第134話 シンプソン伯爵夫妻と サザンテイル辺境伯の場合

「お寛ぎのところ、大変申し訳ございませんが、至急お聞き届けいただきたき事柄がございます。発言を、ご許可ください」


 小真希が屋敷に到着し、ミンツがルイーゼの専属侍女となった後日。

 普段は沈着冷静な執事バートン・クルウが、朝食後のお茶を楽しむ伯爵一家に声をかけた。


「どうした、バートン。お前らしくない」


 普段なら主家の団欒に、不要な介入をしない執事バートンが、余裕のない様子を見せる。

 珍しいと、シンプソン伯爵は表情を作り損ねた。


辺境伯サザンテイル様よりお預かり致しましたコマキィ嬢について、具申致したき事がございます。大変に、大変にっ、重要かつ、緊急の案件でございます」


 言葉を継ぐごとに、いささか興奮気味になるのも初めてだと、伯爵は苦笑した。そのすぐ後で、何やら嫌な気配がして問い返す。


「待て。それは、我が家族全員が認知すべき事かな? 」


「……できますれば、奥様と旦那様、おふたりに 」


 ハッと我に返った執事バートンに、伯爵の眉間が皺を刻んだ。


「わかった。執務室にて、聞こう」


 夫婦揃って談話室を出たところで、家庭教師のミセス・エバンズが控えていた。


「先生。どうされましたの? 」


 歩み寄った伯爵夫人カテリーナに、ミセス・エバンズは疲れた微笑みで挨拶を返す。今まで見たことのない隈が、目の下に色濃かった。


「まことに申し上げ難いお願いに、まかりこしました。どうか、お聞き届け頂きたい、お願いがございます」


 こちらも執事バートンと同じ、厄介事の匂いをさせている。

 視線を交わした伯爵夫妻は、ふたりを伴って執務室へ向かった。


 ミセス・エバンズにソファーを勧め、手早く執事バートンがお茶を用意し、壁沿いに控える。

 程よい温度のお茶を一口味わったミセス・エバンズが、おもむろに立ち上がって深く頭を下げた。


「ご期待に添えず、申し訳ございません。わたくしでは、コマキィお嬢様のお役に立てそうもありません。コマキィ様は、をお持ちと判断いたしましたっ」


 フルフル揺れる細い肩が、強張っている。

 淑女らしくない、悲痛な声音の訴えが途切れた途端、ガバッと上げたミセス・エバンズの顔が、情けなく引き攣った。


「とても、わたくしでは、です……わ わた く し   もぅ 無理でございますっ ぅぅ」


 淑女の鏡と謳われた伯爵未亡人ミセス・エバンズは、生涯で初めて、ポロリと一筋の涙を、他人の前で溢した。


「エバンズ夫人⁉︎ 」


 驚いた伯爵は視線を外らして見ぬふりをし、バートンは壁と同化し、伯爵夫人カテリーナは慌てて、取り乱した老女ミセス・エバンズに寄り添う。


「気を確かにお持ちになってっ、ミセス・エバンズ? 」


 宥めすかし、緊急かつ秘密裏に医者を呼び寄せ、大事にならぬよう細心の注意を払い、目立たぬようひっそりと、ミセス・エバンズは終の住処へと送り出された。

 目が飛び出るくらいの見舞い金と、感謝の報酬を乗せた馬車が、追従したのは言うまでもない。


 俗に言う(小真希の悪評の)口止め料と、世に才媛と名高い家庭教師ミセス・エバンズの面子を慮った、感謝の報酬である。


 精魂尽き果てた伯爵夫妻と、執事バートンが仕切り直した執務室は、夕方の陽に染まっていた。


「なんだか とてつもない者を引き取った気がするな」


「ええ。父の要請とは言え、頭が痛みますわ」


 弱音が口に上る夫妻に、深く礼をした執事は、爆弾を投下した。


「身の程を知らぬ申し出を致します。お許しください。どうかコマキィ嬢を、辺境伯様へお返し頂きたく存じます。あの方は我が伯爵家にとって、強大な力をもたらすかも知れませんが、災の種となり得るお方と愚行いたします」


「なに⁉︎ 」


 ギョッとする夫妻に、バートンは決意を込めた眼差しを向ける。


「どうか一日も早く、辺境伯様に、お引き取りくださいますよう。お願い申し上げます。お迎えにお越しいただけますよう、ご連絡を。シンプソン伯爵家の、でございます」


 滑稽なほど決死の覚悟を決めた面構えの執事バートンに、夫妻は瞬きした。

 本心は、何を馬鹿な事を、である。


「理由を述べよ」


 寄り親の、それも妻の親から頼まれた事を、理由わけもなく反故にする度胸は無いと、シンプソン伯爵は躊躇する。

 それでもバートンの報告が進むうちに、冷や汗が溢れた。


(荒唐無稽な嘘言そらごとに聞こえるが、我が娘ルイーゼの将来を思えば、万が一の可能性でも、芽は刈り取るべきだ。義父上ちちうえが何を思って養女に推したのか。はっきりとさせたほうが良い)


「わかった。手紙を送ろう。用意してくれ」


******

 王都のタウンハウスへ到着した辺境伯に、シンプソン伯爵家から二通の書簡が届いていた。


 一通はシンプソン伯爵から。もう一通は、小真希の護衛騎士から家宰への手紙だ。

 旅装を解いて湯浴みをし、こざっぱりと身仕舞いをした後、ようやく義理の息子シンプソン伯爵からの書簡を開く。


「ん? 」

 

 何度か読み返し、非常に不機嫌な表情を浮かべる辺境伯。

 この仕草を見て、家宰のアルバン・クライスが、お茶の準備をするよう専属侍女に合図を送った。


 次に開いた護衛騎士バルト・ユミナルからの手紙は家宰宛ではあるが、小真希に関するいつもの報告であろうと判断して辺境伯が開封する。

 これもじっくりと読み返し、渋面を隠しもせずに眉間を揉んだ。


「まさか。そんなにか? 」


 思わず溢した辺境伯の言葉は、端的に事態を表している。

 二通の手紙を回された家宰アルバンも、読み終わった時点で、主人と同じ仕草を繰り返した。


「それほどの戦力なら、塩湖の守備を任せた方が有意義ではなかろうか」


 思わず口走った自分の呟きに、自分で呆れ返る。

 ならば初めから、取り上げるような真似は止めればよかったと。。


「お館様。国難の回避が、先でございましょう」


「むぅ 」


 キッパリはっきり切って捨てる家宰アルバンに、辺境伯はさらに深く眉間の皺を増成した。

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