忘れないようにしたいけど

 私は溝口君のことを忘れたりなんかしない。そう心に決めている。

 溝口君は自らの姿を変貌させて世界の危機の顕現、《変革の使者》と戦う。戦う理由なんて溝口君には存在しないのに、ただ《不変の意志》に望まれたからというだけで戦いから逃げることはできない。

 この世界には《世界の在り方》を変えたいという意志が存在していて、それは時に激化して《変革の使者》となって顕現する。

 溝口君は《不変の意志》を纏うことで変貌する。

 始まりは溝口君の姿に装着する鎧のようなものであったはずだけど、溝口君が《不変の意志》を纏う回数が増して行くほどにその姿は人間の物とは変わっていく。溝口君も《不変の意志》も戦いに最適化していく。煌びやかでスタイリッシュなフォルムだったはずの鎧は巨大で、無数の《変革の使者》に対応するために自らを巨大かつ様々な砲塔を身に付けていく。増大する自重を支えるために二本であった足も増やす。人型からかけ離れたものへとなって行く。

 何かに相対しようとすると、相対する存在と同一の存在にいつしかなってしまうのは何故なんだろう。《不変の意志》は戦いに最適化しようとするたびにその姿を《変革の使者》と良く似た物へと変えていく。いつしか戦いは、外から見た時にどちらが自らの味方なのかもわからなくなっている。戦いが終わり、溝口君が《不変の意志》を解いた時初めて私は溝口君が今回の戦いも勝利したことをわかる。

 溝口君は「平気だよ」と言うけれど、そんなことは虚勢であることが私にはわかる。溝口君は戦うことに疲れている。

 日常は《不変の意志》の勝利で終わっているから変わらない。私たちはいつものように学校で会って、くだらないお喋りをして学校が終わると一緒に帰る。夕暮れ時の河川敷、夕焼けのオレンジが川の水面に反射して世界が煌めいて見える。こんなに美しく見える世界でも《変革の使者》は世界を変えようとする。

「どうして、あんなに世界を変えようとするんだろう」

「見えている世界が違うんだよ。きっと、辛いんだ」

 そんなことを溝口君が言って少し私は驚く。

「倒しているのは溝口君なのに、って思った?」

「ううん。そうじゃなくて、そう思って戦うのって」

 きっと、とても辛いことだ。

「多分、こうやって考えながら戦うのも難しくなっていく気がする。最近、戦っている時の記憶が無いんだ」

 私は何も言えない。私は溝口君に戦ってほしくないけど、それを伝えたところで溝口君が戦わないといけない世界は何も変わってくれなくて、その言葉を溝口君に優しく否定させる手間をかけてしまうだけだから。

「ねえ、お願いなんだけど、もし僕がいなくなったら百回くらい僕のことを思い出してもらえっていいかな」

 不吉なお願い。でも、溝口君が私に何かを頼んでくれることなんてここのところずっとなかったことだから、受け入れてしまう。

 だけど、私はそんなことを突っぱねるべきだった。戦うことなんてやめろって、それが何の意味もなくても言うべきだった。

 それからも《変革の使者》は現れる。もう回数も数えることが馬鹿らしい数になっている。百に近いほどに顕現は続いて、その現れるまでの間も縮まっていく。

 溝口君は戦いに最適化するために姿を常に《不変の意志》を纏った状態に変えていく。その間は溝口君は誰とも話をしないし、ただ目の前の敵を殲滅するためだけの装置と化す。

 最後の戦いはもう誰にも手を出すことが出来ない。空を埋め尽くすほどの《変革の使者》と際限なく巨大化した《不変の意志》は互いにぶつかり合い、消滅する。

 戦いは終わるけれど、溝口君は帰ってこない。

 私は悲しみを抱えて、自殺したり、溝口君を戦わせた世界を憎もうかと思うけど溝口君との約束をまずは果たそうと思い直す。

 私は溝口君との思い出を繰り返し思い出して、ノートに綴る。私の中で言葉になっていなかった記憶が文字列になっていく。初めのうちは書いているうちに、記憶の中の溝口君が私の思う溝口君のイメージと違うことも度々あって、少し混乱するし、溝口君を失った悲しみが押し寄せてきて満足に記憶を記録に置き換えることも出来ない。

 でも、毎日それを続けていくうちに私はその作業が段々と楽にこなせるようになっていく。私の中で無限に広がっていたような溝口君は私の綴る文字の中で『溝口君』という記号になっていく。私の思い出であるはずなのに、「こういう時はきっと溝口君はこう言ったはずだ」という推測が混じって文字の隙間を埋めていく。

 私は溝口君を忘れない。でも、言葉にするほどに溝口君が過去になっていく。まるで私の中から溝口君が消えてしまう気がして、私は必死に溝口君のことを忘れたくない、溝口君に執着する気持ち、悲しいと思う気持ちを失わないように試みるけど、そういう風に思おうとしているということはもう溝口君の喪失の渦中に私はいないのだと自覚する。

 それに気づいたのは九十六回目。その繰り返しの果てに、私はきっと溝口君の喪失を乗り越えて日常に帰ってしまう。

「まわりくどいよ、溝口君」

 私は思い出の中の記号化していない溝口君にそう言うけれど、その言葉を聞く人はもういない。

 私は溝口君の言葉通り、今日も溝口君との思い出を綴る。

 私は筆を進ませる。溝口君のいない世界へと。〈了〉

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