第73話 化かし合い

「何が起こった! どうなっているっ! まさか、こ奴らがっ 」


 ぐっすりと眠る小真希の耳に、キレて喚く大声が突き刺さった。おまけに御者台側の垂れ幕を捲り上げたせいで、凍えた空気が一気に馬車内の温度を下げる。


「  うっさい。もぅ  さっぶぅぅぅぅ」


 睡眠時間が短かった小真希の寝起きは、が付くくらいに悪かった。

 身体に巻いた毛布を抱き込み、なおかつ転がりながら、敷いていた毛布を重ね巻きし、寝ているリムとホアンの方へ転がってゆく。

 人の温もりは湯たんぽだ。。


「盗人かっ」


 勝手に馬車内へ上がり込もうとしていた男の襟首を、ミズリィは後ろから捕まえて引き摺り下ろす。

 上等な羽毛入りのコートを纏った男は、積もった雪に投げ出されて、信じられないと眼を見張った。


「お まえっ わたしに手を掛けて、無事でいられると、おも おっ」


 怒りと興奮で呂律が回らない盗賊(仮)に、のんびりした声が掛かる。


「おはようございます。朝からどうされました? ロベルタカサンドラ商会さん。おや、いつもの護衛の方は? 今回は、ご一緒ではないのですか? 」


 爽やかなレーンの挨拶に、座り込んだロベルタカサンドラ商会は思い切り顔を顰めた。


「だまらっしゃい。アカルパ商会には、関係ない」


「……それはそれは、失礼をいたしましたね」


 軽く挨拶して野営地へ入ろうとするレーンの前へ、転がるように立ち塞がったロベルタが、丸々した手袋の人差し指を突きつける。

 全体的に丸々している体型は、羽毛のコートで倍以上に膨れ上がり、縦横の区別がつかない。


「抜け駆けはさせんぞっ、アカルパの子狐が! 」


「は? おっしゃる意味が分かりませんが」


 日頃から、抜け駆け・横取りするのが、当たり前のカサンドラ商会。

 今まで何回、取引先を掻っ攫われた事かと、レーンは思う。それでも、父を意地汚い狐と呼び、息子のレーンを小狐と呼ぶまん丸男を、完璧な微笑みで見返した。


「何の事やら。訳をお伺いしても? 」


「惚けるな。お前は若返り薬アムリタ完全回復薬ソーマを、闇で買っただろうがっ! コイツらから! 」


 湯気が立ちそうな顔を赤黒く染め、ロベルタがミズリィを指差した。

 指されたミズリィは両腕を組み、上から目線で睨み返している。

 直視するのを避けたい視線だ。


「…… アカルパ商会は、真っ当な商会ですが? 」


 お宅と違って。と言う言葉は、レーンの心の中で留めておく。


「おい、言いがかりだ。他人を巻き込むな」


 我慢の限界か、ミズリィのこめかみに血管が浮いてきた。


「黙れっ。冒険者風情が! ミトナイダンジョンから完全回復薬ソーマ若返り薬アムリタが出たのは、誰だって知っているんだっ」


 視線をずらしたレーンは、じんわりと肩をすくめる。

 最強竜ミズリィの逆鱗を蹴ったロベルタからソロリと距離を空け、器用に気配まで抑えて野営地へ後退って行く。


で悪かったな。ちょぉっと、あっちで話そうか」


 静かになって、冷静そうに話すミズリィは、危険だ。

 軽く掴んでいるように見えるロベルタの腕は、引き絞るくらいシワが寄っている。


「はあぁ? なん な なっ いっ イダイッ、イダイイダイ! 」


 涙目になるロベルタは可愛くとも何とも無いので、ミズリィの手加減は無い。


「その手を離しなさい、ミズリィ。やりすぎてはダメです」


 馬車から降りたホアンに止められ、舌打ちをするミズリィ。

 よろめいて距離を空けたロベルタに、ホアンが軽く頭を下げた。


「連れが申し訳なかった。だが、無断で他人の馬車に侵入すれば、盗賊として討伐されても、致し方ないのではありませんか? 」


 丁寧に真っ当なことを言うホアン。我に返ったロベルタは、睨み返すだけで我慢した。


「クッ、生意気な奴め。だが、まぁ良い。あの小狐に売った倍は出してやろう。ブツを持って来い」


 商人らしからぬ。いや、冒険者相手には、当然の態度かも知れない言いようで、ロベルタが吐き捨てた。

 

「ブツ? 心当たりはありませんね。人違いで 」


「まだ言うかっ。若返り薬アムリタ完全回復薬ソーマを、割高で買ってやろうと言っているんだ。お前たちはミトナイの冒険者だろ! 調べはついているんだっ」


「……はぁ。私たちはから来ました。モルター領の領主街で、する予定で。ミトナイ村の冒険者ギルドは、評判が良くないと聞いていますので、立ち寄ってはいませんよ」


「はぁ?! 」


 淡々と返答するホアンに、棒立ちのロベルタ。その横を、野営地で水を汲んだレーンが通り過ぎる。

 済ました顔からは伺えないが、腹の底では大笑いしているに違いない。


「ミズリィ。出発の準備をしましょう」


 唖然と突っ立ったままのロベルタを放置して、ホアンも踵を返す。

 馬車内で朝食を済ませ、厩舎代わりのテントを畳み、野営地を出発した。

 騒ぎを起こし掛けた罰で、ミズリィは御者台に座っている。その横で小真希は、通り過ぎる野営地を眺めていた。


「ぉおー。頑張ってる」


 そこ野営地には、自らの護衛を雪から掘り出すロベルタが居た。

 目を凝らして観察すれば、雪の中から手や足が生えていて、怪奇現象が発生している。


「生きてる? 大丈夫かな」


『大丈夫だ。手は打った』


 満足しきった精霊が、いつもの腕枕姿勢でふよふよ目の前を漂った。

 小真希だけに見えるバージョンか、ミズリィはむっつりと手綱を握っている。


『凍死などせんように、火の妖精を懐に入れてやったからなぁ。ァハハハ。わし、親切』


 低温火傷もなんだけど、お腹が火傷しそうよねと、小真希はのんびり考えた。

 分厚い雲で鬱陶しい空から、牡丹雪が舞い始める。

 領主街まで、あと半分。。

 染みてくる寒さに、小真希は深くフードを引き下した。

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