(10)悲しい物語

 目覚めたら病院のベッドに横たわっていた。頭が割れそうなほど痛くて、手足がぴくりとも動かせなかった。激痛と恐怖で啜り泣いたことを覚えているが、それ以外の記憶は曖昧だ。自分の娘がどうとか訳の分からないことを喚いていたという話は後から聞いた。それでも化け物ゆえのしぶとさだろう。多少の記憶の混濁はあっても正気を失うまでには至らなかった。目覚めて一日も経つと自分を取り戻し、医師と看護師を安堵させた。けれど正気を失っていたほうが……狂ってしまったほうがマシだった。その先のことを考えたのなら。

 目覚めてから約一週間、私は母にも上羽にも会うことができなかった。看護師に理由を尋ねても変に言葉を濁されるばかりで明確な返答はない。母が決して無事ではないことは分かっていたから不安ばかりが募った。いっそ誰かの記憶を読み取ってしまえおうか。そう考えた矢先、医師が答えを連れてきた。警察官を名乗る年配の女性は戸惑う私にこう告げた。

 母と上羽は死んだ。

 火事に巻き込まれて命を落とした、と。

 あの夜、黒木家の屋敷は炎に包まれていた。台所から広がったその火は、母と上羽を焼き殺し、黒木家の屋敷を灰にし、隣に住む風間家に燃え移っていた。私だけが消防士に助け出されて無事だった。警察官の女性は、火元は揚げ物を調理していた鍋だと告げ、当時の状況について調べていると言った。けれど私が何の反応も示せないでいると、すっかり口を噤んでしまった。

 私は彼女から同情を感じ取った。

 全てを失った哀れな娘。

 でも真相は違う。

『……』

 窓の外から呼ばれた気がした。

 硝子に映る自分の姿が、上羽に見えた。母に見えた。

 二人が、じっと私を睨んでいた。

『どうして、お前は』

 私は、再び意識を失った。


 一週間、悪夢にうなされ続けた。再び目を覚ましたとき髪の付け根が白く変色し、灰を被ったみたいになっていた。カーテンを引いて布団を被った。きつく瞼を潰し、耳を塞いだ。そうしなければ耐えられなかった。しかし、それも半日が限界だった。暗闇の中にも二人の姿が見え始めると私は部屋から転がり逃げた。行く当てなんてどこにもない。泣きじゃくりながら夜の院内を彷徨い、やがて裏庭にあるベンチに辿り着いた。

 そこにひとりの少年がいた。

 上羽の記憶で何度も見た。何度も夢に見た。

 ずっと、会いたかった。

 想太くん。

 けれど穏やかな笑顔はどこにもない。

 項垂れ、ぴくりとも動かない彼は、心が壊れてしまったみたいだった。

 そのとき悟った。どこにも逃げ場なんてないのだと。

 私は、彼の影を踏み、頬に触れた。こちらを見上げる瞳は虚ろで何も映してはいなかった。柔らかな肌は涙で濡れ、その温かさがどうしようもなく悲しかった。

 そして、彼の額に、額を触れ合わせ、願った。

 願ってしまった。

 何もかも、なかったことになれば良いと。

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