第140話 いざ出陣! 入学式へ〜
王城を取り囲む貴族街の端に、没落して空き家となった男爵家の
下級貴族と騎士爵の住まう屋敷が、一纏めになった区画だ。
最近その家に引っ越してきた若い夫婦は、聖教会で下働きをしているらしい。
引っ越しの挨拶に、綺麗な手拭いと缶入りの練り薬を配っていた。
練り薬は日頃から手荒れに悩むご婦人方に好評で、密かな
そんな屋敷に聖教会の馬車が止まり、子供を連れた助祭が降り立った。
手を引かれる子供は俯いたままで、若干引き摺られるようにして玄関を潜った。
「ようこそおいで下さいました。どうぞ、中にお入りください」
迎えに出た夫婦は、気まずそうに子供へ眼を向ける。
連れてきた助祭はうんざりしているのか、無造作に子供を押し出した。
「申し訳ないのだが、多忙ゆえにここで失礼する。この方の後見を引き受けた事、良き判断であったと、司教様からのお言葉だ。書類はこちらに」
玄関先で渡されたのは、司教の庶子を養育する旨の仮親申請書と、紋章院の申請受理書だ。
残りの書類は、毎月夫婦の口座に振り込まれる養育費の概要と、万が一王立学院に合格した場合は、学費諸々は司教が支払うと、詳細を記したものだった。
「くれぐれも誓約を忘れるなと、お言葉を預かっている。司教様は無慈悲なお方ではない。庶子であろうと優秀であれば、学院への入学も認めてくださる。そこは充分に恩義を感じ、理解させるように。よろしいか」
互いに見交わして、夫婦は深く頭を下げた。
「かしこまりました。分は弁えておりますと、お伝えください」
夫の答えに満足し、助祭はホッと息をつく。
「伝えよう。安寧を望むなら、地に伏すほど弁えるが良い」
背中を向けた助祭に、置いていかれると悟った子供が、メソメソと泣き出した。それでも意に介さず、足早に馬車へ乗り込む助祭を、夫婦は無言で見送る。
「もう少し配慮はないのか、あのクソ坊主。馬車の扉で、指でも挟めばいいんだ。罰が当たれば、なお良しだな」
馬車が見えなくなった時点で、不敬てんこ盛りの愚痴を溢す夫に、妻は苦笑を漏らし、足元で泣く子供へ視線を落とす。
「【泣かないで、ね? 】」
「え? 」
妻は子供の肩に手を置き、懐かしい
話しかけられた子供は驚いて泣くのをやめ、どこか安堵したのか、大きくしゃくり上げる。
「【召喚されたのね? 私たちのように】」
しゃがんだ妻の肩から何かが飛びついて、反射的に受け止めた子供の手のひらで、王冠を斜めに冠った漆黒のボールが跳ねた。
「【クロって言うスライムなの。仲良くしてくれたら、嬉しいかな】」
「【だっさい名前だろ? 】」
「【あら、あなたが候補に上げたタマよりは、マシじゃない】」
夫婦の会話に、子供の顔が歪む。
突然しがみついて大声で泣き出した子供を、妻はしっかりと抱きしめた。
「【辛かったね。頑張ったね】」
なおも泣き続ける子供の頭を撫でて、妻の目も熱く潤んだ。
「【とにかく中に入ろう】」
門扉を閉じ、妻と子供を促した夫は、ふたりを抱えるように家へ入り、しっかりと玄関の扉も閉めた。
幸いにして春の色濃い街路に人通りは無く、事の顛末を目撃した隣人はいなかった。
******
ようやく巡った入学式、その朝。
晩夏の熱気で茹だる王宮の一角は、騒ぎに湧いていた。
慌てた侍女が幾人も走り回り、統括する女官が青ざめて、危うく意識を飛ばしかけていた。
「なんと おっしゃいました。王女殿下」
現実逃避しそうな意識を引き戻し、女官は感情の籠らない声で質問を返す。
「気分が乗らないと言ったの」
女官は即座に、ちぎれそうな堪忍袋の尾を、渾身の忍耐力で握りしめる。
「入学式に出席されるのでは? 昨年より予定を組んで、準備は整っております」
意見されると思わなかった王女殿下は、苛々した仕草で女官に指を振った。「出てゆけ」と、追い出す動作だ。それでも従わない女官に、唇を歪める。
「もう、なんだと言うの。わたくしは面倒くさくなったの。行く気にならないの。ひとりにしてちょうだい」
泡を吹きそうな欠席理由と、怒髪天を突く自身の怒りに、握りしめた女官の拳が、高速振動した。
今に始まった事ではないが、この傲岸不遜な我儘女が我が子なら、とっくの昔にしばき上げて、更生するまで躾けている。
非常に危険な思考ではあるが、誰が聞いても納得すると思われる。
荒れ狂う内心を宥め、女官は静かに頭を下げた。
「左様でございますか。承りました。そのように手配を致します」
王女の部屋を辞した女官は、控えていた侍従に指示を与える。
「王女殿下におかれましては、体調を崩されたご様子。よって、本日の予定は、すべてキャンセルと致します」
******
いざ出陣〜〜〜と言うことで、小真希は馬車に揺られていた。
同乗する保護者は、サザンテイル
白金の髪と翠の大きな目が魅力的な女性だ。
「いいか、くれぐれも目立つな。寮で暴れるな。周りの学生に、怪我をさせるな」
ここ何日か繰り返される辺境伯の言い付けに、小真希は遠い目をした。
必要なら何枚でも猫を被る自信がある。取り説の誘導通りにやれば、一切の隙は無いと胸を張れる状態だ。
「旦那様。少々わたくしも、退屈しましたわ。入寮時の注意事項など、寮の管理人に任せればよろしいでしょう。いつまで同じ話を、なさいますの? まだ続けるおつもりかしら」
ひつこくひつこく繰り返していた辺境伯が、ヒクリと肩を揺らした。
「……すまぬな。娘の入学式など、何年振りであろうか。いささか、興奮しておるようだ」
「確かに。
連日、辺境騎士団を蹴散らしている小真希に、
色気皆無でありながら、実力で
大抵の
魔獣の森に隣接し、いつ反目するか分からぬ隣国と接する辺境伯家の人間に、か弱く淑やかで、守られるだけの女子は不要。
夫と肩を並べ、敵を蹴散らすくらいでなければ、我が家の家族として、存在する意義はない。
ただの冒険者だった夫を支えた昔も、共に立って魔獣を殲滅する今も、
連日爆走する小真希に対し、先々を見通した腹黒策略に余念がないのも納得だ。
どこからどう見ても、田舎からポッと出の娘にしか見えない小真希だが、確かに所作も美しくなり、マナーも文句のつけようがない事で、
「家柄に胡座をかいて慢心しているルイーゼには、苦い薬でしょうが、やり手の王妃になるなら良い
孫可愛いと盲目になる祖母には、絶対ならない
「良いこと、コマキィ。手加減はいけませんわ。やられたら、やり返しなさい。人を傷つけるのに、自分は傷つく覚悟を持たないなんて、傲慢も甚だしい。とことん心を折って差し上げなさい。中途半端は、相手の為にはなりません」
「はーい。
ニコニコしながら、あっけらかんと答える小真希に、黙って聞いていた辺境伯のこめかみが、ヒクリと引き攣った。
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