第30話 王国軍 ベッチャ大尉

 転機は突然訪れた。




 ある日の夕方、二人で採ってきた野草や根菜を煮ていると、誰かが扉をノックした。開けてみると、軍服を着た恰幅の良い男がワネが見下ろしてる。口元には立派なヒゲを蓄えているが頭部には毛が一本もない。軍服の左胸には勲章が付けられており、背後には背の高い軍人を二人を従えている。




 どう見ても偉い人だ。偉い人が突然うちに来た時の対応を知らないワネはどうしていいか分からず、とりあえず頭を下げた。




「あの、こんにちは・・・」




 偉そうな軍人は挨拶は返さずにワネを頭から足の先までジロジロと見て、部屋の奥にいる妹にも視線を送ってからようやく口を開いた。




「お主らが我が軍の元英雄、ゴラトの子供達か!」




 こんな狭いとこでそんな大声だす必要はない、と文句を言いたくなるほどの声量だった。




 確かに父の名前はゴラトだったので「はい」と頷いた。




「私は王国軍、軍事部大尉のベッチャである!」




 威厳を含んだ口ぶりだった。唾もたくさん飛んだ。




 ワネは「はぁ、」としか返せなかった。




 ワネの反応に不満を抱いた様子のベッチャ大尉だったが、すぐに気を取り直したように表情を柔らげた。




「ワネ、お主に話があるんだ。決して悪い話ではないぞ」




 決して悪い話ではない、ということは良い話なのか。




 ワネは近くの飲み屋に連れていかれた。この店は夕方からなのでまだ開いていないのだが、ベッチャ大尉は気にする素振りも見せずに扉を開けて中に入っていった。ワネも彼のあとに続いた。




「まだ開いてないよっ」




 こちらに気づいた店主が厨房の奥から言葉を投げた。しかしベッチャ大尉の耳には届かなかったようで、店内の中央にあったテーブル席にドカリと腰を下ろした。




「酒を持ってこい!ぶどう酒でいい」さらに食べ物の注文までした。相変わらずの大声だ。




 店主が困った表情でやってきた。




「あのさ、だからまだなんだって・・・」




 そこまで言って、店主の顔色が変わった。ベッチャ大尉と彼の後ろに立つ屈強な軍人が二人。その三人を交互に見比べている。




「私の声が聞こえなかったのか?ぶどう酒を持ってこいと言ったのだ!」




「あ・・・はい、ただいま!」そう言って店主はバタバタと奥に走っていった。




 テーブルに無人の椅子が三つ残っているので全員座れるのだが、ベッチャ大尉以外は誰も座ろうとしない。 やがて店主が酒瓶と鉄のコップを持ってきてテーブルに置いた。護衛の男が瓶を取って栓を開けるとコップに並々とついだ。ベッチャ大尉はそれを一気に飲み干すと、コップをテーブルに叩きつけるように置くと、ギロリとワネを睨みつけた。




「ワネと申したの。お主は今、なにをして生きている?」




「あ、はい、人手を必要としていそうな人に声をかけて、仕事を手伝ってお駄賃をもらい、それで生活しています」具体的には少し違うが、本当のことを軍人に言うのは得策ではない。




「そうか。そんな生活では苦しいだろう」




「・・・はい」




 素直に頷くと、「そうか」と大尉は満足そうに頷いた。一体なにが目的なのか、見当もつかない。




「ワネとやら、王国軍に入らぬか?」




「ええ!?」




 国王軍に入るには十八まで学校に通って卒業しなけらば入れないと聞いたことがある。ワネはいま十六歳になったばかりだ。それを伝えると、大尉は問題ない、と言わんばかりに顔の前で手を振った。




「そんなもん、私の力でどうにでも出来る。どうする?少なくとも今よりはまともな飯が食えるようになるぞ?」




 ワネの中では最初に浮かんだのは疑問だった。




「あの、質問していいでしょうか」




「何だ」




「どうして僕にそんな話を持ってきてくれたんですか?」




 ああ、それはな、前置きしてからぶどう酒を一口あおった。




「お主の父上は私は同期で、親友だったのだ」




―――父の親友?この人が?




「それでゴラトがポエン国軍を辞めたあとも、ずっと気にはしていた。そんなある日、あいつが失踪したという話を聞いて、いてもたってもいられなくなった。二人の子がいることを聞いてていたからな。親友の子の面倒を見たいというのは横暴なことだろうか?」




「・・・いえ、とんでもないです。嬉しいです」本心だった。ベッチャ大尉も満足そうに頷く。




「うむ、それなら入隊ということで話を進めてよいか?」




「ポエン国軍に入ったら、毎日家には帰れるのでしょうか」




「帰れる部署もあるが、そこは学歴がある者しか入れない。お主は住み込みの部署に配属になると考えもらいたい」




「それじゃ、お断りします」




「理由は?」




「僕が帰れなくなると、まだ幼い妹が生きていけなくなるので」




 ふぅむ、と大尉は自分のヒゲを触りながら天井を見上げた。それは少しの間だった。




「わかった。それでは我が軍が運営する養護施設にお主の妹を預けるというのはどうだ?」




「そこはご飯はちゃんと食べられますか?」




「無論」ベッチャ大尉が断言した。




 それを聞いてワネも即座に決断した。




「軍に入ります。どんな仕事でもやるので妹のこと、よろしくお願いします!」




 ワネは深々と頭を下げると、ベッチャ大尉は満足そうに頷いた。




「そうか、頑張るがよい。言っておくが君が軍を辞めたら妹も施設から出されることになるからそのつもりでいるように」




 サーキと離ればなれになってしまうけど、彼女が今より良い暮らしを送れるのなら断る理由はなかった。そしてどんな事にも耐える自信があった。




◆◇◆◇◆◇




 ワネが配属されたのはポエン王国の北部にあるクドラ山の施設だった。 




 ワネの任務はクドラ山の山頂付近にある洞窟を塞いでいる【防魔鏡】の監視だった。




 この洞窟の向こう側が魔証地区と呼ばれている、人間を食料とする憎魔の生息地帯だという。




 ワネはこれまで【防魔鏡】なんてものはおとぎ話の中のものだと思っていたが、それの見た目は鏡そのもので、触れてみると人の肌と同じくらいの温もりを感じた。




 主な任務内容は防魔鏡に異常がないかを朝と夕に二度見回ることだけで、ワネの寝泊まりする建物は施設とは名ばかりの小さな小屋だった。監視員はワネ一人だけで、人と会うのは十日に一度、食料を持ってくる配給員との接触のみだった。




 どんな辛いことをやらされるのかと身構えていたワネにとっては、拍子抜けするほど楽な仕事だった。


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