交番を見張る男
住原かなえ
序章
序章
「今日の成果はどうでした?」
顔も合わせずに大久保が聞いてくる。初めから返答など期待していない、といった風だ。
しかし、それも無理はなかった。我々のいる交番はとにかく何も起こらない。
「今日も車1つさえ当たらなかった。相変わらずだな、ほんとに」
後藤は淡々と言う。最近はこの報告もマンネリとしている。
大久保は特にそれに反応するでもなく、奥の部屋に入っていった。
「なんかこの仕事、馬鹿みたいですね」
溜息と共に大久保が言い放つ。
大久保とこの交番でタッグを組んで長く経つが、最初の頃はやる気に燃えていた青年であった。
小学生の時分から警官に憧れていたという彼の目は、芯が通っていた。このような人間が、出世を重ね、凶悪犯罪撲滅の第一人者として前線に名を連ねていくのだろうな、と後藤は感じていた。初めて会った時、後藤は度肝を抜かれた。自分には無い、熱量があったからだ。現に、交番の巡査は犯罪が身近にあり、特に問題も無ければ、トントンと出世できるのが常だ。
しかし、彼は今こうして、項垂れている。それは彼の責任ではない。
「なんでここは、こんなに暇なんですかね」
そう、この交番はとにかく何も起こらない。
近辺での犯罪は起こらない。犯罪といっても、殺人のような極端なものでなく、万引きや痴漢のような部類のものまでだ。
交番に用事があって訪れる者もいなければ、交通も至って平和で、交通事故や、違反運転も全く検挙できない。見過ごしている訳でもなければ、怠慢をしているわけでも無い。人々は、ロボットの如くルールを守っている。街は静まりかえっている。
小さな諍い、隣人トラブル、苦情、火事、通報。あらゆる交番への用件が、この街の人達には存在しない。
確かに犯罪は起きない方が良いというのが当然だが、この交番はあまりにも極端すぎている。
交番に用事の無い街。聞こえは良いが、これでは交番が成り立たない。
もし、この世が交通事故の起きない世界であれば、直ぐにでも保険会社は潰れる。事故の起きない世界で、誰が事故の保険などを欲するのだろうか。表立って言う事はしないが、彼らは交通事故を生業としている。
警察は表向きは犯罪撲滅を掲げているが、もし全国で一件も事件が発生しなくなったら?警察官は最早用無しだ。当たり前だが、警察は事件、事故を生業としている。
幾らやる気があれども、事件が起きないのでは、出世するにも出来ない。従って、大久保はこの交番から、何十年も抜け出せないでいる。
そんな彼を、後藤は哀れんでいた。
「そういえば後藤さん、この交番の戸棚に入っている原稿用紙の事、知ってます?」
ふいに、大久保が問う。
「突然どうしたんだ」
「いやいや、ついこの間見つけたもので」
「原稿用紙?俺には心当たりはないな。というか、お前あの戸棚なんか見てたのか」
大量の過去の事件資料など、さほど重要でないとはいえ、捨てるのは躊躇われる、といった具合の紙類の掃き溜めになっており、何十年も前、後藤が勤務する前から積み上げられてきたものだ。はっきり言ってしまえば、紙ゴミの集まりとなっている。
「いやいや、余りにも暇ですから。過去の事件資料でも読んで、時間を潰そうかなと。そしたら、妙にサイズの違う紙が奥に挟まっていたので、何だと思って取り出したら、古ぼけた原稿用紙だったんですよ」
「成程。それを俺に言うって事は、もう既に中身は読んだんだな?」
「興味をそそられてしまいまして」
「で、どんな内容だったんだ?」
「それがまさかの小説風なんですよ。自分の体験を書いたような」
「ほお、そんなものが」
「ええ。まあ、読んでみてくださいよ。どうせ暇ですし」
「そうだな。何だか面白そうだ」
以下の話は、原稿用紙の語りを、そのまま掲載したものだ。
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