第154話 間話 因果の法則(3)

「欲しくば、賢く奪えば良いのですよ。王女殿下」


 耳元に囁いたのは、位階一位の枢機卿、ヴェルランツェ。


 課外授業で聖教会に訪れたアレクシア王女は、聖堂にて天地創造の説話を語る若き教皇に心を奪われた。

 学院生だった王女の切ない初恋だ。


「ダメよ。彼の方にはもう、お相手がいるじゃないの」


 そう、アレクシア王女の二歳年下。宰相ブランシュ伯爵の長女。メルディー嬢。

 聖魔法の才に溢れた今代の聖女だ。


「そんなもの、勇者を召喚して、聖女を嫁がせれば良いのです。聖女は勇者に恋焦がれると、文献にございます。勇者と聖女が婚姻すれば、教皇の妻の座は空席。慣例に従って、王女のあなた様が降嫁し、教皇の妻になるのも夢ではございますまい」


 勇者召喚は、おとぎ話になるくらい昔の出来事だ。

 大陸に瘴気が蔓延し、災害級の魔獣が出現した当時。聖教会と王国が合意のもとに行った秘儀で、国難の際に聖教会と王家の合意があってこそ行われる。


「妻に選ばれたら嬉しいけど、召喚なんて無理よ。私にはどうして良いか分からないもの」


 対面していたヴェルランツェ枢機卿が、いつの間にか母の兄に変わっていた。ノルデン王国第七王子エルクス・ノルデンに。。


「可愛い姪のアレクシア。お前の望みは、わたしが叶えてやろう。だから、お前の母の願いも叶えてはくれまいか。わたしがノルデンの王座を手にしたならば、お前の母をノルデンに取り戻し、待ち望んでいる婚約者と婚姻させてあげる」


 これは、夢だ。と、アレクシア王女は頭のどこかで理解した。

 

「古い神殿の地図を、聖教会の蔵書庫から発見しましてね。エルクス王子殿下が、補修費用や召喚の経費を出してくださると 」


「そうだよ、可愛いアレクシア。ヴェルランツェ枢機卿にも助力いただいた。材料は、平民にもなれないクズを集めて、用立ててあげよう。簡単な事だ」


「さぁ、王女殿下。心優しい貴方様が旗頭になって、聖教会の慈善事業、乙女勧誘を始めましょう」


「……いや  ダメよ。怖いっ」


 なかば夢だと思いながらも、アレクシア王女は抗った。

 纏わりつく何かから逃げようと足掻く。


「い や 」


「大丈夫、禁忌を犯す罪は、身代わりにさせれば良いのです。愚かなガイツ司教。いいや、のガイツに陣頭指揮を任せて、何かあれば全ての罪を着て貰えば良い。王女殿下の威光で、奴にを命じれば良いのです」


 くぐもった二種類の嗤いが、アレクシア王女の頭に響く。


「……!!! 」


 幼かった自分が犯した罪だ。

 隙を突いてたたみ込まれたとはいえ、胸に抱え込むには大きすぎる後悔で、誰にともなく助けを求めて身悶える。


 身体を休めたソファーの上で、悪夢のうたた寝から覚めた。


「殿下  王女殿下  如何なされました? 殿下? 」


 傍で声がけをする者が苦手な女官だと、鈍った頭で理解した。


「なんでもないわ。騒がないでちょうだい。何か用? 」


「ノルデン国第七王子のエルクス様が、側妃様の面会室にてお待ちです」


「 わかったわ。すぐに向かいます」


 正直、行きたくないと緩慢になる。

 だるい足取りで廊下を行く間。悪夢の続きが胸を過った。


 数年前に王都の冒険者ギルドから、完全回復薬神酒ソーマ若返り薬アムリタが献上された。


 王は体力が弱った王妃に完全回復薬神酒ソーマを与え、寝込みがちだった王妃が健康を取り戻したと喜んだ。


 表向きに取り繕った行動は、隣国から迎えた王妃とは良好な関係だと見せるパフォーマンスだ。


 アレクシアは知っている。

 王妃と父王の関係が、初めから冷え切っていると。。

 国交の為の政略結婚で、王妃が婚約解消した事実を国王も承知していたと。。


 王妃が健康を取り戻した頃。一回目の勇者召喚が行われ、ふたりの異界人が現れた。どうやら恋人同士を召喚したらしい。

 どう鑑定しても勇者では無かったが、何かの役には立つだろうと、囲い込む事にした。


 異界人を召喚して一年も経たないうちに、王妃は徐々に体力を失い、衰弱していった。

 召喚した異界人の男も、聖女の心は奪えなかった。


 やはり勇者ではない。そう判断して放逐する前に、使い潰そうと決断する。


「この異界人に、完全回復薬神酒ソーマ若返り薬アムリタを取りに行かせよ」


 ガイツ司教から聖騎士に命じさせ、ダンジョンに向かわせた。

 そこで死んだなら、厄介払いができる。


 母の健康を取り戻したいのと、少しでも教皇の印象を良くしたくて、アレクシアは若返り薬アムリタを求めた。


 小指の半分の大きさと細さの若返り薬アムリタ

 一本飲むと、一年は若返る。


彼の方教皇のために、若くありたい」


ミトナイ村ダンジョンに聖騎士と異界人を派遣するかたわら、二回目の召喚をした。

 結果は。高威力で不安定な魔力を持った子供が来た。


「こんな子供では、聖女を籠絡できないではないの! 」


 今回も無駄な召喚だったと落ち込むうちに、ダンジョンから大量の完全回復薬神酒ソーマ若返り薬アムリタを携えて、が返ってきた。


 膨大な魔力を暴走させる子供も、初めに召喚したも、無理やりガイツに押し付けて、三回目に挑むため準備を始める。


 本当は、意気地なしな母など、いらないと思っている。

 伯父の王位簒奪など、失敗すれば良いとも思っている。でも。


「もう、後には引けない。嫌でも、戻れない」


 深く息を吐き、アレクシア王女は扉の前で息を整えた。


******

「来たか。元気そうで、何よりだ」


 王妃と同じ髪色と瞳を持つノルデンの伯父王子が、大袈裟な仕草で親しみを現す。


「早速だが、こちらの準備は整いつつある。そちらの準備は整ったのか? 」


「半年ほど、かかりそうですわ」


 不機嫌を隠しもしない伯父エルクスに、アレクシアの視線が冷たくなった。

 結局は己の野望を優先するのが、人の性というものか。。


「破綻させるよりマシだろう。姉上の幸せが遠ざかっても、仕方がないな。よし、姉上の見舞いとご機嫌伺いに行くか」


 用はないと出てゆく伯父エルクスの背中を、アレクシアは射殺しそうな目で追った。


******

「計画の変更はどうなさいますか? 殿下」


 人払いして向かう廊下で、側近に囁かれたエルクスは、軽く肩を竦めた。


「変更は無い。捨ておけ。ははっ、バカな妹の子は、やはりバカだな。こんな胡散臭い話に縋りつくほど、彼の方教皇に嫁ぎたいとは。誰がわざわざ美味い実をくれてやるものか。少し考えれば気付けるだろうに。バカだなぁ」


「このまま進めば、神星王国バードックと諍いが起こる可能性は、極々低いかと思われます」


「悪辣なノルデンの王がに代われば、バードックにも利はある。動かんよ、この国は」


「将来の賢王に、賛辞を」


 斜め後ろを歩きながら、胸に手を当て礼をする側近に、エルクスは相好を崩した。


「正論ばかりで女遊びを攻め立て、恥をかかせた鬱陶しいノルデンの正妃を、これで排除できる。散々わたしの邪魔をした義理姉ノルデン王妃など、さっさとくたばればいい。勇者召喚の禁忌を侵した咎は、傲慢強欲の王女アレクシアに着せれば良いしなぁ。くくっ。王は清廉潔白でなければな」


 王妃の部屋を守る護衛騎士が視界に入った途端、エルクスは邪な笑みを慈愛の笑みに転じた。


 その時。エルクスが通り過ぎた天井裏では、王家の影が目線を逸らして、ここに異物は無いと、意識に刷り込んでいた。


 皆が見ないよう全力で目を逸らした場所に、せっせとメモを取る黒装束の密偵が居た。


 辺境伯家の紋章を背負った密偵が。。


「なるほど なるほど。良い話を聞かせてもらった。貴公らも良い話は、速やかに奏上されると良い。では、邪魔をした」


 この密偵。ちょこまかと動きながら、意図的に王家の影を引き連れて、ここまで導いた張本人。だったりする。。

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