第88話 噂に釣られて・・・

 時折駆け抜ける風が、深く下ろしたフードを持ち上げる。

 早朝の曇り空から渦巻く雪が、吹き溜まりへ積もって行った。


 リムと小真希は両替商の派手な邸宅へ向かい、ホアンたちは、身体の芯が凍る前に目的地へ辿り着く。そこは領主街の中心で、多くの民が利用する施設だ。

 堅牢な屋根と規則正しい柱列を持つ囲いドームは、先代領主が建設した庶民の市場で、冬の最中さなかでも凍える事なく利用できる。


 東西南北の入り口は、各出店の倉庫らしき小屋の配置で仕切られ、入り組む路地となって風を遮った。

 店主以外の立ち入りを禁ずる看板が、目立つように立っている。

 その細い通路を抜け、風除けの垂れ幕を潜ると、人熱ひといきれで汗ばむ空間が開ける。


 柱ごとに仕切られ、碁盤目に整備された出店と出店の間は、余裕を持って行き交える通路だ。

 寒風が吹き込まない公営市場は、食料品から雑貨まで、多くの出店がひしめいていた。

 

 手っ取り早く噂をばら撒くなら公営市場ここに限ると、「鉄槌」のお勧めもあった。

 噂の種を広めるのはホアンとミズリィで、離れた位置からふたりの周りを観察するのはウェド。その懐には、受信用の魔法紙スクロールが仕舞われている。


 発信用の魔石は、両替商の屋敷へ向かったリムが持っていた。

 決められた呪語ワードで魔石の魔法陣を発動し、三十文字以内で喋ると、ウェドの持っている連絡用の魔法紙スクロールに文字が刻まれる仕組みだ。


「うまく事が運びますように」


 他人の顔で呟いたウェドは、香ばしい串焼きを積み重ねる出店に、銅貨一枚を差し出した。

 布で頭を縛った華奢な女が、愛想良く手のひらで受けとる。


「らっしゃぃ。焼き立てを入れとくわ」


 チラリとウェドを見た店員は、木の筒に湯気を上げる串二本を突っ込んだ。あちこち焦げた肉の塊が、濃い茶色のタレを滴らせる。


「お客さん、初めて見るね。ここ公営市場の器と串は、買った店に返してくれれば良いよ。日にちを跨ぐなら、悪いけど洗ってから返してくれる? ここ公営市場決まりルールなんだ」


 きちんと洗って返すなら、持ち帰り可能らしい。


「いや、すぐにいただきます」


 育ちの良さそうなウェドの返事に、店員は目を見開いてから笑った。


「市場の真ん中は焚き火もあるし、広場になってベンチもある。あったかいから、ゆっくりしたら良いよ」


「うん。そうする。ありがとう」


 面倒見の良い店員に片手を上げ、頭ひとつ分抜きん出たミズリィを目視しながら、程よい距離で移動する。

 歩きながらかぶりついた串は、分厚い肉が思ったより柔らかく、濃いめの甘いタレが素材の旨味に絡んで美味しかった。


「帰りがけに買って行こう。食いしん坊のコマキィが喜びそうだ」


 何軒か聞き込みをするホアンたちの後を、剣呑な表情で着いて行く男がいた。その頭数が見る間に増えてゆく。

 的確にホアンとミズリィを囲い込んだ不審者が、威圧たっぷりな笑顔でふたりを倉庫の通路へ追い立てる。


「あーぁ。やり過ぎないと良いな」


 ポツリと呟くウェド。

 気掛かりは、うっかり力加減を間違えての殲滅だ。もちろん、ミズリィの。。

 追い詰めて返り討ちに合った不審者撒き餌が、次の不審者おとりを連れて来れるように、きっちり手加減してほしい。


 ミズリィが戦いに熱くならないよう、祈るばかりだ。


 ホアンたちが囲まれ、人目に付かない通路へ引き摺り込まれる引き摺り込む?事、通算七回。

 公営市場に続々と不審者獲物が増えた頃。

 ウェドの懐が振動し、開いた魔法紙に文字が浮かび上がった。


「『無人完了。これより始める』か。案外早っかったね」


 独り言ちひとりごちたウェドは、ちょうど通路から姿を現したホアンとミズリィに、微風を送る。

 チラと合わせた視線で、軽く頷いてみせた。


 ふたりホアンとミズリィの背後から顔を腫らした男たちがまろび出て、なりふり構わず迫る。


「【∽※≧‖※∽≧拘束】」


 なぜだか平らな石畳の上で、器用に足をもつれさせた男の群れが、派手に転がった。

 周りでいくつか悲鳴が上がり、人の動きが交錯する。


「ありがとう。美味しかった」


 木の筒に串を入れ、ウェドは店員に差し出した。

 悲鳴の上がった騒動に気を取られていた店員が、ハッとして受け取る。


「何だったのかね。異常は無いみたいだけど」


 不安げな呟きを漏らした店員の視線を、ウェドは同じように追い、気にした風もなく軽く肩をすくめた。


 騒ぎのあった方には、不安そうに周りを見回す客が幾人か見えるだけで、騒動の原因は居ない。


「何だったんだろうね」


 同じように首を傾げて、店員と笑い合ったウェドは、のんびりと歩を進める。

 これから行く場所は、分かっている。まったく急ぐ必要など無い。


(さてと、追いかけっこの始まりだ)


******

 の玄関が良く見える路地の植え込みで、リムと小真希は蹲っていた。

 ふたりとも結界の中に居るので、冷え込む事はない。


 見張りを始めてすぐ、ズタボロな男が転がり込み、幾人かのゴロツキを引き連れて、どこかへ走って行った。それを何回も繰り返すたび、から人の気配が消えていく。


「もうそろそろかな」


 さっき出て行ったゴロツキの後は、長いこと誰も帰って来ない。


『ズル賢い小男だけ、下品が満載の部屋に残っています、マスター』


 小真希の呟きに、オマケ改め取り説トリセツが返事をした。


 待っていたようなタイミングで、シュルンと現れた精霊に呆れ返る。

 面白い事人の揉め事などに、臭覚が鋭い精霊だ。今もワクワクと頭上を旋回しているのへ、ため息が出た。


「ん? どうした? トイレか? 」


 デリカシーのないリムの鼻先で、小真希はもう一度ため息を吐いてやる。


「な んだ よ」


「……何でもない。親玉は残ってそうだけど、そろそろ行ってみる? 」


 少々投げやりな小真希に引き攣りながら、リムは魔石を取り出した。


「退屈だしな、行くか」


 決められた呪語ワードを紡ぎ、リムは魔石の魔法陣を起動した。

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