第91話 最後まで、走っていただきます。

 平伏していたアルノールが、勢いよく顔を上げた時。ミグミカエル・オークランドの目の前で光が渦巻き、丸めた紙片がローテーブルに落ちた。

 無造作に拾い上げ、一読したミグは薄く微笑む。


「最高のタイミングです。領主代行、警備隊を招集して、領内に蔓延る犯罪組織の摘発に向かいましょう。陣頭指揮にあたるのは、あなたです」


「犯罪組織、ですか? 」


 まだ衝撃から立ち直れないアルノールに、ミグは大きく頷いた。


「そうです。数年前から、我が神聖王国バードックで暗躍を始めた犯罪組織の存在を、が察知されました。我々「鉄槌」を含む複数の高ランクパーティーが秘密裏に依頼を受け、探索しています」


 ずいっとローテーブルに乗り出したミグから、アルノールは骨髄反射で仰け反った。上背も横幅も圧倒的な巨漢が迫れば、命の危険さえ感じる。


 ここまでは理解できたかと仕草で求められ、なんとか頷く事で返事を返すアルノール。実際は、半分も頭が回っていなかった。


「そのの末端が、モルター領で暗躍しています。あなたと因縁のある両替商であると、情報を掴みました」


「両替商……ぁの ロイル 商会? 」


「そうです。両替だけではなく、金融や人材の斡旋まで手掛ける商会でしたね。もちろん領主代行も、ロイル商会の裏の職業に、心当たりがある筈です」


「……はぃ」


 実際にすべてを支配され、言われるがままの状態だ。

 高ランクパーティーが秘密裏に動いているなら。それも寄り親のサザンテイル辺境伯が噛んでいるなら、アルノールに逃げ場は無い。


 瀬戸際に立たされた今なら、打開策があるなら、今度こそ命を張ってもと、なけなしの気力を振り絞る。

 戦いは怖い。痛い思いもしたくない。けれど、長く続いた苦しみが終わるなら、もう死んでも良いような気もした。


「色々と懸念はあるでしょうが、我々が助力しますので、今すぐに摘発しましょう。あなたが守りたい方々の為にも」


「ぁ はい。……はい、すぐにっ」


 飛び上がった姿勢で、震える身体に喝をいれるアルノール。

 腹を括った顔に、うっすらと覇気が戻ったような。。

 なんにしても小心者アルノールの勇気が継続するよう、ミグも立ち上がった。


 是が非でも、証拠の品を確保せねば、の立場が悪くなる。

 指示を出しながら小走る領主代行アルノールのあとを、覇気を湛えたミグも足早に追従した。


******

「くっそぅ、とっとと着いて来い! 弛んどる! 日頃の鍛錬を、怠けるなっ。あぁっもうっ かったるい! 」


 極端に速度を落としても、追っ手が追いついて来ないなど、想定外だ。

 何回目かの交代で、今はホアンが女性スタンの妻を横抱きにし、ミズリィが子供を抱いていた。

 眠ってしまった子供を抱いて闊歩するミズリィは、奥歯を噛み締めて唸り上げる。


「本当に、想定外です。あと少しなのに、緊迫感が皆無とは」


 大通りの遥か先に、聖教会の門が見えている。大人が駆ければ、百を数えるほども無い距離だ。

 ほのかに頬を染めた女性スタンの妻を横抱きにしたホアンも、歩幅を狭めて肩越しに振り返った。


 振り返れば、崩れ落ちた破落戸ごろつきどもが、瀕死の状態で身体を起こそうとしていた。

 日頃の鍛え方に問題があると非難されても、反論はできまい。。


「困りました。これでは信憑性がありません。もっと殺気を込めて襲ってくれなければ、被害者の証明ができないではありませんか。あまり時間をかけたく無いのですが、困りました」


 破落戸に追われて聖教会に救いを求めたい場面で、肝心の破落戸が役に立たない。

 言っている内容の理不尽さに、ふたりホアンとミズリィは疑問を持たないのが不思議だ。


「何とか ん? 」


 立ち上がる気力もなさそうな破落戸の向こうで、杖を構えたウェドが見える。


「ミズリィ、走りましょう。チャンスです」


 ホアンの声がけに、ゆるゆると歩く速度から、ふたりはやや小走る速度へ変えた途端、背後で突風が逆巻いた。

 ひしゃげた悲鳴が響き、振り向いたふたりの目の端に、必死な形相の集団が掠める。


「ははっ 」


 何とも言えない乾いた憐む笑いが、ホアンの口から漏れた。


 鎌鼬かまいたちのように見えない凶器から、逃げ惑う者たち。絶妙な感じに衣服が裂かれてゆく。

 転げながら走る集団破落戸の歪んだ顔が、殺気を帯びているように見えなくもない。

 

「行くぞっ」


 必死な顔を装って、ミズリィが速度を上げた。


 聖教会の門で警護に当たっている数人の聖騎士が、走り込んでくるふたりに抜刀する。


「止まれ! 我が聖教会に何用だ」


「お助けください! この子とご婦人を監禁していた者たちに追われています。どうか保護を! 」


 門前で女性スタンの妻を下ろしたホアンが、「鉄槌」から預かった指輪を聖騎士のひとりに差し出した。


「これは。 では、あの者たちが犯人か? 」


 指輪から目を移した聖騎士は、追いかけてくる集団を指して確認をとった。


「はい。どうか、お助けください」


 さも疲れ果てたように肩で息をするホアンとミズリィに、聖騎士は道を開けた。


「承知した、我らが保護する。中へ」


 正義感に燃え、各々聖剣を構える聖騎士たちに向かってくるのは、なぜかボロボロに傷だらけで、涙と鼻水を盛大に垂らした集団だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る