旅のはて part4
「何も恥ずかしがること、ないんじゃないですか?」
乾いた笑い声を浮かべる私に対して、小夜は穏やかな表情で切り出した。
「私は中学校を卒業してすぐ、この旅館で働くということに疑問を持ったことがありません。でもそれが私のしたいことかと言われれば、自信を持って首を縦に降ることができません」
私に変わって語りだした小夜は、私とは反対にうつむきがちだ。顔に影がかかり、どこか暗い雰囲気を醸し出す。
「思えば私は自分自身のことを何も考えたことがないのかもしれないです。女将に、お母さんに言われたことに、ハイと答えて、全部それが正しいのだと思いこんで。私、小学校の時、将来の夢にお母さんの旅館を手伝うことって書いたんです。でもそれって夢じゃなくて、ただ大人になったらそうなるんだろうなって思って書いたんです。私がこの家の子として生まれていなかったら、歩夢さんと同じように悩んだのかもしれません。でも、そうだとしても、歩夢さんのように旅に出るなんて選択をできるとは到底思えないです」
小夜は立ち上がり、横にあった本棚を愛おしそうになでた。
「私、実は冒険家の旅の記録を読むのが好きなんです。そこに書かれた文字や風景の写真から、色々な世界を知ることができるような気がして。変わった趣味だって中学の頃の友達にはよく言われてましたけど」
そう言って小夜は自嘲気味に笑った。
「私はいい趣味だと思うけどね」
小夜は、ありがとうございます、と小さく呟くように返事をし、そのまま窓辺に寄り掛かり外を眺めた。
「私の世界はこの海です。どこまでも広がって、繋がっている、空の次に自由な海。でもそれは私を───縛り付けるもの」
闇を背景に振り返る和装の少女。あまりに幻想的な光景に私の意識は吸い取られてしまう。私が小夜の言葉を理解できなかったのは、彼女の言葉が難解だったからだけではないだろう。
私はオウム返しで彼女の最後に発した言葉を繰り返すことしかできなかった。
小夜は頷き、そしてまた言葉を綴る。
「私にとってこの海は大きすぎるのです。故に、何でもできる。何でも選ぶことができる。選んだ先にもまた海が広がっていて、一は百にも千にもなる。そしてそれは時にに零にもなる。要するに、私は怖いのです、自分で何かを選択することが」
小夜は知っているのだ。何かを選択して、それが間違いであった時、場合によっては後戻りができないができないことを。小夜はまだ義務教育を卒業したばかりでありながら、矮小な私よりも遥かに頭がいいのだろう。
私の選択はちゃんと千になるのだろうか。それとも零になるのか。そのことを意識した途端、私は急焦りに支配されてしまった。
しかし、そんな私の胸中を悟ったかのように、小夜は聖母のような笑みを私に向けた。
「だから、歩夢さんはそんな顔をしなくても大丈夫です。歩夢さんは勇気ある人です。自ら大海原へ漕ぎ出すことができる旅人です。確かに動機は逃げだったのかもしれません。でも・・・・・・」
小夜は窓を離れ、私の方へ歩み寄る。そしてすがるように小夜を見る私の両手をその小さな手で包んだ。
「歩夢さんと同じように、行動に移せる人は早々いませんよ」
「違うの。私は考えが足りてなかったから、馬鹿だったから・・・・・・」
「そうです、旅人は総じて馬鹿なんです。自ら選んで危険へと足を運ぶ。でも、その冒険の最後に、神秘を見つけるのです」
手から伝わる体温が、言葉とともに胸の中にすっと溶け込んでくる。それがどこまでも優しくて、私は自然と涙を流していた。
「・・・・・・こんな私でも、見つかるかな」
「きっと大丈夫です。見つけたら、私に教えてください」
つないだ手が離れる。小夜は今日一番の笑顔で言った。
「私、冒険家の話を聞くのも趣味ですから」
私も彼女のお気に入りの作家のようになれるだろうか。そんなことを考えるのが可笑しくて、私は釣られて笑ってしまった。
次の日の朝、天気は急変し驚くほどに晴れ渡っていた。
「じゃあ、お世話になりました」
「旅が終わったら、またお越しくださいね」
最初は現実逃避から始まった旅。しかし今、私の心は希望に満ち溢れている。今日はどこに行こう。今まではそんなことを考えたことはなかった。今日はどこまで進もうとか、この辺りで休もうとか、まるで作業のように旅をしてきたが、今はどこに寄り道をするかを考えていた。
「それでは歩夢さん、良い旅を!行ってらっしゃい!」
「うん、行ってきます!」
私は勢い良くペダルを漕ぎ出した。
この先がどうなるのかはわからない。でも、気になるものがあったら、そっちを選ぼう。危険かもしれなくても勇気を持って進もう。それが神秘に繋がるのだと小夜が教えてくれたから。
だからこれはもう、逃げじゃない。
これが私の冒険だ。
遊莉 短編集 遊莉 @yuri0930
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