白昼夢旅行記
溝口君が目覚めない。
ある日、突如として眠りから目覚めない人が現れて、私たちは大切な人との断絶に向き合うことになる。
不思議なことに、目覚めなくなった人が現れると同時に眠りにつかない人も現れる。そのうちの一人が私だ。健康には全く支障がない。
目覚めなくなった溝口君の代わりに起きているかのように、眠らない私の代わりに眠っているかのように私たちは逆の立場になってしまう。
「おはよう、って言っても眠ったままだね」
私は溝口君を訪ねて、声を掛ける。お見舞い、という言葉を使うのは何か違う気がしていた。私の不眠と溝口君の睡眠を人々は病気だ、奇病だ、というけれど私は自分から眠りが消えてしまったことを何故だか自然なことに感じていた。まるで生まれた時からそうであったかのように、私は睡眠の不在を受け入れていた。
私は毎日のように溝口君の家を訪ね、眠りについたままの溝口君に話しかける。そうした方が良いと人に言われていたし、眠りにつくまでは毎日のように話をしていた溝口君に私が話しかけるのは道理であるように思った。ただ、自分で納得してというよりも取り立てて反論を言うような理屈が自分の中にないからだった。
毎日溝口君と会っているはずなのに、孤独が募るのは一方通行のコミュニケーションだからだろうか?
それでも日々は過ぎる。いつの間にか学生だというのに当分生活するのに困らないくらいのたくさんのお金が手に入っていた。人々の研究に協力しているうちに、その対価として渡されるお金がただ溜まっていったし、アルバイトを夜も出来るようになったので私の収入はそれまでの数倍以上だった。
疲れもしなかった。ただ、不思議なことにそんな生活をしていることに罪悪感が湧いてくる。疲労を感じない代わりに、楽しさすら失ってしまったのかもしれない。
得体の知れない罪悪感について考える。もしかすると私には、何かしないといけないことがあるのかもしれない。それを知らず知らずのうちに蔑ろにしてしまっているのかもしれなかった。
「やらないといけないことって何かな、溝口君」
溝口君は答えない。ただ、目覚めないままの溝口君がそこにいる。
世界で多くない珍しい状態になったはずの私の生活は、以前に比べるとずっと無味乾燥していた。繰り返しの日々。もしかすると、そんな繰り返しだけの日々が私に罪悪感を芽生えさせているのかもしれない。
最近では、溝口君に話すことも減っている。日々の業務報告みたいな話しか出来なくなってきた。
だから、行動を変えることにした。
「溝口君、少し私出かけようと思う」
返事はない。でも、溝口君ならいつものように「いいと思うよ」と言う気がした。
私はアルバイトを辞める。研究への協力も、私だけで成り立っているわけではないので変化が起きたら報告するという条件でしばらく休むことにする。
私は旅に出る。
生まれ育った街を出て、電車に乗って行き先も決めずに進んでいく。
海に行く。天気はとても良かったけれど、海はあまり綺麗ではない。
「もっと、綺麗な海を見せたかったな」
不意に独り言が溢れて、自分でも何を言っているんだろう? と思う。私は一人で来ているのに。
でも、その言葉には実感があって、私はこんな状態になって初めて何か目標のようなものが出来た気がしている。
私は綺麗な海について調べて、飛行機にも乗る。慣れない海外にガイドブック片手で歩き、時に乗り物を使い海へと着く。
その海の水は透き通っていて、白い砂浜と太陽の反射でキラキラと輝いている。そのままそこにいて、夜になっていくと同じ場所であるというのに表情がガラリと変わる。そこに生きているものが何もないかのような冷たい世界。でも、そんな世界の二面性が私に安らぎを与えてくれる。
ああ、こういう場所を見るために起きているのかもしれない。
そう思ったままそこで朝になるまで過ごす。朝になると私はその地を去って、また何処かへ旅をする。
水平線まで続くような花畑を見た。
断崖絶壁に照りつける太陽を見た。
北極圏でオーロラを見た。
私は世界の美しさに心を動かしながら、不思議と以前よりも孤独を感じない。まるで溝口君と話すことが出来ていた日々のような心地だった。
もしかすると、今の私は溝口君の夢なのかもしれないと思う。溝口君は何かを失ったのではなくて、私の生きるこの世界が溝口君の眠りの中なのかもしれなかった。
私が起きている代わりに溝口君が眠り続けているのか。
溝口君が眠っているからこそ、私のいるこの世界が存在しているのか。
明日は何処に行こうか。
夢みたいな日々だから、きっといつかは世界の果てだって見れる。
そうして、夢と現実の入り混じる境界線でもう一度溝口君と出会うのだ。そんなことを夢見ながら、私は今日も旅をする。
そうでなくても、こうして歩くことは心地よい。〈了〉
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