第6話 クドラ山への潜入②

 

 初めは強い揺れに目が回っていたけど、30分もすると慣れてきた。


 かわりに猛烈におしりが痛くなってきた。固い荷台の上でずっと同じ体勢でいたせいだ。


 これ、もう袋から出ても大丈夫だよね? 


 おしりから伝わる振動に顔を歪めながら恐る恐る袋から顔を出すと、辺りは一面木々が生い茂っていて、見上げると枝葉の隙間から陽光がきらめいていた。


 あー、涼しい!当然まわりに人の気配はない。


「あのう!」老人に声をかけた。振り返った老人に向かって質問した。


「もう袋から出てても大丈夫ですよね?」


 ああ、と簡潔に返事をして顔を前に戻した。彼からは話しかけてこなさそうなので、ルーロンがもう一度声をかける。


「お名前はミッカリさん、でいいんですよね?」


 老人が不思議そうに振り向いた。


「ごめんなさい、さっき守衛さんと話してるの聞いちゃいました」


 老人は納得したように頷いて顔を前に戻した。しかしルーロンはまだ話を終わらすつもりはない。


「ミッカリさんは、どうして私を馬車に乗せてくれたんですか?」


 ミッカリは前を向いたまま黙っている。聞こえなかったのか、無視されたのか、もう一回訊いてみようかな、と思っていたら渋い声が返ってきた。


「あんたが、女の子なのに記者をしてるからだよ」


 やっぱりか。しかしルーロンが記者をしてることに対しては否定的な反応を示す人間が多いので、こういった好意的な対応はむしろ嬉しかった。


「ありがとうございますっ」


「・・・ワシの娘は、絵を描くのが好きだった」


 ルーロンのお礼に反応したのか、ミッカリさんがポツポツと話を始めた。


「絵・・・ですか」


 ああ、と老人が前を向いたまま頷いた。


「もともとワシが売れない絵描きをしていたせいか、娘も小さい頃から絵を描くのが好きだった。ろくに仕事がなくて暇だったワシが描き方を教えるとどんどん上達していった。そして15歳になった頃『画家になりたい』と言い出した」


「画家・・・」


 女性の絵描きなんてこの国では聞いたことがない。ミッカリさんの言いたいことが何となく分かってきた。


「ワシは反対した。女の絵描きなど聞いたことがない、とな。しかし娘は断固として譲らなかった。そしてすでに弟子入りを許してくれている人がいると言ってきた。名前を聞くとワシなんかとは比べものにならない有名な画家だった」


 ルーロンは相づちも打たずに黙って続きを待った。嫌な予感しかしない。


「ワシは娘の意志を尊重して弟子入りにいくのを許した。そしてなんの音沙汰もないまま五年が過ぎた頃、娘は戻ってきた。『お父さんごめん、私が間違っていた』とな。それ以来、あいつが絵を描いてるところを見たことはない」


「・・・そうだったんですか」


 予想はしていたけど、何とも言えない気持ちになった。


 ルーロンの暗い声を気にしたのか、少し慌てたようにミッカリさんが明るい口調で言葉を付け足した。


「いや、でも娘は今はもう結婚して子供もいて、幸せにやってるよ」


「そうなんですか、それなら良かったです」


 ミッカリさんは女性がいるべきではない世界に飛び込んだルーロンを、娘と重ね合わせていたということか。


 風景を眺めていると大きな川が見えてきた。魚もたくさんいそうだ。鼬熊は魚を主食にしていることを思い出した。


 「ミッカリさん」ルーロンは老人の背中に再び声をかけた。


「今までこの山で鼬熊を何回くらい見かけましたかぁ?」


「まだ、1回もないよ」


「この仕事はどれくらい前からしているんですかぁ?」


「3週間くらいかなぁ」


 3週間?始めたばかりではないか。


「それじゃ、ミッカリさんは害獣事件が起きた時はこの仕事はしてなかったんですか?」


 ああ、と老人は頷いた。


「それまではなんの仕事をしていたんですか?」


「ワシは普段は城内への食料の配達をしているんだが、その仕事を続けながらここの配達もするように言われたんだ」


「それ、大変じゃないですか?」


 いいやぁ、と老人は前を向いたままのんびりと首を振った。


「城への配達は毎日午前中にしているけど、ここの配達は10日に1度、午後の配達だからそんなに負担にはならないよ」


「そうなんですかぁ。獣害事件の時に配給係をしていた人てどうしたんですかね?」


 ああ、と老人は声に不快感をにじませた。


「急に来なくなったそうだ。もともとどうしようもない奴だったからな」


「知ってる人だったんですか?」


「知っているというか、まぁ有名な奴だったからな。どこかの資産家の息子で、20歳を過ぎてもろくに働きもせずにフラフラ遊んでたような奴だったから」


「へぇ・・・、それでも心を入れ替えてポエン国軍に入ったってことですよね?」


 とんでもねぇ、とミッカリさんは前を見ながら吐き捨てた。


「困り果てた親父さんが、懇意こんいにしている軍のお偉方に頼んで無理やり入隊させたそうだ。でも当然兵士としては使い物にならなくて、10日に1回の配給係をやらせるしかなかったそうだ」


「その人の仕事、それだけだったんですか?」


「ああ、それ以外の日はプラプラどこかに出かけてて、城に備蓄されている食料を持ち出していたって話もある。本当にどうしようもない奴だ」


「そうなんですか・・・」


 さほど興味のある話でもなかったのでこれ以上は掘り下げなかった。


 会話が終わったのでルーロンは荷台に腰を下ろして、鞄に手を入れて資料を出した。


 昨日、編集長に頼んでポエン王国軍の情報誌を担当している記者を紹介してもらい、兵士に関する資料を借してもらったのだ。


 まずは害獣事件の唯一の生き残りのクダチ兵長の欄を開いた。


【クダチ・オースリアス:ほとんどの兵長が軍部学校を卒業している中、クダチ兵長だけは学歴がなく、現場からのたたき上げで出世してきた人物で、年に1度開催されている兵士の査定試合で優勝。その実績を考慮されて兵長に抜擢ばってきされた。そのため部下に対しても厳しい訓練を課していて、そのあまり厳しさに根を上げて他の兵長班への異動を希望する者があとを経たない。】


 資料はここで終わっていた。ジャンザザはこの兵長に鍛えられてきたのか。強くなった理由が分かった気がした。彼を兵長に任命してくれたベッチャ大尉への忠義心も厚いとも書かれていた。


 次にクダチ兵長をかばって殉職したベッチャ大尉の欄を開いた。


【ベッチャ・ガーロンド:代々国王に仕える家に生まれた生粋の軍人であり、軍部学校を主席で卒業。たぐまれな努力で40歳の時に軍部大尉に就任し、以来ポエン国軍の武力向上に心血を注ぎ続けている。15年前から始まった兵士の査定試合も彼が発案したもので、他国との戦争がなくなった現在、この試合の結果で兵士を査定するようになった】


 資料を読む限りはベッチャ大尉は軍の強さを高めるために公平にやっていたようだ。


 先月の査定試合で好成績を残したジャンザザは、兵長はまだ無理にしてもそれなりの昇進はさせてもらえるのだろうか。発案者が殉職した今、分かるハズもなかった。


 不意に何か聞こえた気がした。顔をあげて耳に意識をむけると「おぅい」と聞こえている。


 資料を置いて前を向いた。「はぁい、なんでしょうか?」


 ルーロンが返事をすると、ミッカリさんが前方を指さした。


「そろそろ山頂だよ」


 ルーロンは荷台の上で立ち上がって正面を見据えた。これまで変わらない鬱蒼とした樹木の間に申し訳程度の道が続いてるだけだった。


 ◆◇◆◇◆◇


「お嬢さんは防魔鏡の近くでいいのかい」


 はい、と頷きながらルーロンは辺りを見回した。景色はずっと変わらないものの、坂道から平地に変わっている。少しして馬車はゆっくり止まった。


「あそこに3本の太い木が並んでいるのが見えるか?あそこに向かっていけば着くから」


「ありがとうございます」ルーロンはお礼を言いながら荷台から降りた。


「お嬢さん、待った」呼びとめられて振り返ると、ミッカリさんが何を放り投げた。


 受け取るとズッシリと重い。それは小さな銃だった。目を見張ったルーロンに老人は笑った。


「空砲だよ。音だけで弾は出ない。鼬熊が出たらそれを鳴らしなさい。それで逃げるから、聞こえたらワシもすぐにここに戻ってくる」


「ありがとうございます・・・」ミッカリさんの気遣いに涙腺が弛みそうになった。


「用事が済んだらここで待ってくれ。帰りも乗せてくよ」


 そういうと老人はゆっくりと馬車を走らせ始めた。ルーロンは遠ざかっていく姿に改めて頭を下げた。


「よし、行きますかっ」


 頭を上げたルーロンは息を一つ吐いてミッカリさんに言われた3本並んだ大木の方向に歩き始めた。

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