誰かの夢の終わりに

 誰かの夢を守るために、溝口君が傷つくなら誰も夢なんて見なくていい。

 夢には私たちの心が無防備で出てしまうから、それを食い荒らす虫、夢食い虫が出てくる。楽しい夢も怖い夢も実のところ、私たちの心を揺さぶり、動かし、前に進ませる。人にとっての夢は何か大切なものを癒し、安らぎを与える場所で、夢は私たちの日々の生活の背骨なのだ。

 でも、そんな夢を夢食い虫は食い荒らす。夢食い虫の正体もわからない。誰もその危険性に気づかない。夢を食べられてしまって、夢を失くしてしまった人は自分が夢を見ていたことも、その夢を恐れたり、楽しんだり、愛したことを忘れてしまうから。

 夢を食べられた人は、夢の喪失に気づけない。夢を食べられていない人は、夢の危険を気づけない。

 だから、溝口君は人々の夢を守る戦いに身を投じる。

 溝口君にとって夢も現実も等価で、眠る必要もなく私の今いる世界とシームレスに夢の世界に飛び立てる。どうしてそんなことが出来るのかわからないけど、溝口君にとって夢は現実と紡がれているものだから出来てしまう。

 学校からの溝口君との帰り道、私とさっきまで楽しそうに話していた溝口君が険しい顔をして走り出す。誰かの夢が食べられそうになっている。溝口君の日常はあっという間に夢という戦いの最中へ姿を変える。

 そして、戦いは終わる。いつものように。

 いつものように、溝口君を傷つけて。

「ねぇ、どうして溝口君が夢を守らないといけないの」

「僕に出来て、そうしたいと思うことだから」

「でもおかしいよ。誰も気づかないのに、こんなの。おかしい」

 溝口君の体のあちこちは欠けている。

 夢と現実を紡いで、人の夢の中で戦う溝口君は夢食い虫と戦う時に自らを半分夢に変えている。だから、夢食い虫と戦うことは体を食べられるということだ。

 現実の人々は夢を認識できないから、溝口君の体の喪失も知ることがない。

 少し前は歩くことも走ることの出来た溝口君が、今は夢の中じゃないと満足に動けない。

「溝口君、お願いだからもう戦わないでよ。いいじゃん。もういいよ。誰が傷ついてもいいよ。死んじゃってもいい。このままじゃ溝口君が死んじゃう」

 私は泣きながらそう言い続けるけど、同時に私は自分の言葉の欺瞞を感じている。

 私がこうして話すのは、もう疲れているからだ。ただ、溝口君が傷ついて、それを見て傷つく自分に嫌気がさしているからだ。

 戦って、戦って、戦って、戦って、何も得られない。奪われていくだけの、失っていくだけの日々。何も得られない繰り返しに溝口君以上に私が嫌になっている。

 溝口君のためじゃなくて、私は私のために溝口君にそんな言葉を吐いている。

 毎日傷ついていく溝口君を送り出したくなくて。

「ごめんね」

 溝口君がそう微笑んで、私に言う。溝口君はそう言うけれど、戦うことを諦めていない。

「私は、許せないよ。みんなが、簡単に夢を食べられそうになるみんなが。溝口君を傷つけるみんなが」

「夢食い虫が悪さをしているだけだよ」

「自分のことなのに人に守らせている人たちなんてそいつらと同じだよ。溝口君をその人たちは食い荒らしてる」

 溝口君は静かに私の話を聞いてくれるのに、私は勝手に憤って、悲しんで、泣いている。

 守りたかった。私にも力が欲しかった。溝口君が孤独に戦わず、溝口君が戦いに気づかず、穏やかな日常を送ってくれていたら良かった。

 そんな日常が、いつかはあったはずの日常が今は遠い。

「もうだめだよ溝口君。私、許せないもの。平然と夢を見ているみんなが、私もう嫌だよ。許せないんだよ。ズレた怒りかもしれないけど、もう」

 そう言葉を発した途端、体が軽くなった気がする。

 誰かの夢を呪った時、誰かの夢が厭わしくて仕方がない時、それが私の夢になった時。私の背中がひび割れる。

「ごめんね、溝口君」

 私が変わる。羽が私の背中から引き出されて、私も全身に夢を食い荒らそうという意思が満ち溢れている。

 もう、私がなってしまった。溝口君を苦しめる虫をあんなに憎んでいたはずなのに私がなってしまった。

「私、虫になっちゃったよ」

 そう言って空に羽ばたこうとした瞬間、溝口君が私の手を掴む。

「謝る必要なんて、ない。ごめんね。いつかこうなると、知っていたのに」

 溝口君が私の羽を撫でた。

 ピィィィィという音がして、私と不可分だと思われていた羽がちぎれ出す。激痛がすぐに到来するかと震え上がるけど、想像していた痛みは訪れない。

「夢食い虫は、こうやっていつだって寄生先を探して、夢を見せるんだ」

 溝口君の手には、私の背骨と一体化しようとしてた夢食い虫がいる。

「だからこの夢はおしまい。本当に、ごめん。もっと安らかな夢にしてあげたかった」

 世界が揺れる。

「溝口君待って!」

 叫ぶ。

 その瞬間、私は目を覚ます。誰かのいない世界で。

 私が見たのは一夜の夢で、でも、永遠のような夢で。きっと、私はこれからも夢を見ていくのに、そこには大切な人がいない気がしている。

「ごめんね……ごめんね……」

 きっと、夢にあてられただけの感傷。

 でもこの涙は夢じゃない。誰かのために、流れてる。

 また今夜にいつもと変わらないような、でも大切でかけがえのない夢を見るために、今は泣く。〈了〉

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