2020年)トリート・ナイト
モンスターや悪魔、魔の力を持つ人が住む魔界・イーヴァルランドと呼ばれる世界が存在する。昼とも夜とも言えない空模様は、魔力を持たない人間の感覚では不気味というのが相応しいだろう。唯一人間界を数年間暮らしたメリー・トリート・フランシスは、今日もショッピング街の南方面にお菓子屋さんを営んでいた。
「もうすぐハロウィンだね、メリー。売り上げはどうなの?」
「ハロウィン商戦のお陰で、この時期は毎年黒字続き。ほんと、ハロウィン様々だよ。頭上がんない」
メリーは戸棚の在庫を確認しながら、ヒップラインを際立たせる服を纏う友人のジェシカと会話を楽しんでいる。
幼馴染みのジェシカは、魔女大学を三年で卒業し、現在は母校の事務局に勤めている。一方メリーは、大学を中退して人間界でパティスリーの修行を積み、イーヴァルランドに帰ってきてからは【メリー・ハッピー】を開店してはオリジナルレシピのお菓子を作って販売している。
「ジェシカは? 今日も合コンパーティー?」
「止めてよ。いつまでも恋人出来ないつれないオンナみたいな言い方」
カウンターに両肘を付いて頬杖を付きながら、口を尖らせて反論する。しかしその服装で言われると、説得力の欠片もない。
「今日はママの誕生日会なの。だからパーティーにぴったりのカップケーキセット一つ、お願いね」
「はーい、ちょっと待っててね」
ちょうど在庫整理も終わり、店の奥に消えていく。大きなガラス窓の向こう側はショッピング街の大通りを眺めることができ、通りすがりの人も厨房の様子を見物できる。メリーは呪文を唱えると、数匹のピクシーを出現させた。
「さあ下僕たち、お仕事だよ!」
一斉に声を上げたピクシーは、レシピ通りに材料を混ぜ合わせていく。厨房内には甘い匂いが漂い、大型オーブンからは熱が零れ室内の温度を上げていく。ガラス窓の向こうには小さな子供がキラキラとした瞳を向けていた。隣には母親がいるが、全く興味が無さそうに見ていた。デコレーションが施された出来たてのカップケーキは、匂いまでも包み込むように箱詰めされる。
「お待たせ、ジェシカ。出来たてだから火傷に気をつけてね」
「うーん、いい匂い! いつもありがとう、メリー」
「お母様によろしく伝えて」
「たまには店休んで、遊びに来ればいいのに」
「売り上げがもう少し伸びればいいんだけどね」
店を出るところまで見送り、ジェシカは持っていた箒に跨がって目的地に飛び立った。
「よし、今年のハロウィンも頑張るぞ」
・ ・ ・ ・ ・
店の戸締まりを確認し終えると、ショッピング街はすっかり眠ったような静けさだった。メリーが住んでいる家屋は街外れの寂れた村にある。箒で飛んで約二十分。つまらない空の様相を見ながら聞えてくるラジオもまた、ハロウィン特集ばかりでとても退屈していた。
「あーあ、なんか面白いこと起きないかなー」
溜め息交じりに呟いたそれは、ぽろりと零れて地面に落下していくようだった。突然、上空から悲鳴が聞えてきた。その方向に目をやると、綺麗なブロンドを一本の三つ編みに結った少女が地面に向かって落下していくのが見えた。
「危ない!」
箒の柄をパシッと叩き、スピードを上げて少女を拾うことができた。お姫様抱っこされている少女はショックのあまり気を失っていた。メリーは自宅に到着すると、とりあえず箒を玄関のいつもの場所に置く。二体のシルキーを召喚して手荷物を運ぶよう指示し、少女を自分のベッドに寝かせようとした。
「に、人間の子供!?」
イーヴァルランドに人間は存在しない。ましてやハロウィンの夜以外は道なんて通じていないから、出会う事なんて絶対にあり得ない。しかし、目の前で気を失っている少女は紛れもなく人間なのだ。その証拠に、イーヴァルランドに適さない人間界の生物には、表面上に紫色の斑点が現れる。少女にはそれが首全体にあった。さすがに自分のベッドに人間の子供寝かせるのは嫌気が差し、一度床に寝かせてもう一体追加でシルキーを召喚した。
「奥の物置部屋から、客人用の敷ベッドと毛布を持ってきて。あと看病用の水筒も」
ワンピースを少し持ち上げてお辞儀をするシルキーは、ふわふわと浮いて寝室を後にした。
「それにしてもなんで、人間の子供が魔界に来ることができたの? ハロウィンまで一週間切ったところなのに……」
数十秒はその場に立ち尽くしていたが、見当も付かず乱暴に帽子を壁に掛けた。暫くしてシルキーがベッドと毛布を持ってくると、メリー専用のベッドの反対側に敷くように指示して少女をその上に寝かせた。
「なーんでこんな面倒事が降ってくるのよ……」
キッチンの方からいい匂いがしてきて、自ずと足がそちらに向かう。シルキーたちがいつものようにメリーの夕食だけを用意していた。食卓に並べられたパン、スープ、メインディッシュが並べられると、シルキーたちは霧散して消えた。
次の日、メリーは昨日残したパンとスープを持って行くと、少女はうつらうつらと上半身を起こしていた。
「起きた?」
「……おばさん、だれ?」
その言葉を聞いた瞬間、血管が切れそうになったが堪えた。
「私はメリー。おばさんじゃなくて、お姉さんと呼びなさい。次おばさんなんて言ったら、その口二度と開かないようにファスナーにするわよ。――ところで、あなたはどこの誰なの? 昨日、空から降ってきて、私が居なかったらあんた死んでたんだよ。ラッキーだったわね」
少女はメリーの毛嫌いするような口調に、不安な顔になる。少し間が空いてからようやく言葉を発した。
「わたしはシャーロット。魔女になりたくて、その……魔法陣を描いて呪文を唱えたの。そしたら、魔法陣から扉が現れて、その中に入ったら……空に……」
シャーロットと名乗った少女は、頭にズキンという痛いが走ったのか、手を当てていた。
「ということは、あなたは人間界の子供で、でも魔女になりたくて、見様見真似でやってみたら出来ちゃったと」
こくりと頷いたシャーロットは先ほどより苦しい表情になっていた。環境に慣れていないのか、呼吸が段々浅くなっていく。
「これ、スープだけでも飲みなさい。じゃないと数分も保てずに死ぬわよ」
溜め息交じりに差し出したスープ皿の中身は冷め始めていた。それを奪い取るようにシャーロットはメリーから皿を受け取り、勢いよく流し込む。一気に空っぽになった皿を膝に置き、大きく深呼吸した。
「ぷはー……。生き返るー……」
首に現れていた斑点は肌色に馴染み、シャーロットの肌は人間味を無くした。
「それで、ここはどこなんですか?」
面倒くさそうにメリーはこの世界について説明する。なんとなく理解した風なシャーロットは、どうすれば自分の世界に帰れるのかを訊ねた。
「もうすぐハロウィン、その日の夜に人間界との道が開くわ。その時に戻るしか無いんじゃない? あなた、その様子だと何もできないんじゃない?」
手持ち無沙汰を目の当たりにしたシャーロットは、頼みの綱がメリーしかいないことに気付く。そして溢れそうな涙を堪えながら言葉を発した。
「そんな……。それまで何か、お手伝い出来ることはありますか?!」
メリーは、急にそんなこと言われても、とでも言うように目を丸くした。しかしメリーにとっては逆にメリットだと思えた。それもそのはず。明日以降はハロウィンに向けてお菓子を買いに来る人が増える。そのため召喚するピクシーの数も増えればその分精神力が持って行かれる。そんな状態で接客をしていることを考えれば、シャーロットという人間界の少女に接客を全て任せてしまえば負担は減る。
「――仕方ない。ハロウィンの夜に絶対帰るっていうなら、その間はここに寝泊まりしていいわ。その代わり、私の店を手伝いなさい」
「お店、ですか?」
「そう。ショッピング街でコンフェクショナリー(広意味でお菓子屋)をやってるの。ちょうどこの時期は人手が足りなくてね、困ってたのよ」
メリーの上手い芝居に、シャーロットは狙い通りの反応を見せた。
「はい……、はい! ぜひやらせてください!」
「じゃあ早速、お店に行きましょ。特別に箒に乗せてあげる」
まだ本調子ではないことを分かっていながら、メリーはシャーロットを連れて店舗に急ぐ。開店まで、あと一時間しかないことに今気付いたのだ。
ショッピング街はすでに魔界の住人・イプスたちで賑わっていた。右に左に、前に後ろに、自然とベルトコンベアのような流れが出来るほど。そして店の前には子供連れのグループがいくつか並んでいた。メリーとシャーロットは裏口から店舗内に入り、メリーは急いでピクシーを召喚した。
「うわあ……!」
初めて目の当たりにする魔法に見取れるシャーロット。その様子は人間界で初めて焼き菓子やケーキを見た時の感動とそっくりに見えた。
「シャーロット。あなたのやることは、商品の補充とお会計、あとはお客さんからオススメを聞かれたら答える。分かった?」
「はい! すごーい……ほんとうに魔法の世界だ……」
まだ浮ついた様子を叩くように、メリーは厨房に保存してあるキャンディーポットを取り出してシャーロットに渡した。
「まずこれ。詰め放題用のキャンディーが少ないから、補充してきてちょうだい」
子供が持つには重たいガラス。落とさないように一生懸命運び、空いている部分に降ろす。蓋を開けると、微かに香るベリーのような甘酸っぱさがシャーロットの鼻に付き、危うく涎を垂らしそうになった。
「それが終わったら、カウンターを乾いた布で拭いてちょうだい。軽くでいいわよ。時間ないから」
「はい!」
詰め終わったキャンディーポットは一旦カウンターに置き、すでに用意されていた乾いた布でガラスの埃を拭き取る。その時だった。ガラスに反射した自分の肌色が、人間のそれとは言い難い不気味な色に変わっていることに気付いた。
「きゃあ!」
思わず叫んでしまったことに後悔する暇も無く、シャーロットは尻餅をついた。
「どうしたの?!」
メリーも慌てて厨房から顔を出した。今にも泣き出しそうなシャーロットを見て、どうしていいか分からなかった。
「わたしの肌、どうなっちゃったんですか……」
「――なーんだ、心配して損した。この世界の食べ物を口にしたからよ。元の世界に戻れば治るわ」
ふう、と一息。そして立ち上がる。メリーは何故か彼女が楽しんでいるように思えた。
「ごめんなさい、大声出しちゃって」
「別にいいわ。誰だって自分の姿が変わったら驚くもの。……あ、ちょっと失礼」
メリーはシャーロットの額に人差し指と中指を当てて呪文を唱える。しかし何も変化はない。もういいわ、と指を離すと、厨房の様子を見に行ってしまった。シャーロットは何をされたのか分からないまま作業に戻った。
お店が開店してからは大忙し。レジスターは止まること無く、音を鳴らし、コインや紙幣を飲み込んでは吐き出す。イプスたちはシャーロットのことを不思議がることもなく、普通に接客を受ける。シャーロットもまたイプスたちの言葉を違和感なく聞き取ることができ、対応することができている。
「順調みたいね」
少し手が空いたところでメリーは声を掛ける。
「はい。何もしてないのに、この世界の言葉を理解できてて、びっくりしてます」
「違うわ。私が翻訳魔法を掛けたのよ」
先ほど唱えた呪文はこのことだったのか、合点がいった。シャーロットは、ありがとうございます、と一言礼を言うと、すでにメリーは厨房に戻っていた。
そんな忙しい日は数日続いた。そして明日はいよいよハロウィン当日。メリー曰く、ハロウィンの日に必ず新作を発表するため、開店をいつも一時間早くしているという。それに加えて店の出入り口は長蛇の列になるらしい。だからこの数日は厨房から出られず面倒を見られなかったのだと、帰り道の箒の上でそんなことを言っていた。
シルキーたちがすでに二人分の食事をテーブルに並べ、あとは席に着くのを待つだけだった。
「人間界の子供がイーヴァルランドに来たときは本当にびっくりしたけど、私にとってはラッキーだったわ」
「もしかしたら、わたしはメリーさんに呼ばれたのかもしれないですね」
「呼んでないわよ。それに、イプスは人間が大嫌いなの。私も例外じゃない。あなたは少し違うけどね」
「なんで、この世界の人たちは人間が嫌いなんですか?」
「それもこれも、ハロウィンのせいよ。中途半端に格好だけ似せて、おもしろ可笑しく脅かして――。ハロウィンっていうのはこのイーヴァルランドにとって最も神聖な儀式なの。お菓子を配る遊びじゃない。だから皆、人間を嫌ってるの」
ようやく着席した時だった。メリーの説明にシャーロットは納得がいかなかった。
「じゃあなんで、メリーさんはコンフェクショナリーをやってるんですか?」
「それは話が全く別。ハロウィンなんて関係ない。私は好きでやってるの」
「新作をハロウィンに併せるのはどうして?」
「いろいろと都合がいいのよ。子供を持つ家庭にとっては、退屈でもうちのお菓子を見せれば喜ぶって評判だし、お菓子をお供え物として買ってくれる人もいるし、商戦には持って来いなのよ」
「しょー、せん?」
子供にはまだ早いか、とでも言うようにメリーは溜め息をついた。
「さ、ご飯食べましょう。冷めたら夕食が台無しよ」
シャーロットにとってイーヴァルランドでの最後の晩餐に、あのスープが並べられていた。
今朝はメリーの足音が引っ切りなしに床を鳴らしていた。ドタバタと階段を上ったり下りたり、その音でシャーロットはようやく目を覚ました。
「遅い! あと五分で行くよ!」
シャーロットは急いで着替えて、玄関の前にスタンバイする。メリーもすぐやってくると、何かを被せられた。
「それはあなたの分の帽子。強力なオマジナイが掛かってる、ただ一つの魔女帽よ。今日の営業は戦場のように火を噴くわ。よろしく頼むわよ」
「――はい!」
シャーロットは子供が初めて見た物に憧れの眼差しを送るような、キラキラとした純粋な目をしていた。
ドアを開けると、昼とも夜とも言えない空模様は墨を零したように真っ黒だった。そこに大きなまん丸の月を置くだけで、穴が空いているように見えた。これがイーヴァルランドの、ハロウィンでしか見られない光景。
ショッピング街の天井すれすれから見る店舗の外は、すでに三日間の比にならないほどの長蛇の列が出来ていた。まるでアトラクションの稼働を待ち望むかのように、そこに並んでいるイプスたちは期待とわくわくに胸を膨らませているに違いない。いつものように裏口から入り、開店準備を進める。メリーはピクシーだけでなくシルキーも召喚して、内装の飾りをあっと言う間に付け替えた。
「さあ。店開けるよ。準備はいい? シャーロット」
「はい! 今日は大事なハロウィンですもんね!」
気合い満々の顔に、顔をすっぽりと覆うような魔女帽を被り、定位置に着く。メリーはドアの前に立ち、呪文を唱えて空中でシャッターを持ち上げる動作を行う。すると触ってもいないシャッターは独りでに上方へと隠れていく。
「「いらっしゃいませ! メリー・ハッピー!」」
客足は絶えず、お渡し用の紙袋は注意しておかないとすぐに無くなってしまう。新作のフォンド・ヴァ・オレというチョコレートケーキはついさっき完売してしまい、少し残念そうな顔をするお客さんの様子が伺えた。
「こちらのミルクを使った甘いケーキもオススメですよ」
シャーロットは必死で接客をする。その応対に客は、じゃあこれ、と言って一つ購入する。
「ハッピーハロウィン♪」
シャーロットはそういうと、いつか母から聞いたことを思い出した。
ハロウィンの起源は、古代ケルトにおいて十一月一日が新年とされ、大晦日にあたる一〇月三一日の夜に先祖の霊が家族に会いに戻ってくると信じられていたのだと。その時悪霊も一緒に付いて来て、作物に悪い影響を与えたり、子供を冥界へさらったり、生きている人間に悪いことをするらしい。そこで人々は悪霊を驚かせて追い払うことを思いつき、仮面をかぶったり、仮装をしたり、魔除けの焚き火を行ったのだと。けれどシャーロットの母は、驚かせるだけじゃ無くて、悪霊は笑顔も嫌うから、子供たちにお菓子屋を渡して町を笑顔いっぱいにし、悪霊を追い払うのだと。だから、ハッピーハロウィン、という言葉が生まれたのだと言った。
閉店にはまだ二時間も時間があるが、商品はあまり残っていなかった。メリーはこれ以上居ても客は来ないだろうと踏んで、シャッターを下ろした。
「もう閉めちゃうんですか?」
「どうせ居ても来ないわ。この時間は家族揃って、先祖をお迎えする準備をしてるだろうし。あなたも自分の世界へ帰らなくちゃいけないでしょ?」
「――」
メリーは嬉しくなさそうなシャーロットの様子に不思議がる。自分の家に帰ることがそんなに嫌なのかと。
「どうしても、帰らなきゃいけないですか……」
悲しい表情は、心の居場所がないことを表しているのだろう。そう思ったメリーは一つ、シャーロットに提案した。
「あなた、魔法、使ってみたい?」
「え?」
「その魔女帽にはね、誰でも一回だけ魔法が使えるオマジナイを掛けたの」
「ほんとうに?」
「私が嘘を吐くときは、都合が悪くなった時だけよ」
ぱっと笑顔になったシャーロットは、人差し指を顎に付けて悩み始めた。
「じゃあ、お空からお菓子を降らせたい!」
「素適ね。じゃあ早速行きましょう」
店仕舞いを軽くすませ、二人は箒に跨がってショッピング街を抜ける。その途中、ジェシカがきっちりとした格好でこちらに向かってくるのが見えた。
「あらメリー、店はもう仕舞い?」
「モノも少ないし、客足も途絶えちゃったから」
「そっか。……あら、その子は?」
シャーロットに目を付けたジェシカは顔を近付ける。すぐにメリーの背中に顔を隠すシャーロットに、優しく声を掛けた。
「怖がらなくていいのよ。お姉さん、この人の親友だから」
ほっぺたを軽く摘まんで左右に揺らす。
「で、何を企んでいるの? このまま帰るわけじゃなさそうね」
察しのいいジェシカに、メリーは少し機嫌が悪くなるようなモヤモヤを感じた。
「この子が初めて魔法を使うのよ。ジェシカも見る?」
「へえ。面白そうね。ぜひ混ざらせてもらおうかしら」
二つの箒はスピードを上げてショッピング街を抜け、そのまま月の方向へ飛んでいく。雲一つ無いハロウィンの空から街を一望できるくらい高い所で止まった。
「じゃあシャーロット。目を瞑って両手を大きく広げて。呼吸が整ったら『ティスレ』と唱えるのよ」
指示通りに両手を広げようとすると、箒がぐらっと揺れて集中できない。
「……む、難しい」
「お姉さんが捕まえててあげるから。ほら」
ジェシカはシャーロットの脇を両手で固定する。するとシャーロットは安心したのか、二度、深呼吸をして「ティスレ!」と元気良く唱えた。
白い薄雲が広がると、棒付きキャンディーや丸いキャンディー、ドーナッツ、チョコレート、スコーン。メリーの店に置いてあった形そっくりのお菓子がいっぱい、地面に向かって落ちていく。メリーはキャンディーを一つ取り、そのまま口に放り込んだ。甘くて美味しくて、温かい幸せの味が口の中に広がった。ジェシカはスコーンを手に取り、上品に囓る。甘すぎない優しさが口から心に伝わり、思わず、ふふっ、と笑った。
「わあ!! ほんとうに魔法が使えた!」
本当に夢じゃないことを確かめるように、シャーロットの手には色んなお菓子が集まっていた。大好きなチョコレートドーナッツを大きく一口齧りつく。嬉しくてつい涙まで出てしまう。眼下に広がる街から「お菓子が降ってるぞ!」という声が点々と聞えてくる。
「わたし、ほんとうに魔法が使えた!」
メリーとジェシカを交互に見て、自慢するような笑顔で言い張った。
「こんな大魔法、見たことないわ!」
ジェシカはわざと騙されたかのように言う。メリーはといえば、シャーロットの様子を見て、昔の自分を見ているような目をしていた。自分にも純粋な時期があったのかな。そんなことを思っていた。
「さあ、シャーロット。もうすぐ道が閉じてしまうわ。これでお別れよ」
懐かしさを机から下ろしたような言い方をするが、シャーロットはちっとも寂しくないという顔で、うん、と答えた。
「メリーさん、またいつか、会える?」
「そうね。来年のハロウィンも忙しくなりそうだったら、呼ぶかもしれないわ」
和む雰囲気を惜しみながら、メリーは呪文を唱えた。そして光に包まれるシャーロットを、月に向かって飛ばした。
「シャーロットちゃんだったら、次来ても大歓迎なんだけど」
「いいのよ。住む世界が違いすぎる」
メリーとジェシカは地上に向かってゆっくり箒を進める。
「そういえば、シャーロットが人間の子供だっていつ分かったの?」
「支えてる時よ。魔力を感じなかったもの。あとは匂いかな」
「匂い?」
「百メートル先の家の晩ご飯が分かるくらいの嗅覚なの」
「ジェシカの嗅覚ってすごいのね……」
お菓子が降るハロウィンのイーヴァルランドは、次の日、メリーが降らせたんだと街中で噂になっていた。
おしまい
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