第3話 精霊の注文(改)

 早速エリンの記憶を辿り、地下の廃棄場へ向かった。


 奴隷同然に使役されていた間、処理後のゴミとして廃棄される乙女の遺体を、焼却陣へ運ぶのがエリンの仕事だった。

 いつか自分もこうなると、日々神経を削られる役割だ。


 深夜には誰も訪れない場所だが、特定の魔物レイスが浮遊する危険地帯だったりする。

 足早に階段を下り、重い鉄扉を押し開けたその先は、燃焼の魔法陣が描かれた焼却場だ。


 一段高くなった魔法陣を避けて、対面の壁を目指す。

 壁に走る亀裂から覗くのは、自然にできた洞窟の薄闇だ。


 何度塞いでも崩れてしまう亀裂に、いつしか誰もが無頓着になり、そのまま放置されていた。


(どこに続いているか分からないけど、風が吹いてくるなら、出口はある。きっと)


 深呼吸で気持ちを鎮め、床部分に近い亀裂の広い場所へ、頭から身体を捻じ入れた。


「このっ…狭…い」


 無理やり頭が抜けて、痩せこけた肩がつかえる。

 もたもたと身体を捻る小真希の鼻先に、半透明なもやが近づいてきた。


「ひぇっ、出た! 幽霊レイス…ぅぅ」


 思わず目を瞑る小真希の頭上から、大笑いが降ってくる。

 恐々薄眼を開ければ、端正な容姿の幽霊レイスが腹を抱えて笑っていた。


「……? どこかで見たような…」


 透き通る身体に、長い銀髪がゆらゆらと広がって、取り留めなく揺蕩たゆたっている。

 底意地の悪そうな銀の瞳に、愉快だと笑みが溢れて……。


「あ、泥沼で溺れ死んでから、エリンを助けた精霊…根性悪のひねくれ者よね」


 とっさに思っていた事が、口をついた。

 自分の言葉が耳に入った途端、ギョッとして肩が跳ねる。


『……良く解らないが、怒っているのか? 面白い魂を持つ人間よ』


 不思議そうに小首を傾げた精霊に、小真希は冷や汗を流しながら、愛想笑いを浮かべた。


「……えっと、何か御用なの? わたし、すごく忙しいのだけれど」


 ただ見ているだけの精霊に、普段より低い声が出る。


『ならば、止めはせぬ。遠慮なく好きにすれば良い』


「そう…」


 じっと見つめられながら、なんとか通り抜けようと努力を再開した。

 再開したが、どうしても肩が通らない。


「なんで、初っ端から、つまずくかな、このぉ…」


 いつまで経っても同じ事を繰り返す小真希に、精霊は不思議そうだ。


「もぅ! 呑気に見てないで、手を貸してくれても良いんじゃない? 」


 八つ当たりなのは承知の上で、言いたい事を口走る。


『むぅ…よく分からん人間だ。対価はあるのか? 』


「へ? 無いわよ、そんなもの」


『…はは……やはり面白い。前のより、ずっと面白い。そうだ、お前の元の身体をくれるなら、手伝ってやっても良い。我の属性を、にした器用な魂よ。前の人間の魂のように、これからも我を楽しませよ』


 勝手な提案に、小真希のこめかみが引きつる。


「嫌よ、なんで大事な身体をあげなきゃならないの。この、変態精霊! 」


『むぅ…わがままな魂だ。なら、おまえの願いもひとつ、叶えてやっても良いぞ』


 いい加減に怒りそうで怒らない精霊が、子供に見えてきた。


「どうして、わたしの元の身体がほしいの? 」


 ふくれて口をへの字にしていた精霊が、輝くように微笑んだ。


『人間の街に紛れる時のに、転化させるのだ』


 長い年月を経て確固たる意思に目覚めた精霊は、人間の生活に興味を持ちだす。


 特に心地よい匂いと、様々な味だ。

 物質ではない精霊がそれらを味わうには、物質でできた肉体いれものが必要で、魂が抜けたばかりのものが必須だった。


「エリンの…この身体では、だめだったの? 」


 泥の泉で亡くなったエリンの身体なら、最適だっただろうと思う。


『……そうか。いや、でもあの時は、生きる様を見ている方が面白かったのだ』 


 思考が子供の残酷さだと、納得した。

 全部の精霊がこういうものなのかは知らないが、この精霊は子供じみている。


「ねぇ、わたしをわたしの身体に帰す事はできないの? 自分の身体に戻っても、ちゃんと彼女との約束は守るわ。エリンの代わりをしてから、時戻りで元の世界に帰ったり…とか、したいかなぁ……なんて、思ったり…無理? 」


 よく分からないのか考え込んでいた精霊が、首を振った。


『だめだ。お前の身体入れ物のほうが良い。前の人間は泣いてばかりで、見飽きたからな。それに時戻りで、前の世界には帰れないぞ。我はこの世界の精霊だ。別の世界に介入はできない』


「え? 」


『お前が前の人間エリンの記憶を引き継ぐように、前の人間エリンの魂を、ほんの少しだけ残してやった。お前の魂をこの世界に馴染ませるのに、我がわざわざ残してやったのだ。その記憶がなければ、生きていくのに難儀するだろう。我はこんなに、お前の為にしてやったのだ。帰る手段が無くとも、我をぞんざいに扱うでない』


 そうそう都合よく、小真希の思い通りにはならないらしい。


「……そう…分かったわ」


 脱力する小真希に掌を向けた精霊が、引っ張るような仕草をする。


「はぇ? 」


 ブレる視界が治まったとき、亀裂を背にした状態で立っていた。


「ん?」


 鼻先に近づいた精霊が、満足そうに笑う。


『習得した時空の加護は、ぜんぶお前に与えてやろう。だから、元のお前の身体を差し出せ』


「…嫌に決まっているでしょ! 」


 輝くようだった精霊の笑顔が、瞬時に不機嫌になる。

 ここでへそを曲げられたら、何をされるかわからない。

 小真希の背中を、冷や汗が伝った。


「……あ…安全な場所に行ってからね。話し合おう? 」

 しばらく睨んでいた精霊は、考える仕草のあとに、こくりと頷いた。


『わかった。早く行こう』

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