い。様子を見て、できるなら追い払ったほうがいい。声の方向に枝葉をかき分けて進んだ。




「ギアッギアッ!」「ギギッ!」




 ワネが見たのは巨大な鼬熊が小柄な人間に今にも飛びかからんとしている光景だった。人間は大木に背中を預けて座り込んでいるが鼬熊を睨みつけている。その顔つきから見ると少年のようだ。




 少年が「ギギッ!」と獣の声を発した。すると鼬熊がうなり声を出しながら体を沈めた。まずい、飛びかかる体勢だ!




 ワネは猟銃を構えて標準を合わせると、迷わず引き金を引いた。




 銃声が響いた。配属されてから発砲したのは初めてだったため、予想以上の衝撃で尻もちをついた。おそらく銃弾もとんでもない方向にいったはずだ。




 その体勢のまま再度標準を合わせようとすると、鼬熊の姿はすでに消えていた。次に大木の幹に目を向けると、少年と目が合った。




 鼬熊には当たらなかったが、追い払うことは出来たようだ。




 ワネは立ち上がると少年に近づいた。「おい、大丈夫か?」




 少年は答えずに鼬熊を見るのと同じ目つきをワネに向けた。




「鼬熊は逃げた。もう大丈夫だ」銃口を上に向けてもう一歩近づいた。




 少年は身構えながら口を動かした「モウダ・ジョブダ・・・」




 カタコトでワネの言ったことを復唱してきた。



「言葉、分からないのか・・・?」



「コト・バァカ・ラニカ・・・」



 ワネのことを睨みつけながら口を動かした。ワネの言ってる言葉をこの場で覚えようとしているのか?だとしたら知能は低くない。



 それにしてもこの少年はどこから来たのだろうか。この山は王国軍の管理下にある。山の入り口付近は関所が設けられているし、仮にそこを通れたとしても山頂までこんな少年が一人で登ってこれるとは考えられない。



 誰かに連れて来られて、途中ではぐれてしまったのだろうか。もしかしたら保護者は先ほどの鼬熊に襲われてしまったとか・・・?




 そんなことをもやもや考えていると、少年はスッと立ち上がってワネから逃げるように走りだし、茂みの奥へと消えた。




「あ、待って」ワネは猟銃の安全装置をしっかりセットしてから茂みに踏み込んだ。




 陽はすっかり沈んでこれからさらに暗くなる。早く捕まえて保護しなければ。




「わぁ!」ワネは何かにつまづいて顔から地面に落ちた。何につまづいたのかと思って目を向けると、脚もとには少年がうずくまっていて、小さな声でうめいていた。



「すまない、見えなかったんだ。大丈夫か?」



 少年は足を気にしている。ワネが触ってみるとヌルリとした感触があった。血の感触だ。どうやら先ほど鼬熊に追われた時に怪我を負い、走りだした拍子に傷口が開いてしまったようだ。



「大丈夫か?」



「・・・ダイジョ・・・」



 少年はそこまで言いかけて、表情を歪めた。やはり相当痛いようだ。




 ◆◇◆◇◆◇




 ワネは少年を自分の小屋に連れていった。



 まず傷の手当てをしなければいけないのだが、特に薬などは支給されていないのでワネが山で集めた薬草をすりつぶした物を傷口に塗った。




 少年は警戒の目でワネを睨みながらも、治療は大人しく受けた。



 治療を終えると少年は立ち上がり、ワネには何も言わずに部屋の角に移動して背中を向けて座り込んだ。



 仕方ないので放っておこうと思い、ワネは夕飯を済ませることにした。先ほど準備していたお粥はすっかり煮えている。お碗によそってかきこもうとした時




 グッグ、グゥ~



 一瞬、先ほど追い払った鼬熊が戻ってきて小屋の外で威嚇の声を発したのかと思った。




しかし発生源は家の中だ。聞こえた方に顔を向けると少年と目が合った。



「・・・今の音は、お前の腹の音か?」



「イマノォトワ、オマエノハラノトカ・・・」



 ワネの言葉を復唱する。これではラチがあかない。



「腹減ってるのか?」



「ハラヘ、テル、ノカ・・・」少年は無念そうに言った。



 少年に草粥を与えると、恐る恐るといった様子で食べ始めた。



 一口目では顔を歪めたものの、その後はもりもり食べ始めて、けっきょくその後はお粥を二回おかわりした。そのためにワネは普段の半分にも満たない食事量となった。



 食事を終えた少年はふうっと一息つくと再び部屋の角にいって座り込み、すぐにスウスウと寝息が聞こえてきた。



 ワネはいつも自分がつかっている毛布を彼にかけると、部屋の反対側に移動して横になった。明日の朝は二人分の飯を準備しなければ。



◆◇◆◇◆◇




 物音がした。何者かが部屋の中を歩いている。目を開けると扉がバタリと閉められたところだった。そこでワネは昨夜の出来事を思い出した。



 少年が外に出たのか。ワネも起き上がって外に出た。夜は終わっているものの太陽はまだ出てきていない。あたりは薄暗く、もやがかかっている。



 こんな朝早くにどこに行ったのだろう。



 どこを探せば良いのか見当もつかない。名前を呼ぼうにもそれすら知らないのだ。



 おそらく少年は山を下りようと考えているはずだから、追いかけようと思った時だった。


グオゥ!!



 何かのうなり声が聞こえた。声量からいって相当の大型動物だ。しかし鼬熊のものではない。今まで聞いたことのない声だった。反射的にワネの両足が震えた。


 絶対に近づいちゃダメだ。自分の中の本能が訴えかけている。



 この場から離れた方がいい―――そう考えた時だった。



「アアア!」



 少年の声だった。先ほどのうなり声と同じ方向から聞こえた。


 襲われているのか!?




 しかし、助けに行くべきか判断が出来なかった。少年が対峙しているのはおそらく鼬熊よりもやばい生物だ。一刻も早くこの場から離れた方がいい・・・。



 ワネは自身の考えをまとめると小屋に向かって走った。小屋の中の猟銃を取って弾を装弾した。予備の弾も腰につけている革袋に詰められるだけ詰めて外に出ると、少年の声が聞こえた場所へ走った。



◆◇◆◇◆◇



 防魔鏡のすぐ近くで少年を見つけた。そして彼の前には、ワネのこれまでの人生で見たことのない化け物が立っていた。




 二足歩行のその生物は昨夜の鼬熊より二回りは大きく顔はオオカミに似ている。




そして何よりも異質だったのは、防具のようなものを身にまとっていたことだ。右手にはワネよりも大きい、先端の尖った棒状の武器のようなものを持っていた。




 ―――なんだ、あの化け物は!知性があるのか!?




 あんな化け物をどうにか出来るとは思えないが、恐怖心よりも少年を助けなければいけないという義務感が上回った。



 銃口をバケモノに向けて、息を大きく吸いこんだ。



「そいつから離れろおぉ!」



 少年がこちらを見て驚いた表情を見せた。それと同時にワネは引き金を引いた。



 発砲音と同時にワネは後方によろめいたが、すぐに体勢を立て直して前を見すえた。



 化け物は・・・先ほどと変わらない様子で立っている。



 化け物はワネのことを睨みつけている。銃弾は当たったのか分からない。



 再び銃口を向けた。この銃は二発まで撃つことが出来る。しかし次の瞬間、バケモノは持っていてた槍をワネに向けて投げつけた。予備動作は見えなかった。




「ヒュッ」と短い風切り音が聞こえたと思ったら胸の辺りに衝撃と熱が通り抜けた。

 槍が貫通したようだ。




「・・・・!」息を吐き出そうとしたらゴボゴボと喉の奥から音がして口と鼻から血が溢れ出た。その瞬間視界は闇に覆われて、サーキの笑顔が浮かんだ。




 ダメだ、死ぬわけにはいかない。僕が死んだら妹が施設から出されてしまう。




 サーキが一人で生きていけるようになるまで死ぬわけにいかないんだ。歯を食いしばれ、僕はまだ生きるん―――




 ワネの意識は闇の底へと落ちていった。

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