第70話 襲撃失敗
その頃、ライゼンバッハ伯爵の襲撃が失敗したという情報は帝国にまで届こうとしていた。
「ウェムー様。ライゼンバッハの研究所から連絡が来ましたよ」
「なんじゃ...全く、今は忙しいと言うに」
老人はぶつぶつ文句を言いながらも、見ていた資料を手放して、通信室へと向かう。帝国内での通信はほぼすべてそこで行われており、前回の連絡のときもそこを使っていた。
とはいえ、通信には魔石が必要なこともあり、よほど重要な話か緊急事態でないと使うことは許されない。つまりこうして連絡が来ている時点で重要だと言うことはわかるのだ。
それゆえ、老人は文句を言いつつも通信室へと急いでいた。
(一体何の用じゃ...)
(ライゼンバッハと言っていたな...魔物を貸してやったところだったか...)
いったいどうしたというのだろうか。わからないが、どこか嫌な予感がする。こういう予感は往々にして当たってしまうものだ。
老人は逸る気持ちを押さえつつも通信室の扉を開いた。魔法装置はすでに向こう側とつながっているようで、魔石が放つ青い光が部屋を照らしていた。
「...待たせたのう。どうかしたのかね」
「ウェムー様!も、申し訳ありません。実は...」
その報告は老人にとって驚愕の内容だった。なんと、ライゼンバッハ伯爵に貸してやった魔物が冒険者の手によって討伐されてしまったのだ。
(...そんじょそこらの冒険者が勝てるような魔物ではなかったはずだが...)
改造した魔物は高い運動能力と、魔法、さらには自己回復までできるかなり厄介な魔物だったはずだ。
特に、硬い体と回復の組み合わせはかなり相性が良く、万が一相手がかなり強力な相手だったとしても、持久戦に持ち込んで強引に勝ちをもぎ取ることができるようになっていた。...はずだった。
「...もしや、レッドウルフだけ差し向けた...というわけではなかろう?」
ライゼンバッハ伯爵には2体の魔物を貸していた。一匹は特殊能力である咆哮を改造したもので、もう一匹は先ほど述べていたキメラである。
一応、伯爵にはなるべくレッドウルフだけで事が済むならそれだけにしておいてくれとお願いはしていた。レッドウルフの改造は喉元だけであり、見た目は普通の魔物と変わらないからだ。
もし、レッドウルフが万が一倒されたとしても大雑把な冒険者なら気にもとめない可能性もあり、出来ればそれだけで話が済むのが一番楽だったのだ。
「いえ...最初はレッドウルフを差し向けたようですが、やられてしまったので後詰としてキメラを動かしたようです」
ライゼンバッハ伯爵は昇格試験用の依頼をレッドウルフにするために、それ以外のDランクの討伐依頼を手勢を使って先に受注していた。
ワロウたちが依頼を受けた際にレッドウルフの依頼しか残っていなかったのはそんな理由もある。が、流石にたまたまその時に新しく出没したオークまでは手が回せなかった。
キール少年たちがレッドウルフの討伐に割り振られたのは偶然で、そこまではライゼンバッハ伯爵も運がよかったと言える。...結局倒されてしまったのだが。
「ふむう...そうか。まあ、レッドウルフは咆哮以外は普通の個体と変わらんからのう...」
そして老人は宙に目を彷徨わせると、ぼんやりと考え事を始めた。通信先の研究者はその様子に焦ったような声を上げる。
「あ、あの...」
「ふふふ....」
「ウェ、ウェムー様?」
いきなり声が聞こえなくなったと思ったら次は押し殺したような笑い声が聞こえてきた。いったい何事だろうかと研究者は動揺を隠せない。その一方で、老人の笑い声はどんどん大きくなっていって、ついには部屋に響き渡る勢いで大笑いし始めた。
「ハーッハッハッハ!!よい!面白い!実に面白いと思わんかね!」
「え....?」
偉く上機嫌な様子に戸惑う研究員。それはそうだろう。やられてしまったキメラは明らかに普通の魔物ではない。人の手が入っているとわかれば、ギルドも血眼になってそれを行った組織を探すはずだ。
当然、最悪の事態とも言えるだろう。なのに、なぜ老人はこんなにも愉快そうなのか。
「あれだけ丹精込めて研究して、試験して、試行錯誤して作った血と涙の結晶があっさりとどこの馬の骨ともわからん田舎冒険者に敗れる。...そうだ。研究とはそういうものなのだ」
「...」
老人は途中から独り言を言っているかのようだった。研究員もその言葉に何と返事してよいのかわからず黙り込む。そんな反応も気にせず老人は話し続ける。
「やはり、研究だけではわからんのだ。実際に試してみなければ意味がない。理論だけでできたもので、実戦で耐えうるものなどできるわけがない」
「は、はぁ...まあ、それはおっしゃる通りですが...」
「うちにいる椅子にふんぞり返って座っているだけの馬鹿どもにも見せてやりたいのう!」
よほど鬱憤がたまっていたのか老人はまくしたてるようにして言葉を連ねる。その勢いに呑まれ、研究員はただ頷くことしかできない。
「...実戦データはとったじゃろうな?」
「は、はい。只今解析中でございます」
「解析が終わったらすぐにワシに連絡をよこせ。...ではな」
老人はもう話は終わったと言わんばかりに通話を切ろうとする。慌てたのは研究員だ。まだ、肝心の話が全くなされていない。
「ウェ、ウェムー様!少々お待ちください!」
「...なんじゃ。他に何かあるのかの?」
「い、いえ...今後の処理の方法をご教授いただきたく...」
キメラの存在はギルドまで伝わってしまったと考えてもいいだろう。そうなるとギルドからの追及の手がこちらまで来てしまう可能性がある。それをどうすればよいのか。
「ふむ...そんなことか。とりあえず死体は回収したのかの?」
「は、はい。現在回収を急がせています」
「...なら、良いじゃろう。向こうも調べるものが無ければそう簡単にはこちらまでどり着くまいよ」
冒険者ギルドとしても禁忌の研究である魔物の研究が行われていたなんて話は、よほどの証拠がない限りそう簡単には受け入れられないだろう。
そこで、キメラの死体さえ隠してしまえば、後は実際に戦った冒険者の証言だけが残ることになる。証言だけでそう簡単にギルドが動くとは思えなかった。
「そうでしょうか...」
「それに、ライゼンバッハの小僧も隠ぺいしようと動くじゃろう」
ライゼンバッハ伯爵もこの研究所の存在がバレてしまえば失脚は間違いないし、下手すれば謀反と考えられて処刑の可能性すらある。彼は必死になって研究所の存在を隠そうとするはずだ。
いくら冒険者ギルドが貴族の権力に屈しないとは言っても、貴族相手に明確な証拠のない嫌疑をかけるのは難しい。ライゼンバッハ伯爵が全力で隠ぺいをするのであれば、そう簡単にギルドも動けるわけではないのだ。
「...上にはどうされますか?」
「むむ...まあ、宰相殿には話しておかんといかんか...」
先に述べた理由で、研究所自体が暴かれる可能性は低そうではある。だが、もしかしたら...という可能性は拭いきれない。帝国の今の状態を取り仕切っていると言ってもいい宰相には話さないわけにはいかない。
「まあ、宰相殿にはワシから報告しておこう」
「ほ、本当ですか!」
研究員の声色に喜色が宿る。流石に国のトップともいえる宰相に不祥事の報告をしなければいけないというのは彼にとって相当に胃が痛いことだったのだ。
老人が代わりに報告してくれるというのであれば、それに越したことはない。キメラが倒されたと聞いてからずっと頭痛がしていた研究者だったが、一気にそれが回復した。
「うむ。そちらは実戦データの解析に全力を注ぐのじゃ。よいな?」
「はっ!かしこまりました!」
「ではな。長く話すと魔石も馬鹿にならんからな」
「はい!お忙しいところ、ありがとうございました!」
研究者はほっとしたようで、威勢よく返事をして通信を切った。老人は通信が切れてからもその部屋の中でしばらく考え事をしていた。
そして、おもむろに立ち上がると、通信室を出ていったのであった。
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