第131話 家政婦長 シシィ・モンゴメリの場合

 ミンツに専属侍女宣言をした、その夜。

 わたくし家政婦長シシィ・モンゴメリは、新しく次期家政婦長となったサーラと、就寝前の打ち合わせをしていました。


 サーラはマーリュ男爵家の三女で、学院卒業時に伝手を頼って、貴族家へ奉公に出るか、平民として生きるかの選択を、迫られたそうです。


 在学中に結婚相手を得られず、成績も中程度。

 男子を凌ぐような、突出した才能も無い女子には、大学院への進学は望めません。

 平凡なサーラには、奉公人か平民かの選択肢しか、無かったのです。


 現実に、在学する女子の大半が、サーラと同じ環境にいるのは、学院卒業生のわたくしも、充分に承知しています。


 サーラの場合、たまたま学院が仲介する職業案内で、シンプソン伯爵家の募集に応募し、運よく合格の幸運を得たのです。


 面接で感じたサーラは、やや気位は高いものの、主人ルイーゼに対する親愛は好もしく思えました。


もしも専属侍女として王宮へ上がったとしても、対立派閥の勢力争いで潰される心配はないと、判断しました。

 王妃様が掌握する王宮内の派閥争いは、表のまつりごと以上に苛烈です。


「一日、お疲れ様でした、サーラ」


 家政婦長の執務室は、服飾・小物に関する裁縫部屋と、表向き主人関連の雑貨を収めた収納部屋に挟まれています。

 室内には簡易の厨房が付随していて、お茶の支度に便利です。


「急な提案で、申し訳なかったわね。快く受け入れてもらえて、安心しました」


 小振りのテーブルに向かい合わせ、わたくしシシィは、お茶と焼き菓子を勧めました。


「こちらこそ、ありがたいご配慮です。本当に、お嬢様の為ならば、王宮でもどこでも共に参りますと、覚悟はしていたのですが、もともと小心者で。その……胃の辺りが、ちょっと、大変でした 」


 肩から強張りが取れ、照れくさそうに、申し訳なさそうに微笑むサーラを、わたくしシシィは好もしく思います。


「ただ、本当に、わたくしで宜しかったのでしょうか」


 シンプソン伯爵家の家政婦長と執事は、古くから同じ一族で継承されてきました。

 家政婦長を務めるのはモンゴメリ家。執事を務めるのはクルウ家。どちらも、シンプソン伯爵家の分家にあたります。


 途切れる事なく続いてきた血筋が、サーラによって変化した。本当にそれで良いのかと、心苦しい思いなのでしょう。


「あの子に対しては、ミセス・エバンズからも報告があったのです。どう対処するか、苦慮していましたので、良い薬です。奉公人である事の意味を、あの子は履き違えたのだから」


「差し出がましい申し出を、お許し下さい。ミンツさんはまだ若いのですから、これからではないでしょうか。その、随分と厳しい処置ではと、思ってしまいまして」


 ミンツの事で、奉公人同士の雰囲気や、古参の者が抱えるだろう思いを配慮して、拗れるのではと不安なようですね。

 これは、少し種明かしをした方が良いと判断しました。


「心遣いを、ありがとう。恥ずかしい話なのだけど、まだ、あの子に期待はしているのです。自分が仕えるべきお嬢様に、何をしたのか。そこに気づいて在学中に考えを改めたなら、その時には、別の生き方を考えてあげたいの。けれど、貴方がシンプソン伯爵家の次期家政婦長である事は、決して覆しません。それは留意して下さい」


 お茶をいただきながらの雑談を終え、明日の皆様シンプソン一家のスケジュールを確認します。

 過不足なく打ち合わせるのは、家政婦長と次期家政婦長の役目です。


「では、失礼を致します。お休みなさいませ」


「ええ、おやすみ。良い夢を」


 あまり遅くならないうちに話し合いが終わり、夫であるバートン・クルウが、屋敷内の見回りを終えて顔を覗かせました。


 シンプソン家のすべての鍵を預かるのは、執事の役目です。

 朝の開錠。夜の戸締りは、何があっても執事の仕事なのですから。もちろん。家内中すべての時計を巡り、ネジを巻くのも大切な仕事です。


 幼馴染で結婚した後も、姓は変えずに仕事を続けています。

 表向きに、家政婦長はモンゴメリ。執事はクルウと、決まっていた名残りです。夫婦別姓の方が、何かと都合が良いのも理由ですが。。


 将来、ミンツが家政婦長に。執事は夫の弟か、弟の長男に決まっていました。残念に思っても、仕方のない事ですね。


 ふたりきりの遅い夕食を終え、夫婦の自室に下がり、いつも通りに短いお茶の時間を持とうとしていた頃。

 珍しい事に、最愛の夫バートン・クルウがワインの栓を開けました。


「すまない。何が間違っていたのだろうか、私には分からない」


 どんな事にでも、まずは己の誤りを省みる人です。

 幼馴染バートン・クルウのこういう性格ところに絆されて、結婚したのですが、今回は良くない方向へ流れているみたい。


「わたくしも、ここまで愚かだったとは、思っていませんでした」


 出来うる限り、教え導いたつもりでいましたが、だけでは、人は育ちません。


「甘やかした覚えはない。と、思いたいのだが 」


 本来は子煩悩で、溺愛する性分タイプの夫です。本人的には苦しいくらい、感情と愛情を抑えてきたのです。

 地の底を掘り返す勢いで、落ち込んでいるのでしょう。


「選民意識を、どこで学んできたのやら 」


 嘆く夫に追い討ちをかけるが如く、仕えるべき主人あるじを蔑んだのはミンツです。奉公人として、本当に愚かしい。


「ルイーゼ様に仕え、従者メイドとして学院生になれば、思い知るだろうか」


 たまたま主人ルイーゼと同年齢のミンツは、専属侍女でありながら、学友の位置に就きます。

 途方もない誤解をしでかしそうで、本当に頭が痛い。


 あの子に専属侍女の在り方を、わたくしが教えるのは簡単です。ですが、それでは意味がありません。

 どうやらあの子ミンツは、頭を打って常識を覚える性分タイプのようですから。。


「そうならよろしいのですが。 いえ、逆の立場になれば、思い知るかもしれません。あなた、それに期待しましょう」


 まだ今なら、将来に救いはあります。

 きっとあの子は、王太子妃殿下の専属侍女に、なれない。


「コマキィお嬢様が、良い影響を与えてくださる気もするが、他人任せなのが心苦しいし、自分の愚かしさが情けない」


 今夜は夫の愚痴が、大放出です。珍しい。


 突然に降って湧いた養女の話。強権を握る辺境伯には逆らえません。

 平民の娘と伺って、どのような方かと心配いたしましたが、家庭教師ミセス・エバンズからの報告では、たいそう物覚えの良いお嬢様だとか。


 わたくしもダンス指導で、思わず力が入ってしまうほどの吸収力です。

 パートナーを務めた夫ですら、目を見張る成長ぶりでした。


「わたくしもですわ、あなた。ええ、それはもう、親の矜持が揺らぐほど、コマキィお嬢様に期待しています」


 ひとり娘ミンツだから甘かったのかと、自己反省に埋没する夫を宥め、そろそろ休みます。


 さあ、明日からも家政婦長として、伯爵家にご奉仕いたしましょう。


 次の代で、シンプソン伯爵家の家政婦長は、モンゴメリから、マーリュに家名が変わります。


 少し寂しい思いがします。ですが、それも時代の流れ。致し方ありません。

 とは言え、寂しい。ですね。。 

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