第96話 嫌な臭いの元は

 地中を進む精霊には、前方の強い魂の光が見えていた。

 いつもは闇雲に通り抜ける壁も、先ほど経験したびっくりな遭遇を思い出し、用心しながら顔だけを突き出す。


『ぉぉお、面白そうなものがある。どれどれ』


 そこは窓の無い、石壁石畳の部屋だった。

 魔石ランプがひとつだけ灯っていて、寒々しい明かりが瞬く。

 ミトナイ村で見た冒険者ギルドの地下牢に似ているが、あれよりは綺麗だと思う。


 鉄格子の部屋の中には女がふたり居て、差し向かいの硬そうなベッドに腰掛けていた。

 俯いた白い顔が、身体に巻きつけた毛布から覗いている。


 通路を挟んだ反対側の鉄格子の向こうには、何やら裸で血塗れの男が放置されていた。

 精霊の目から見て、魂の抜け殻だ。


の濁った匂いがプンプンするわい。嫌な残り香じゃのぅ』


 キィと扉の開く音がして、通路の突き当たりにある階段を、ゆっくり降りくる靴音が響いた。


『むぅ、ではないな。はて? 』


 降り立った初老の男は、辺りを伺うように銀盆トレイを抱えている。背後を気にしているのか、落ち着きが無い。

 縒れて薄くなった執事服を纏う姿は、枯れ木のように細かった。


「奥様。ご無事でございますか? 」


 女たちのいる鉄格子を挟んで声をかけ、格子の間から湯気の上がるマグカップと、紙に包んだ丸パンを差し出した。


「コルト。こんなに頻繁に来て、あなたは大丈夫なの? 」


 奥様と呼ばれた女が、気遣わしげに囁いた。その間に、もうひとりの女が執事コルトからマグカップを受け取って、奥様の手に握らせる。

 手のひらの温もりに、女ふたりは弱々しい息を吐いた。


「わたくしの事など、お気になさらず。 それよりも、奥様のお身体が心配です。ミリア、くれぐれも、奥様をお願いします」


「はい。お任せください。身体を張ってでも、お守りいたします」


 ミリアと呼び掛けられた女が、やつれた顔に強い意志を乗せる。


「では、奥様。また参ります」


 痩せてもしっかりと背中を伸ばしたコルトが、息を詰めて階段を上がって行った。


『うー 。まぁ、知らせてやるのも、吝かではない ぅむ』


 嫌な臭いに顔を顰めながら、精霊はふいっと姿を消した。


******

 夕方から熟睡した小真希は、深夜に目覚めた。

 腹ペコだった男たちに急かされて、収納ストレージを開ける。

 ドンと寸胴鍋で出した根菜スープを、簡易の釜戸にかけた。

 まだ暖かかったスープが、グツグツと煮える。空きっ腹に熱いモノが入って、少し気分がほぐれた。


『便利だねぇ。「鉄槌うち」にも欲しい人材だよ」


 軽口を叩くジーン。


「やらんぞ」


「却下します」


「手に負えないと思うけど? 」


「リム。死にたい? 」


ってもいいかしらぁ? 」


 ケラケラ笑うジーン《魔導士》は、スプーンを咥えておかわりをよそった。


『おい。見て来てやったぞ。わしに感謝しろ』


 氷天井を抜けてきた精霊は、フニョッと空中で横になった。「鉄槌」には精霊の存在を話していない。

 それでも仰向いて百面相する小真希を見て、ミグリーダーは視線でホアンに問いかけ、事情を知るホアンは苦笑でやり過ごした。


「嬢ちゃんは、病気でも持っているのか? 腕の良い医者を紹介するが」


 ミグのツッコミに、ミズリィ以外のミトナイ組ホアン・ウェド・リムが顔を見合わせる。

 どうするかを目線だけで語り合う皆を、ミズリィがぶった斬った。


「別に話しても、自分は大丈夫と思うが」


 一瞬、固まったホアンは、肩を竦めた小真希と見交わして渋々頷く。


「分かりました。実は、コマキィは精霊使いなのです。おそらくここに、精霊が現れたのだと思います」


「ほぉぉ、ん そうか」


 怪訝な表情で返事をしたものの、ミグは信じていない様子だし、トロンもジーンも、どう反応して良いか目を泳がせている。

 微妙な雰囲気に包まれてしまった。

 小真希は諦めてため息を落とすと、漂う精霊を見上げる。


「えっとね。みんなに姿を見せると、面白いかもよ」


『むぅ? わしを見世物にする気か。失敬な奴じゃ』


 ここで精霊に臍を曲げられたら、小真希は変人で、頭がおかしい子と思われる。

 

「あ〜〜〜 せ せっかく、かっこいい精霊をショウカイしたいなナンテ思ったのに〜 ざんねんだわぁ……きっと、おどろくとオモッタノニ 」


『ぬぬぬ、そ〜か? そうか! 良い、見せてやろうではないか』


 腰に両手を当てて、満面な笑顔の精霊が、空中に現れた。


『どうじゃ人間ども! 敬えっ』


 期待通りなのかどうかは別にして、「鉄槌」のメンバーは、目を見張っって固まった。


「んー アリガトウ。かっこいいし、とってもタスカルワー」


『むぅぅぅ、誠意を感じられん言い草じゃが。 まぁ良いぞ』


 目をぱちくりした小真希は、良いんかい! と心の中で突っ込んだ。


『あの家に、精霊を視る咎人はぐれものが居るぞ。目が合って、鳥肌が立ったノゥ。あれは血の臭いがプンプンする森人エルフじゃった。それから地下に、囚われ人がふたり居った。使役されとる男もおったな』


 あんぐりとした「鉄槌」を見て、過去の自分たち特にミズリィに想いをよせる。


「あんなだったよな。ミズリィ」


 余計な一言で、思い切り睨まれたリム。ホアンとウェドは生ぬるい視線で、カートを除いた「鉄槌」のメンバーを眺めた。


「すまん。疑って悪かった。そうか、ほんとに居たんだな、精霊」


 我に返ったミグが、頬を掻いて無理に笑顔を作る。

 居心地の悪い空気の中へ、偵察に出ていたカート斥候が、氷天井の隙間から雪に塗れて帰ってきた。


「ただいま。やばいのが居た」


 フードを下ろしたカートは、寒いだけではない顔色の悪さだ。


「王都に居ないと思っていた「銀羽」のキーマが、屋敷から出てきて辺りを探ってる。俺たちに気づいたとは思えんが……あー。なんだ、これ」


 俺様の格好でそっくり返る精霊に気づいて、警戒するより呆気に取られたカートは、凍える指を突きつけた。

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