第54話 薬草スライム

 湖に近づくにつれ、あんなに濃かった靄が晴れてゆく。

 振り返れば濃い靄が立ち込めたままなので、晴れ間があるのは、湖と湖岸にあたる周辺だけだろう。

 相変わらず探索マップには、モクモクした靄の形に不明瞭な空白が漂っている。


「ふぇ!? ちょい待ちっ、止まって! 」


 探索マップに映る小真希の足元から水際まで、塗り潰す勢いで赤が広がってゆく。

 つま先に目を落とした小真希は、冗談抜きで飛び上がった。


「びゃぁぁぁっ! 」


 右足、左足と、熱さで爆ぜるように飛び続ける。


 相手も驚いたのか、カサカサと黒光する物体が(拳より大きな物体が)、湖岸へ向かい大移動を始めた。


「ぃやぁっ! ギャァ!! 」


 隣りに居たソアラも跳び上がり、驚異的な素早さで、ホアンの背中によじ登る。


「ぃ゛やぁ゛ぁ゛ぁ゛っ゛! 」


 叫んだ途端にメイスが落下。。

 一匹のカサカサに命中して、ポワンと金色の煙が立ち昇った。


 大移動は湖岸で留まらず、そのまま湖を覆い尽くす勢いで突き進んで行く。と、急速に湖面のあちこちが膨れ上がり、黄金色と虹色に包まれた巨大な魚が、大口を広げてジャンプした。

 両腕を広げたより大きい魚の大群が湖面を割って、飛び出してくる。


「宝石魚だ! 」


 歓喜する男たち。。悲鳴を上げ続ける乙女たち。。


 ソアラを背負ったホアンが、何かを堪えるように、ため息を絞り出した。


 背中を丸めて自分の身体を両腕で抱き、できるだけ爪先立った体勢で、小真希は小刻みに足踏みする。

 恐怖耐性とか忌避的感情緩和とか、そんなもの、何の役にも立たない。


 根源的な恐怖と嫌悪は、神様が魂に刷り込んだに違いない。うん。。


「おーぃ、もう居ないぞ。足元見てみろ。ったく、無敵じゃないのかよ」

 

 憎ったらしいリムに、小真希は足踏みしながら思う。


(……んなの、分かってるわよ。止まれないだけでしょうがぁ)


 とにかく、気持ち悪さが抜けない。

 怖気おぞけが抜けるまで、小真希のは終わらなかった。


「もぅ……やだぁ」


 泣きを入れる小真希の側に、ホアンは引き剥がしたソアラを置いた。

 リムがメイスと、発光する透明な魔石を持ってきて、黙ったままソアラに差し出す。

 小刻みに揺れる肩が、懸命に笑いを堪えていると分かった。


「ありがと……で? その魔石は、なに? 」


 メイスを受け取ったソアラは、リムの手のひらを見てブルリと胴震いした。

 横から覗いた小真希も、なぜだか身体が震える。

 リムの持つ平べったい楕円形が、妙に気持ち悪く見えた。


 綺麗な魔石なのに、なぜだ。。


「ソアラが仕留めた、クローチのドロップ品だよ? 」


 なぜか含み笑いに疑問系の語尾が、めちゃくちゃ怪しい。


「ほら、さっき、足元から湖に……  」


 切り裂くように叫んだソアラの手が、リムの手を高速で払い除ける。

 綺麗な魔石が、弧を描いて湖面に落ちて行った。


 を、ジャンプした宝石魚がキャッチして、盛大な水飛沫を上げる。


「ぜったい! を食べた宝石魚なんて、要らないっ! 」


 ソアラの怒声が、靄をって、響き渡った。


******

「この階には、赤斑病の特効薬になる薬草スライムがいる。できれば大量に欲しいと、探索者ギルドの掲示板で見たことがある。依頼料も高額だったから、探そうと思うのだが……」


 記憶力抜群のホアンが、二十階層の目玉依頼であるスライム狩りをしたいと言い出した。

 それに対し、怒り狂って涙目のソアラが、帰ると駄々をこねる。

 宥めすかしているうちに、探索マップの端が黄緑の三角を捉えた。

 三角の表示は人間だが、万一を考えて警戒はする。


 ひとつが先行して停止すると、五つの三角が動き出して合流した。

 歩みの鈍さから、斥候が安全確認した後を、パーティーが追いかけているのだろう。

 さっきのクローチの氾濫? で、落ち着いたのか、今のところ新しい発生ポップは無い。


「回避しましょう。今は、誰とも遭遇しない方が良い」


 ホアンの判断に任せ、大きく回り込んでやり過ごす。

 結局は転移陣の洞窟から離れる事になり、ソアラは渋々と駄々を引っ込めた。


「次に悪ふざけしたら、許さないからねっ」


「ふふ……はぁーい」


 まったく反省の色がないリムに、小真希がいい笑顔を向ける。


「そん時は、空中に放り投げてあげる。そうね……雲の高さくらいで、勘弁したげても良いよ? ねぇ、ソアラ」


 めちゃくちゃ良い笑顔になるソアラと、表情筋が凍りついたリム。


「頼んだわよ、コマキィ」


「了〜解〜。むふふふ〜」


 乙女心を傷つけると、もの凄くあとを引くと思い知るがいい。


 湖畔に沿って進むあいだ、薄黄色でヒョロリと草を生やした大きなスライムを、発見した。

 大抵は四、五匹の群れで、ジリジリと砂をかき分けて蠢いている。

 どうやら打ち寄せるを捕食しているようで、草食性だ。


「あれです。魔獣図鑑どおりの形ですね。核から生えている薬草を、千切らないように討伐してください」


 試しにメイスを振り下ろしたソアラが、跳ね返されて蹈鞴たたらを踏んだ。


「何これ、すっごい弾力! 」


 両断しようと大剣ロングソードを打ち込んだミズリィも、反動が大き過ぎてバランスを崩す。


「【⁑∴※≧√∂‥≧氷裂】」


 リムの短杖から鋭利な氷片が打ち出され、薬草スライムの外皮を突き抜けた。

 すかさずホアンが切り上げ、外皮の傷を広げる。

 グズリと崩れ消えた地面には、薬草を生やした薄黄色の魔石が転がっていた。


「よっしゃっ! 」


 ガッツポーズを決めたリムに、誰も反応しなかった。。


 誰一人、取り成す事もなく、黙々と薬草スライムを狩って、半日が過ぎ、リムはソアラに頭を下げて謝った。


「もう二度としません。ごめんなさい」


 全員から無視されて、相当応えたようだ。

 これで大人しくなれば良いのだが、どれくらいの時間、反省が続くのか疑問だと、小真希もソアラも思った。

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