第44話 裸足の死体

 女海賊セシリーはモンテ・クリス島を離れ、一人復讐の旅へと出ていた。

孤独な航海ではあったが、風は順調に吹き五日ほどでマルタヤという小さな港町につくことができている。

別れ際に安全な航海のおまじないと言ってシローがしてくれた額へのキスが効果を発揮したのかもしれない。

シローのことを思い出すと、復讐などせずにあの島へ残った方が幸せだったのではないかという疑念がいつも沸き起こったが、セシリーの燃えるような怒りを鎮めるまでには至らなかった。


 セシリーがこの港町へやってきたのは単なる偶然ではない。

マルタヤはセシリーが率いていた海賊団のホームタウンでもあるのだ。

一応、セシリーの表の顔は貿易船の船長ということになっていた。

船というのは定期的なメンテナンスが必要となる。

裏切り者のジャニスはすぐに次の航海に出ることはせず、ここで船の補修と新たな船員を募集すると踏んだのだが、その予想は外れていなかった。


 セシリーが付け狙う裏切り者は副船長ジャニス、アン、ヒラリー、フッチ、ブーテンの五人だ。

陸に上がった海賊がやることなど高が知れている。

どうせ飲む・打つ・買うのどれかだろうと、セシリーは繁華街を見下ろせる建物の陰に身を潜めて通りを見張った。

フードを目深にかぶったセシリーが、固太りした体を揺らしながら歩くブーテンを見つけたのは夕方のことだった。

セシリーの背中へナイフを突き刺した犯人であり、反逆の主犯であるジャニスに次ぐ憎悪の対象でもある。

夕闇の迫る町並みの中をセシリーはブーテンを尾行した。

ブーテンは町のイーストエンドへと歩みを進めている。

そこは歓楽街の外れであり、立ちんぼ男娼の多い区域でもあった。

大方、男漁りでもするのだろう、だったらやつを潰す機会はすぐに訪れるとセシリーはほくそ笑んだ。

思った通りブーテンは街角で男娼たちを物色し始めた。

やがて一人の気の弱そうな男を選んで値段交渉へと入る。

上手いこと折り合いがついたようだ。

二人は寄り添うように倉庫街へと歩き始めた。


(宿代をけちるために倉庫街へ向かったのかね? 相変わらずセコい女だよ……)


 倉庫街は夜ともなれば人気もなくなる。

いかがわしい行為をするのにはうってつけの場所で、一定間隔で女たちが男娼を抱くのに利用することが多い。


 ブーテンたちは細い路地へ少し入ったところで立ち止まった。

セシリーが物陰から二人の様子を窺うと、ブーテンは通路に落ちていた木箱にどっかと腰をかけているところだった。


「ほら、靴を脱がせてくれよ」

「靴を?」

「いいからさっさとしな!」


 語気を荒げたブーテンにおびえたのか、男はおずおずと靴を脱がせ始めた。


「これでいいの?」

「ああ、そしたら、アタシの足を丁寧に舐め清めるんだ」

「えっ……」


 男娼は動かなかった。


「ほらぁ、早くしな」

「そんなこと……」

「へぇ……できないっていうのかい?」


 スッと目を細めたブーテンの顔が醜悪に歪む。


「勘弁して。そんな頼みは、うぐっ!」


 ブーテンの太い脚が男娼の股を蹴り上げていた。

たまらずにうずくまる男娼の顔を汚れたブーテンの足が踏みにじった。


「お前は金で買われたんだよ。つべこべ言わずにアタシの言うことをきいてりゃぁいいんだ!」

「うぅ……」

「逃げられると思うんじゃないよ! アタシが満足するまで全身を舐めさせるからね! わかったかい!?」


 何度か男の腹をけり上げた後、ブーテンは男の髪を掴んで顔を上げさせた。


「返事はどうしたんだい?」

「……はい」


 気の弱そうな男は目に一杯涙を溜めながら頷き、ブーテンは満足げに笑った。


(チッ、相変わらず反吐の出そうなことをしやがる……。さて、どうしたものかね)


 人気のない所に移動したら勝負をつけてやろうとセシリーは思っていたのだが、この場に出ていって男娼を人質に取られるようなヘマはしたくなかった。

自分とは何の関係もない男だが巻き込むのは可愛そうだし、こんな自分の性格をブーテンはよく知っているのだ。


(しょうがないねぇ……)


 セシリーは倉庫の脇へ移動し屋根へと上った。

そのまま屋根の上を歩き、ブーテンたちのいる真上へと出る。

屋根から見下ろすとブーテンは深々と木箱にもたれかかり足を男娼に舐めさせている最中だった。


「指の間も丁寧に舐めるんだよ。……そうそう、イイ感じだ。お前、才能があるじゃないか」


 跪かせた男に足の指をしゃぶらせながら悦に入るブーテンに嫌悪を抱きながら、セシリーはその頭上へふわりと飛び降りた。

そして着陸と同時にブーテンの頭を万力のような握力で掴んだ。


「お愉しみのところを失礼するよ」


 背後から掴まれたのでブーテンには自分を襲ってきた人間の顔が見えなかった。


「テ、テメェ誰だ? アタシをジャニス海賊団の幹部だと知っての襲撃か?」


 精一杯の虚勢を張って見せるが、そんなことにたじろぐセシリーではない。


「あんたみたいなウスノロが幹部とはね、笑わせてくれるよ」

「か、金か? 金ならあるから……」

「動くんじゃないよ」


 セシリーはさらに握力を強めながらブーテンの懐を探る。

やがて見つけた金袋を腰を抜かして倒れたままの男娼へと投げてやった。


「それを持って家へ帰りな。今夜の商売はおしまいにしたほうがいい」


 男娼は無言でコクコクと頷くとよろめくように闇の中へと駆けていってしまった。

それでも去り際に金袋を拾うことだけは忘れなかったが。


「テメェ……あたしをどうしようっていうんだい?」


 セシリーは手の力をさらに強める。


「おいおい、いくらアンタが間抜けでもいい加減に思い出したらどうなんだよ。この声を忘れちまったのかねぇ?」


 しばらく考え込むような気配を見せていたブーテンが急にガクガクと震えだした。


「ま、まさか……」

「ようやく思い出してくれたようだね」

「せ、せ、せ、船長!」

「ああそうさ、爆炎のセシリーだよ」


 セシリーの声は重く冷たかった。


「ち、違うです! あれは私じゃなくて」

「何が違うんだい? お前は私を裏切り、この背中にナイフを突き刺しただろう? それともナイフを突き刺したのは違う人間かい?」


 ブーテンの震えはさらに大きくなる。


「そうじゃないんです! 私はジャニスにそそのかされて!」


 セシリーはうんざりした顔で口を開く。


「もう、そんなことはどうでもいいんだよ。アンタに聞きたいことはただ一つ、ジャニスたちはどこにいるんだい?」

「教えたら助けてくれますか?」

「……考えてやってもいいよ」


 ブーテンは安堵したようにべらべらと喋りだした。


「あいつらは新しくできた三羽のツグミ亭という店に泊まっています。そこの主人というのがジャニスの新しい情夫イロでして、アタシら全員そこに宿泊しているんですよ。今日はカードをやるってんで幹部はずっと飲み続けています。アタシは男を抱きたかったんで出かけてきたんですが」

「そうかい……その宿の場所は?」

「ロンギン通りから裏に入ったところです。……これで許してもらえますか?」


 セシリーは指に力を込めてブーテンを自分の方へ振り向かせた。


「考えてみたけどな……やっぱり許すのは無理だ」

「そ、そんな!」

「§ΛΖΛΦΓΔΧ」

「や、やめてっ‼」


 ブーテンの叫びも空しく、彼女の後頭部は後方に向けて爆散した。


「これで一人……」


 指を離すとブーテンの体はドサリと音を立ててその場に沈んだ。

セシリーは再びフードを被り闇の中へと姿を消す。

倉庫街の裏路地には頭部の半分を吹き飛ばされ、唾液に濡れる足を露出したおかしな死体が残されるのみだった。

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