第一の記録
01
それは雨の日から始まった。
黒いフードを被ったその男は既に、私が出勤する前から交番の前の車道を挟んだ道に立っていた。
身長は平均程度、顔はよく見えないが、一般的な特徴のない男だった。
だが、特段珍しい事だとは思わなかったので、声を掛けることなく交番に入った。
交代で同僚が抜け、私は交番に1人となった。
私は奥の部屋で事務をしていた。
小一時間が経った頃、ふと男の事を思い出し、窓から覗く。なにせ雨なのだ。
まだいる。
しかも、先程の位置から一歩も動いていないのではないかというレベルで。雨も交番の中まで溶け込みそうな強烈な雨だ。普通の人間が用もなく、こんな雨の中に立ち尽くすという事は有り得ない。
誰か人を待っているのだろうか?いや、晴れならまだしも、せめて雨に当たられない所で待つ筈だ。世の中にはそうした変わった人間はいるものだが…
根本的に、違う。私はそう思った。あらゆるジャンルに分類されない、異質さ、とでも言おうか。
私は正直、関わりたくなかった。職業柄、変質者や異常な人間と出会う事も多いが、元々私はそうした人間と関わるのが非常に面倒だった。まずもって会話が成立しないのが、何とも億劫なのだ。加えて、今回に至っては異常なのが露骨であるのだ。
私は考えた。
これは警察官の職務責任外なのではないか。交番の前で男が立っている。ただそれだけではないか。
勿論都合の良い解釈なのは分かっている。もしここが都会の警視庁であれば私は爪弾きにされているだろう。警察官失格だ、と。然し、ここは無縁の田舎町。ここには私しかいない。この程度の事なら罷り通るだろう。
私は男から目を外した。あの男もいつかは去っていくだろう。
今日は雨もあってか人通りは殆どないので放っておいても恐らく害は無い筈だ。
奇妙な引っ掛かりを覚えながらも、私は黙々と作業に没頭していた。
ふと時間を見ると、パトロールの時間が来ていた。反射的な嫌悪感が己を包む。だが、幾ら何でもパトロールにさえ行かないというのは出来ない。目を合わせないようにするしかないか。
扉を開け、降り盛る雨の中、車へと入り込む。見はしないが、気配が流れ込んでくる。
本当に勘弁してくれ、ボソリと呟く。
アクセルを、力一杯踏み込み、交番の角を曲がった。すると、急激な安心感が生まれた。
解放感にも近かった。
気分が乗っていたせいか、今日は柄でも無く交通違反を何件も摘発した。気分が乗っていたから、というのも変な話だが、私はこの仕事に対して情熱を持っていない。昔から無感情だったのだ。正義感も特には無い。警察官としてどうかと自分でも思うが、矢鱈に正義感が強いのもそれはそれで問題なのかもしれない。
私が交番に帰った頃には、日はすっかり落ちてしまっていた。暗闇に佇むあの男を見るのは不穏ではあるが、幸い夜は同僚にバトンタッチが出来る。同僚には申し訳ないが、厄介事にこれ以上巻き込まれたくはない。
ところが、あの男はいなかった。消えていたのだ。私は胸を撫でおろした。
「遅かったですね。もう交代の時間過ぎてますよ」
どうやら時間を忘れていたらしい。
翌日。交番前にはまたあの男がいた。今日は小雨程度ではあったものの、フードは被ったままである。服装も昨日と何一つ変わらない。
あくまでも平常心を保ちながら、交番に入り、交代を告げる。
「何だか顔色悪いですね」
この同僚もサバサバとした性格で、積極的に人付き合いをするタイプでは無いのだが、その同僚に指摘されるというのは相当という事なのだろうか。
適当にあしらってそれとなくフードの男の事を聞くと、
「ああ、確かに昨日も朝早くからいましたね。え?夕方までいたんですか。何だか見張られてるみたいですね。でも別に立ってるだけなら、おかしな事でも無いのでは?」
この答えには非常に驚かされた。
私が考え過ぎているというのか。常識に囚われすぎているのか?
どうにも噛み切れない齟齬が残る。
私は改めて男をまじまじと見つめた。相変わらず顔はよく見えない。黒いフード、黒い服。恰も地蔵の様に、体をピクリとも動かさない。
確かに現実には存在しているのかもしれないが、根本的な違いを感じさせる異質さがありありと染みついており、その場の風景からは、見事に浮いていた。
見ていたら頭がおかしくなりそうだ。テレビの砂嵐をまじまじと見つめるようなものだ。これを異常と捉えない同僚の目には、一体何が映っているのだろうか。
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