夜道を歩く、一人と一人で

 夜道を一人でブラブラ歩く。

 学生の頃からこうして夜道を歩くことが好きだった。サークルの人間関係だとか、バイト先で厄介なお客さんにクレームを入れられたことだとか、働くようになってからは仕事でうんざりしたりイライラしたりしたことだとか、歩いていると何も直接的な解決はしないけど少しは気が晴れる。呼吸が深くなって頭に酸素が巡っていたりするんだろうか? 理由はわからない。でも人生は問題解決のためだけにあるわけじゃないから、そんなちょっとした心が軽くなる瞬間を与えてくれる夜道の散歩はありがたい。

 街灯もない道を歩くのは危ないよ、と家族とか友達に言われるし確かにそうだな、と思うのだけど歩いているうちにある種の陶酔みたいな感覚があって私はついつい近くの川沿いの道を歩く。

 夜の明かりもない川沿いは静かだ。サラサラ、チャプぅ、チャラチャプ、みたいな水の音が聞こえてくるし、徐々に目が慣れて暗闇の中でも色がわかる。

 そんな風に歩いて数カ月、すっかりいつもの散歩コースになった頃にようやく気付くことがある。誰か、一緒に歩いている。

 ザクッ、ザック、ザシュ、ジュリ、と自分が地面の石を踏んで歩いている音を聞くとたまに私のものではない足音がある。

 辺りを見渡すけど誰もいない。

 ザクッ、ザック、ザシュ、ジュリ、と歩くほどに音が重なっているな、と思う。不思議と怖くない。

「もう言っても聞かないかもしれないけど、夜道は危ないんだからやめときなさいよ」

 母さんがそんなことを言う。

「うん。そのうちね。ところで何でそんなに危ないと思うの? 治安良いじゃん。ウチの周り」

「うん、って言ってもアンタ全然聞かないでしょうが。治安の話じゃないのよ。歩いてて急に死んじゃった人がいるんだから気をつけなさいよって言ってるの」

 おお? と思って聞いてみる。どうやら私がボケッとしてて知らなかったのだけど、この辺りで夜道を散歩してて急に心臓麻痺か何かで死んでしまった人がいたんだとか。すぐに救急車とかを呼べば助かったらしいけど夜道で、街灯もないから見つかるのが遅くなって……とかなんとか。身の回りの人が言う「危ないよ」にも色々な意味があったのだな、と今更私は理解する。

 でも、私が興味を持っているのはそんな「危なさ」よりもそこで亡くなった人のことだ。それも噂話になっていてすぐにわかる。

「溝口君、ねぇ」

 少しして、私は母さんから話を聞いたのにいつものように夜道を散歩している。

 私と同じ年頃の溝口君は私と同じようにこの道を歩いていて、死んだ。

 親戚のお葬式に行った時よりもそれは私にとってリアリティのある死で、私がこうして生きて、歩いている道の先に確実に死があるのだということを実感する。

 ザクッ、ザック、ザシュ、ジュリ、という音がして、相変わらず溝口君も歩いていることがわかる。

「ねぇ溝口君、私に取り憑こうとか思って歩いているの?」

 返事はない。ただ、私の足音に混じる溝口君の足音を感じている。

「あの世ってどんな感じ? こっちの人があっちに行ってるってことだから、案外かわらないのかな。それで、こうして散歩していたりするのかな?」

 答えはない。

「警告してくれてる? こうして一人で歩いていると怖い目とか酷い目にあうよって」

 溝口君が何を思って、こうして歩いているのかはわからない。

 色々と言葉を発してしまったけど、正直なところ溝口君が何を考えて、どうしてこうなっているのかを無理に知ろうとも思わない。そういう風にコミュニケーションを取れないのが断絶で、それがわかりやすく表されたものが死なのだから。

 ただ、こうして歩いている時間がゆっくりと私と溝口君には存在していて、それは生も死も関係なく流れていて、世界の寛大さのようなものを感じる。

 私は相変わらず穏やかな気持ちで歩いていて、夜道の散歩は好きだなぁと思う。

 私は溝口君のことを何もわからないけれど、何かを解き明かすことだけが全てじゃなくて、こうして歩いている気持ちの良さはきっと溝口君にも今も変わらずあるんじゃないかと思うし、信じることにする。

 そんな心地にさせてくれるこんな時間、ありがたい。〈了〉

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