第2話 最悪人生に 憤る(改)

 それは、エリンと呼ばれる少女が十才の時だ。


 山の麓にあったエリンの村で、泉が枯れた。

 池ほどもある大きな泉の水位が下がり、泥の沼に変わり果てた。


 話し合って村の年寄りが出した答えは、乙女の生贄。。


 エリンは孤児だ。

 先年に母を無くした少女には、初めから父はいない。


 エリンを養ってくれた教会の神官も、古参の村人には逆らえない。

 かくして泥沼と化した泉に投げられたエリンは、死亡した。。


 人によっては奇跡と呼ぶだろうか。

 溺れて必死に助かろうとしていた少女に、精霊が興味を持ったのは。。


 苦しみの果てに死を迎え、身体を離れたエリンの魂に、精霊は生きたいかと問いかける。


「生きたかったわ。わたしは、何もできなかったのよ」


 項垂れる少女の表情に、精霊は小首をかしげた。

 苦渋に苛まれた魂の様子が、とても気になったから。。


 肉体から離れた魂は、もうすぐ輪廻の輪に還る。


 それは嫌だなと、精霊は思ってしまった。

 もっと何回も、この面白い感情を知りたい。もっと、この少女を見ていたい。


 精霊は、時を戻す加護を少しだけ少女に与えた。

 すぐに死んでしまったら、つまらないと思って。。


 エリンは自分の時を戻し、泉の水が枯れないように、時戻しの加護を泉に施してくれと精霊に願った。

 おかげで、泉の水は涸れなくなった。


「これで、殺されなくて済む」


 安心したのも束の間で、秋に溢れた虫の魔物が、刈り入れ前の麦を貪った。

 被害は大きくなかったものの、食料の買い付け資金にエリンは売られた。


「どうして、わたしだけが? 」


 唖然としているうちに隷属の首輪を嵌められ、思考を封じられたエリンは、精霊の加護を使えなくなった。

 首輪を嵌められる前に、早く時を戻せばよかったと、後悔する事もできない。


 売られた先は街の娼館で、瞬く間に病魔に侵されて命の火が消える。


 死んで自由になったエリンは再び時を遡り、近づく虫だけをで追い返し、懸命に侵入を阻んだ。


 その年の麦は豊作で、村には多くの儲けがもたらされる。


「これで、売られないよね? 」


 十二才の成人までは、確かに穏やかな毎日だった。


 友達もできて、憧れる人もできた。そうして、同じ年に成人した者たちと出稼ぎに行った王都で、エリンは再び、友だちと憧れの人に裏切られた。


 隣国との長い戦で、王国は疲弊していた。

 王国から仕掛けた戦を都合よく終わらせる術はなく、王家と教会は、多くの犠牲を必要とするいにしえの禁忌に手を出した。


 異界の覇者を招喚する古代魔法陣の建造だ。


 はじめは辺境の極貧農家から、口減らしの少女たちを集めた。

 表向きに国が求めたのは、一生をかけて神に祈りを捧げる乙女。

 そのために建立された神殿に集められて、二度と外には出られない。

 一切の交流を絶って、祈り続けるのが使命となる。けれど、現実は。。


 多くの乙女を捕らえて処理し、特殊な魔法薬と血を混ぜた液体で、山岳地帯の聖なる洞窟内に巨大な魔法陣を描いた。


 召喚の陣を起動させる鍵は、加護を受けた特別な乙女の生贄。

 国民に布令されたのは、聖なる祈りを完成させる乙女の募集だ。


 特別な乙女を探し出した者には膨大な褒賞が用意された。それを狙って、友と憧れの人はエリンを売った。

 特別な乙女でなくても、わずかな報奨金は出る。


 友だちと憧れの人が、自分たちの幸せの対価に選んだ生贄エリン

 不意打ちでエリンに従属の首輪を嵌めたふたりは、嬉々として王宮を訪れ。。


 こうして精霊の加護を持つ少女エリンは、召喚陣に魔力を注ぐ、に選ばれた。


*****

 時戻りする生き様を、初めから終わりまで眺めていたような、気鬱きうつな心地がする。


 何度も何度も事切れる間際に、さめざめと泣くエリンの顔が、にがく記憶の底にこびり付いていた。


『…だれか…助けて…』


 召喚が終わり、魂を削られて弱ったエリンは、人数を間違えたと殴られた。

 石畳に倒れ、助けを願う眼差しに返されたのは、嘲りと嫌悪と哄笑。


 エリンの懇願を無視して振り下ろされた棍棒が、か細い首を殴打し、骨を砕く。


 時を戻して繰り返し人生を歩んでも、結末はひとつしかない。

 縋って愛した者たちの裏切りと、エリンの死だ。

 どうにか回避しようと足掻いたエリンの心が、首の骨と共に、さっき折れた。


(うん…誰が仕組んだか良くわからないけど、最悪の結末しか無い人生を延々と繰り返すなんて……理不尽この上ないわ…)


 どこか現実離れしたこの状況で、小真希こまきいきどおる。

 自分の事も定かではないのに、人の事で腹を立てるなんて、我ながら器用だと自嘲めいた笑いが起きた。


(あなたは……生きたぃ? )


 不意な問いかけを耳が拾った途端、小真希の視界が変化する。

 不思議なことに、小真希は天井付近から、倒れたエリンを見下ろしていた。


 目線だけ動かして小真希を見たエリンの口元が、ほんの少し微笑みを浮かべる。


(わたしの身体を、あげる。だから、代わりに精霊を満足させて……もう、生き返りたくないの。おねがい…)


(…はぃ? )


 急激に景色が流れ出す。

 くるくると回転し、あらぬ方向へ振り回されて気が遠くなる。 


(やめてっ…やめて…こわい、気持ち悪い! )


 フッと、小真希の意識が、別な感覚に切り替わった。


(ぇっと、ここ…どこだった? あれ? )


 身体が重い。むき出しの手足が寒い。

 なんとか上体を起こして顔をあげれば、血の海に横たわるが見えた。


「はぁ⁇ え、なんで! 」


 よろめきながら立ち上がった首から、壊れた鉄の輪が転がり落ちる。


「ぁ…なに、これ」


 痩せて骨の浮いた両手を動かして、小真希は自分の頬を撫でた。

 いつもはポヤポヤしている頬が、ずいぶんと硬い。


『エリンが、お前に身体をやってくれと言った。そのほうが面白そうだと思ったから、願いを叶えてやった。これからは、お前が我を面白がらせてくれ』


「はぁ? 」


 思わず辺りを見回しても、誰もいない。


『ここは、異界からを召喚する為に、人間どもが整地した洞窟神殿だ。夜が明ければ、使役奴隷が掃除に来る。

見つかれば、お前は容易く処理されるだろう。さぁ、エリンの記憶と我の加護は残してやろう。存分に足掻いて、我を楽しませてみよ』


 また、どこかから声が聞こえた。

 言っている内容に、カチンとくる。そうして、相手が誰なのか予想がついた。


「あなた、エリンを玩具にした精霊でしょ! ほんと、たちの悪いゲスね」


 周りを見回しながら、小真希は悪態をく。


『…ゲスとは、なんだ? まさか、我に怒っているのか? 気配が尖っているぞ。精霊を敬え、人間』


「敬えるか! この、あんぽんたんっ。えぇっと、ガキンチョ…それから、それから……えぇっと、おばかぁ! 」


 言い争いが苦手な小真希は、人を罵る語録が少ない。あまりにも貧弱だ。


『よくわからぬが、騒ぐと人が来る。お前はもう一度、殺されたいのか? 」

 なんの躊躇いもなく、短剣で刺してきた男を思い出して、言葉を飲み込んだ。

 もう一度殺されるなんて、冗談ではない。


 早く逃げ出せばいいのだろうが、目にした自分の遺体は放置したくない。


が気になるなら、持って行けば良いだろう』


 扱いにイラっとしたが、魂が抜けた肉体なら、ソレと言われても仕方のない気がする。


『エリンにやった我の加護は、そのままお前の魂に継続させた。すぐに死なれては、面白くない。それに、我は時空の精霊だから、うまく加護を使えば便利であるぞ。まぁ、大抵の人間には無理だがな』


 時空と聞いて、好きな小説を思い出す。


「時空…精霊…加護? なら、空間もお手のものよね」


 自分だった遺体に手のひらをかざし、思いついた単語呪文ワードを唱える。


『サバイバル限定技能オリジナルスキル。保存内、特別枠を発動します』


 何かが聞こえた気がした。

 ゲスな精霊の声とは違ったような気もするが。。


「いやいや、アレしかいないわ」


 瞬時に消えた遺体と、残った血溜まり。

 気分は複雑で、最悪で、なかばホッとしている。


 さすがに自分のを、見ず知らずの他人にゴミ扱いされたくはない。


「……よかった、うまくいったわ。さて、誰かが来る前に、逃げ出しますか」

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