何処までも続く《瞳》で見える世界
私は溝口君の手を引いて逃げていく。この世界の果てのその更に向こうまで。
それでも《瞳》は私と溝口君を何処までも追いかけて、私たちの終わりを見届ける。見届けられなければ終わりなんて来ないのに。
私たちは田舎の田んぼ道を駆けていく。田んぼの近くにあるトラクターには誰も乗っていない。田んぼの水には誰かが着ていた農作業技が浮かんでいる。田植えは途中のままで、まるで現在進行形で誰かが田植えをしていたかのようだった。
息が切れて、私は立ち止まる。溝口君も相当息を切らしていて、咳をしている。
「ごめんね、溝口君。大丈夫? でももう《瞳》が来ちゃうかも」
「うん、でも歩いて進んでいこう」
私はそう、溝口君に言わせている。溝口君は《瞳》に見られることを受け入れている。諦めていると言ってもいい。《瞳》の望む結末、そうであれと導いていく結末に至ることを、自分の定めで、運命だと考えている。
だから、その果てに溝口君が幾度となく死を迎えるとしても溝口君はそれを自分の人生と受け入れる。たとえ十万人のアジテーターが溝口君を罵り、嘲笑っていたとしても、いつものように穏やかに笑って断頭台の階段を登る。
だけど、私はそんなことを許せない。
だけど、私はそんなことを受け入れられない。
私はそんな世界を、許せない。
でもそれは私のエゴで、私が認められない世界で、私が溝口君を失いたくないからで、溝口君自身の気持ちは私の中で多分、小さいものになっている。
「そうだね溝口君、歩いて行こう」
なのに私はその溝口君の優しさに漬け込む。「溝口君がそう提案したから、仕方ない」そう考えて、その提案に乗ってしまう。「溝口君を救うためだから仕方ない」「溝口君を守るためだから仕方ない」「溝口君に生きていてもらうためだから仕方ない」「溝口君の自由のために仕方ない」
嘘だ。溝口君を本当に縛っているのは、私だ。
私が一人の時には《瞳》は現れない。
溝口君が一人の時にも《瞳》は現れない。
《瞳》が現れるのは、私と溝口君が巡り合った時だけだ。
「あら、どうしたんだい、あんたたち」
不意に私たちに声をかける人が現れる。それはさっきまで作業着が浮かんでいた田んぼの場所。トラクターの音がする、トラクターにはおじいさんが乗っている。
カラスの鳴き声がする。蝉の鳴く声がする。私と溝口君の二人しかいなかったのに、急に世界が喧しくなる。
「もう、見つかった」
空には《瞳》が存在している。
私たちは逃げる。安息の世界を求めて。
私たちは世界を捲り、巡っていく。何処までも遠くへ。
朝を捲って夜へ行く。夜を捲って朝へ行く。
空を捲って地面に、地面を捲って宇宙へ。
海を捲る。青空を捲る。
今日を捲る。明日を捲る。昨日を捲る。未来を、過去を捲っていく。
私と溝口君は大人で、子供で、未来の人で、過去の人で、人間で、人間じゃなくて。
世界を幾度となく捲り巡っていって『何もない白の世界』に到達するけれど、それでも《瞳》はついてくる。
私と溝口君を《瞳》が見つけた瞬間、私たちの逃げた『何もない白の世界』はいつもの世界に変わってしまう。
おはよう、溝口君。
おはよう。
そして、さよならも言えないで溝口君が消えていく。
「だめ、だめだよ溝口君」
「いいんだよ。これで、これでいいんだ」
私の手のひらで粉雪のように小さく砕けた溝口君が風に乗って何処までも遠くへ消えていく。
涙を私はこぼし続けている。私は、何も救えない。何も変えられない。
私を見続ける《瞳》がある。
もう終わり。こうしていつも、終わり。
だけど、私は気づく。全ての終わりにこそ余白があるのだ。私は世界に残された余白で《瞳》を見つめる。
見られている時、私もまた《瞳》を見つめている。
絶対にこの目を、逸らさない。終わりまで、見つめ続ける。〈了〉
どこまでも。どこまでも。
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