(11)彼女が語るのを止めたとき
彼女が語るのを止めたとき陽はもう沈みかけていた。
夕焼けに曝された白い髪が、真っ赤に燃えているように見えた。燃えて、燃えて、燃え尽して、灰の色に染まった髪。痛みに耐えてすすり泣く声に、蜩の声が重なった。
胸が裂かれるように苦しかった。
「ごめん」
そう絞り出すと、姫神さんは、訳が分からないという貌をした。
僕は、膝の上で拳を震わせた。
「君にひどいことを言った。君が殺したなんて、最低なことを言った」
どうして謝らずにいられるだろう。
「君は、僕を絶望から救ってくれたのに」
腕で目元を拭うと、彼女は、怯えたように首を振った。
「……ちがう。ちがうわ。そんなんじゃない!」
視線を逸らし、左手で自らを抱くようにする。
「私は耐えられなかった。お母さんを殺したことに。上羽を殺したことに。君のお父さんとお母さんを殺してしまったことに。絶望した君に! だから逃げたの! 罪をなかったことにしたかった! ぜんぶ忘れてしまいたかった!」
肌に食い込んだ指が、哀れなほどに震えていた。
「……偽善よ。何もかも。苦しみの記憶を喰べるのだって罪滅ぼしがしたいだけ。自分で自分を罰していれば、それで私の気が晴れるからよ。たとえ私が私でなくなったとしても、それで良かった。私なんて消えてしまえば良かった。私なんて……っ」
彼女は、声を詰まらせた。
「生まれてこなければ良かった……!」
そしてまた嗚咽が響く。やるせなかった。この娘はずっと抱えてきたのだ。その華奢な体では到底抱え切れないものを。ずっと。
気付けば、胸元で握っていた手を伸ばしていた。右手に触れられた彼女は、涙で潤んだ瞳をはっとさせる。白く、冷たい指先から戸惑いが伝わってきた。
だから、この想いも伝わって欲しい。
そう願いながら頷いた。
「それでも、僕を救ってくれたのは君だ」
瞳を真っ直ぐに見つめる。
「僕だけじゃない。小西くんも。佐々木先輩も。街で出会ったあのひとも。神坂さんだって、君に救われた部分はあったと思う。君の気持はどうあれ君に助けられた部分はあったと思う。その全てを否定すべきじゃなかった。ありがとう。姫神さん。だから哀しいことは言わないで」
彼女は、瞬きすら忘れたようだった。茜色に煌めく瞳が僕の姿を映している。目の端に溜まった涙の粒が、重みに耐え切れずに流れ落ちた。
「私は、あなたの両親を殺したのよ……?」
「君が悪いわけじゃない」
触れていた手を握った。伝わって欲しかった。
けれど、彼女はさらに拒絶を示した。
「うそよ……どうして、そんなことを言うの……?」
手の震えは止まらない。
「……今日、貴方と話してやっと分かった。私は、レテでも、獏でも、さとりでもない」
口許に自嘲めいた笑みが浮かんだ。
「鬼よ。人の想いを喰らう鬼。今こうしている間にも、君の記憶を喰べしまうかも知れない。悪くないなんて、そんなはずないじゃない」
「君は悪くない」
「……うそよ」
姫神さんは、激しく頭を振った。
「うそ。うそ。うそ。嘘を吐かないで! お願いだから本当のことを言って! 私を憎んで! 殺して……殺してよッ! もう生きていてもつらいのよ! 私のせいでみんな不幸になっていく! ぜんぶ壊れていく! 私のせいでッ!」
悲痛な叫びが吐きつけられた。
「貴方だってもう分かったでしょう!? 私には何の価値もない……生きる資格なんてないの! いなければよかったの! いなければよかった! いなければよかった! わたしなんていなければよかった! だから、お願い……っ!」
手が、振り払われた。
「……優しくしないで……っ」
瞬間、僕は彼女を抱き締めていた。
軽さ。柔らかさ。温かさ。そんなものが伝わってくる。理解が追い付いていないのだろう。痩せた身体は強張っていた。次の瞬間には拒絶され、記憶を消されてしまうかも知れない。でも、それで良かった。彼女を抱く手に力を込めた。
「君は悪くない」
伝わって欲しかった。
「誰も悪くない」
伝わって欲しかったのだ。
君がいてくれたら、それだけで。
やがて彼女は、恐る恐る手を動かした。手探りでものを探すような、たどたどしい手つきだった。そうやって僕の背に回された手が、すがるように服を掴んだ。しっかりと、力強く。
彼女は、声を上げて泣いた。
僕は、子供みたいに泣きじゃくる背中を、ぽんぽんと叩いた。
彼女が泣き止むまで、ずっと。
どれぐらい時間が経ったのだろう。彼女が静かになり、吐息と心音が穏やかになった頃、どちらともなく身体を離した。二人で睨めっこをしてから、くすりと笑った。僕たちは、ひとしきり笑ったあと、手を取り合って立ち上がり、縁側から夜空を見上げた。
青葉の繁る桜の隣で、満月が微笑んでいた。
「考えてみようよ、二人で」
そんなことを口にしていた。
「秀玄さんも、神坂さんだって、きっと協力してくれる。みんなで知恵を出し合えば、君の居場所だって、きっと見つかるから。だから……」
言い終える前に、彼女は強く握り返してきた。その手はもう震えてはいなかった。
温かかった。嬉しかった。
姫神さんは、しんみりと呟いた。
「月、綺麗ね」
「……うん」
「想太くん」
「うん」
「ありがとう」
彼女の白い髪が、瞳が、月明かりに照らされていた。綺麗だった。あの月よりもずっと。
僕たちは、互いに見つめ合い、そして唇を重ねた。
彼の記憶は、そこで途絶えた。
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