第46話 裏切り者たちの最期 後編

 ジャニスの恋人であるロイは二軒目の酒屋でようやく手に入れたラム酒を抱えて家へと走っていた。

わずかな時間でもジャニスを待たせてはならないという思いから、暗い裏路地を懸命に走っている。

閉店した店を無理やりに開けてもらったので、酒屋の店主にさんざん嫌味を言われてしまったが、気にもならなかった。

そんなものはジャニスに比べればちっとも怖くなかったからだ。


 母親の借金のかたに身売りを迫られたところを助けてくれたのがジャニスだった。

もっとも実情は、単に身売り先が娼館からジャニスのところへ変わっただけのことであったので、助けられたという表現は少々おかしい。

それでも、複数の素性もわからないような女に抱かれるよりは、ジャニス一人の男になる方がずっとマシだと思えたので、ロイはジャニスに感謝していた。

ジャニスは見た目だけなら美しいと言える容姿を持っているのも最初のうちは嬉しかった。

だが、ジャニスは情け容赦のない人間であり、人をさいなんで喜ぶような性癖を持つ女だった。


 二人で暮らし始めると、ジャニスは些細なことでロイを叱り飛ばした。

朝から晩までロイのアラを探し、失敗を責め、尋常とは思えない折檻せっかんを加えてくるのだ。

ロイはジャニスの眼に怯え、とにかくジャニスが怒らないように努めた。

また、折檻をした後や、ロイがジャニスの喜ぶようなことをするとジャニスもすごく優しくなるので、ロイはますますジャニスの言いなりとなっていった。

精神的、肉体的な圧力におびえたロイがジャニスの絶対的支配下に入るまでに十日もかからなかったのだ。

ジャニスが言った通り、ロイは完全にジャニスの操り人形になっていた。


 帰宅したロイが見た光景はとても信じられないものだった。

家は中央部だけが円形に崩れ、崩れた部分だけが深く地中にめり込んでいた。


「ロイ、これはどうなっているんだ?」


 近所の人が聞いてくるがロイにだってわからない。


「僕も今帰ってきたところだから……」


 近隣の者たちが会話をしていると、突然燻っていた煙が炎を吐き、損壊した材木へと引火した。


「まずい! 水魔法を使える奴を集めてくれ!」


 地区の顔役が声をかけ消火活動が始まった。

幸い発火場所が地中だったため類焼はなかったが、消火が終わった時にはジャニスの家は小さな水たまりのような具合になっていた。


 ロイは茫然としたまま、残った家財を調べていた。

建物の倒壊の危険はあったが、取り出せるものは取り出しておかないと明日からの生活すらままならない。

ジャニスはかなりの銀貨を持っていたから、それだけはなんとしてでも確保しておきたかった。

突然のことに気持ちの整理すらつかなかったが、ロイは冷静に家の中にできた2mほどの窪みへと降りて行った。

家の周りでは近所の住人がロイの様子を見守っていたが、手を貸すものは誰もいない。

建物は今にも崩れてきそうだったのだ。


 穴の底は消火の名残でビチャビチャだったが気にしている余裕はなかった。

わずかな風が吹くたびに損壊した柱や梁がギイギイなって生きた心地もしないが、背に腹を代えることはできない。

穴の中心部分辺りで女たちの死体は次々と見つかった。

どれもぺしゃんこにつぶれていて、見られたものではない。

だが、原型すらわからないほどに潰れていることが却ってロイの恐怖をそいでくれた。

死体の側には、これまたぺしゃんこになった銀貨が何枚か見つかった。

大慌てでそれらを拾い集めてポケットにねじ込んでいく。

その時、ロイは自分を呼ぶ微かな声を聞いた気がした。


「ロ……イ……」


 幻聴ではない。

か細い声であったがそれは確かにジャニスの声だった。


「ジャニス?」


 ロイはきょろきょろと周囲を見回した。


「こっち……だ……」


 かつてトイレのあった方向から声は聞こえる。

声のする方をよく見ると煤けた瓦礫の間でジャニスが倒れているのが見つかった。


「ジャニス!」


 大慌てで駆け寄ったがジャニスはほとんど動けないようで、ただ低く呻くだけだった。


「何を……している。早く……治癒士を……」


 ランタンの明かりに照らし出されたジャニスは血と煤で汚れ、顔の半分が火傷で醜くただれていた。


「わ、わかったよ……。でも、治癒士は前払いじゃないと絶対にきてくれないから……」


「腰のところに……財布が……」


 恐々と探るとポケットの中にずしりと重い財布が見つかった。

ちらりと確認すると銀貨ばかりではなく金貨も何枚か入っている。


「早く……行け……」

「わ、わかった」


 ロイは財布を掴むと穴の斜面を駆け上がった。

そしてそのまま大通りへと走る。

ルパント広場の角を左に曲がれば治癒士のいる家まではそう遠くない。

こんな夜の往診は嫌がるだろうが銀貨を7枚も出せば喜んで態度を変えるだろう。

そんなことを考えながら夜の闇の中を疾駆した。


 広場まにたどり着くと、若いロイもさすがに息が切れてきた。

ここまでガムシャラに走ってはきたが肺が悲鳴を上げている。

少しだけ、少しだけ呼吸を整えようと走るスピードを落とした。

もしかしたら後でジャニスに怒られるかもしれない、恥ずかしい恰好をさせられて鞭で叩かれるかもしれないという恐怖がロイを襲ったが、体が言うことを聞かなかった。


 後でジャニスに怒られる?


 ロイは先ほど見たジャニスの姿を思い出した。

全身は血にまみれ、顔は火傷で腫れ、骨も折れているように見えた。

尊大で冷酷で自信満々な普段のジャニスはどこにもなく、小さく、今にも死にそうな姿だった。


 あれで僕を叱れる? 


 あの折れた腕で僕を鞭打てる?


 いつものような、口にするのもおぞましいような卑猥な折檻なんてできるの?

 

 ずっと右手でつかみ続けていた財布の重みに、今さらながらロイは気がついた。

歩みを止めて曲がり角を見つめる。

あの角を左に行けば治癒士の家、右に行けば……。

その先に何があるかはわからないが自由があるような気がした。

早鐘のように脈打っていた心臓は落ち着きを取り戻しつつあったが、今度は抑えきれないほどに胸が高鳴っている。

大きく深呼吸をするとロイは再び大地を蹴って駆け出した。

そして三叉路の角をためらいなく右へと曲がる。


(これは、神様がくれた人生最大のチャンスなんだ!)


振り返ることもなく少年は闇の中を再び疾駆した。

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