第87話 エシカ

 船旅は順調だった。

メンテナンスやエネルギー効率を考えて、シーマたちには時速25キロメートルくらいの巡航速度を維持させている。

自転車で下り坂をとばすくらいのスピードだけど、それでもこの世界の帆船と比べたらずっと速い。

たまに風魔法を使って時速60キロメートルくらいを出す快速艇もあるんだけど、トップスピードは長続きしないようだ。

魔法を使う術者の魔力が切れてしまうからなのだろう。

何回か海賊船や海軍の巡視艇にも遭遇したけど、最高速度で40分も走れば、むこうは接近を諦めてどこかへ行った。

今も追いかけてきた軍船らしき船を撒いたところだ。


「ようやく振り切ったか」


 後方を仰ぎ見て、眼を細めていたセシリーが緊張を解いた。


「もう大丈夫かな?」

「ああ。連中も接近は無理だと悟ったのだろう。だけど、そろそろ考えなくちゃならないね。大きな港に近づけば近づくほど、巡視艇の数は増えるよ」


 帝国軍の船は海賊や密輸の取り締まりをやっているのだ。

別に検閲を受けてもいいと思ったけど、船内には2億5千万レーメンを超えるお宝があるので、変な難癖をつけられても困る。

セシリーに言わせれば、軍人が海賊まがいの略奪行為をするなんて日常茶飯事(にちじょうさはんじ)らしい。

こんなことなら、貴重品は西島に隠してくればよかったよ。

今からでも「囚われの天使」で西島へは行けると思うけど、船に戻ってこられるかは心配だ。

船のことは思い出せるけど、海の上はどこも同じに感じるから、場所が確定できない気がするんだよね。

 それに、心配事は財宝だけじゃない。

きっと俺にちょっかいをかけてくる兵隊もいると思うのだ。

軍規が緩いのか、あいつらはやりたい放題である。

なるべく関わり合いにならないように、チラリとでも船影が見えた時点で逃げることにしていた。


 帝都ルルサンジオンに行くには交通の便のよい、大きな港へ入るのがいいのだが、そういう場所では検閲や入国手続きが厳しいそうだ。

幸い俺たちの船は小型船なので喫水が浅く、小さな漁港でも停泊できる。

適当な場所で入港して、後は陸路を行くのがいいだろう。

馬型ゴーレムのシルバーも2頭いるので移動手段は問題ない。


「賑わっていない港を見つけて、そこに寄港しちゃおうか?」

「私もそれがいいと思うぞ」

「だったらアレはどうッスか? 人気のなさそうな場所っスよ」


 ミーナの指さす方を見ると、入り江になった場所に小さな漁村が見えていた。


「おお、いいんじゃない。ひなびた感じで趣(おもむき)があるよ」


 日本だったら、ああいう場所に隠れた極上の民宿があったりするのだ。

戦国武将の隠し湯があったり、美味しい地元料理を食べさせたりとかさ。

これまではもてなす側だったから、久しぶりに他人の作った料理も食べてみたいじゃないか。

考えてみれば、せっかく異世界に来たというのに、こちらの料理を食べたことがない。


「今日はあそこに泊まってのんびりしようよ」

「そうッス、軍資金ならいくらでもあるんだから、今晩は宴ッス!」

「小さな村だから期待はできないけど、地酒くらいはあるでしょう。ちょっと疲れた感じの寡夫(かふ)とかいたら最高です」


 なんて、ミーナとルージュは張り切っていたんだけど、港に降り立った俺たちは、ちょっと意表をつかれていた。

あまりに閑散とし過ぎていたからだ。

漁村だから当然のように船着き場があるんだけど、船は一艘も繋がれていない。

漁で出払っているのかな? 

でも、もうお昼過ぎだぞ。


「誰もいないね……」

「シロー、私の傍を離れるなよ」


 セシリーは油断なく周囲に目を配っている。

煙の臭いがしているから人間が生活しているのは確かだろう。

だけど通行人は一人も見かけなかった。


 港を抜けて住宅街の方へ歩いていくと、第一村人を発見した。

でも、様子が変だ。

家の壁にもたれながら、土の上にぺったりと座っている。

目もなんだか虚ろだった。


「こんにちは!」


 元気よく挨拶しながら近づこうとした俺の肩を、いきなりセシリーが掴んだ。


「待て!」

「どうしたの?」


 セシリーはしきりに鼻を動かして周囲の匂いを嗅いでいる。


「これは……」


 ミーナとルージュの顔色も変わっていた。


「どうしたんだよ?」

「シロー、わからないのか。これは人を焼く匂いだ」


 え?


「もしかして、お葬式の最中?」

「ちがう。葬式ならそのまま土に埋めるだろう」


 ああ、ここでは火葬じゃなくて土葬なんだ。


「だったら……戦争!?」

「それにしては戦闘音が聞こえてこない」


 四人で話し合っていると、ちょうど角を曲がったところの老人が驚いた表情でこちらへやってきた。


「あんたがた、どちらからやってきた!?」

「海からですが……」


 とっても曖昧に答えて、笑顔でこの場をやり過ごそうとしたのだけど、老人は沈痛な面持ちで頭を振った。


「なんてことだ。この村は疫病に侵されて封鎖されているのですぞ」


 それで人を見かけなかったのか。


「封鎖されているとなると、街道へは抜けられないのか?」


 セシリーの質問に老人の皺が濃くなったような気がした。


「兵隊が村を取り囲んでおります。船も全部取り押さえられました」


 それで港に船がなかったんだな。


「こっそり抜け出そうとした者もおりましたが、矢を射かけられて死にました」


 感染を拡大させないためとはいえひどすぎる。


「男将さんヤバイっす、すぐに船に引き返しましょう」

「う、うん……」


 ルージュとセシリーもすぐにきびすを返した。


「どうした、シロー? 兵隊に見つかったらまずいことになる。すぐに出航しよう」


 それはわかっているんだよ、セシリー。

だけど……。


「お父さん! アンが! アンが急に倒れて!」


 老人のところへ中年の男の人が走り寄ってきた。

まだ小さな女の子を胸に抱いている。


「エシカじゃ……。アンもエシカに……おお……」


 老人は両手で顔を覆って泣き出してしまった。


「シローさん、早く。エシカはヤバい病気ですよ!」


 わかっているって、ルージュ。

疫病なんて恐ろしくて、俺も足がガクガクするよ。

この世界に来てから、いろいろと怖いこともあったけど、今回も最悪な状態だよな。

すぐにでも逃げ出してしまいたいさ。

船があるんだから逃げ出すのは簡単だろうしね。

だけどさ……。

兵隊たちにレイプされかけたとき、ジャニスにレイプされてしまったとき、白蛆との戦闘のとき、ダンジョンの中で戦ったとき、いろいろと怖かったり、悔しかったり、苦しかったりしたけど、それでも俺は今だに幸せに生きているよ。

でも、目の前の女の子を放って逃げ出したら、一生幸せになれない気がするんだ。


「その子をみせて」


 震える足でなんとか一歩を踏み出した。


「シロー!」

「助けられるかもしれないんだ!」


 自分を鼓舞するように、ことさら大きな声を出した。

そうじゃなきゃ気を失って、セシリーに担がれて逃げ出してしまうという醜態を晒しそうなんだもん。


「貴方は?」


 縋るような眼差しでお父さんが俺の方へ走り寄ってくる。


「ただの旅人だけど薬の知識があります。とにかく見せて下さい」


 大地に寝かされた女の子を「修理」で診察した。


####


修理対象:人間(アン・ガボット 6歳)

説明:エシカウィルスに感染している(地球における麻しんと同じ)

脳炎を起こしかけている状態。

消費MP:1718

修理時間:181時間27分


####


 麻しんっていうのは、はしかのことだな。

地球でもそうだったけど、直接の治療薬はないようだ。

まだ万能薬を作れない俺としては対症療法で何とかするしかない。


「どうだ、シロー?」


 離れていたセシリーが俺の傍まできて一緒にかがみこんだ。


「熱だけなら解熱剤で何とかなったけど、脳炎を起こしかけている」

「それは、まずい状態なのか?」

「いま、対処法を調べてみる」


 創造魔法の検索機能を使って「脳炎」をキーワードに調べてみた。


「あった」


####

作製品目:抗ウィルス化学療法剤

カテゴリ:薬品作製

消費MP 873

説明:免疫機能の低下した患者に発症した脳炎・髄膜炎などに効果がある。

作製時間:11時間42分

####


「すぐに薬を作ります。とにかく安静にできる場所に寝かせてあげましょう」


 時間との勝負になりそうだ。

俺はセシリーたちに振り返った。


「感染するといけないから皆は船に戻っていて」

「だけど男将さんは?」

「俺は大丈夫。小さい頃に麻疹(はしか)をやっているからね」

「ハシカ?」

「ああ、エシカか」


 麻疹とエシカが同じなら俺は免疫を持っているはずだ。

たぶん……。


「一度エシカに罹った人は二度と罹患(りかん)しないんだよ。だから心配しないで」

「だが、シローを置いてはいけないぞ。万が一のことがあれば……」

「だったら私が護衛につきまーす」


 手を挙げたのはルージュだった。


「ルージュ?」

「昔、故郷の街でエシカの大流行があったんですよ。私もそのときに感染したんです、つまり経験者。お父さんはそれで死んじゃいましたけどね……」

「それは……お気の毒に……」

「シローさんの言うことが本当なら、私もエシカは大丈夫なわけでしょう? だったら私がお手伝いします」


 手伝いがいてくれるなら心強い。


「ありがとう、ルージュ。手を借りるよ」

「手でも胸でも何でも貸しますよ!」


 手だけでいいんだ、今は。

胸は……今度ね。


 一番力があるルージュが女の子を抱きかかえて、老人の家へと急いだ。

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