第69話 ライゼンバッハ伯爵の暗躍
「クソッ...!!バングニルの小倅め...!」
ある男が部屋の中で苦々し気につぶやいた。その部屋には高価な調度品がいくつも飾られており、その男がそれなりの身分であることが伺えた。
その男の名はライゼンバッハといった。彼はマルコムの町やその付近の小さな町を治めている伯爵で、帝国派の貴族だった。
ライゼンバッハ伯爵はキール少年を襲撃しようとしていた。彼は事前にキール少年がこの町に来ることを知っていたのだ。...ペンドール商会の中にいる内通者からの情報によって。
敵対する王国派の貴族、しかも有力な大商人とつながりを持とうとしている厄介な貴族が自分の領地に来ているのだ。これほどの絶好の機会を逃すわけにはいかない。
キール少年自身はそのことを軽視していた。ペンドール商会と王国派の貴族がつながることが、どれだけ帝国派にとって厄介なことなのかをわかっていなかったのだ。
ペンドール商会は最近になって出てきた商会で、飛ぶ鳥を落とす勢いで勢力を広げ続けている。当然帝国派の貴族の中にもこのペンドール商会と取引をしているものは多かった。
しかし、もし、その商会の娘が王国派の貴族と結婚するとなると事情は変わってくる。もしかしたら結婚すると同時に帝国派の貴族との取引を禁じられる可能性もあるのだ。
ペンドール商会は規模の大きい商会で、当然その取引というのもかなり大きな金額が動くことが多い。それこそ、一回の商談だけで、そこら辺の男爵の年収と同じくらいの金額が動くことも珍しくなかった。
逆に言うと、取引を禁じられてしまえばその分の被害額も大きいということになる。
それを理由に、王国派に寝返るものも出てくるかもしれない。王への忠誠によって派閥をまとめている王国派とは異なり、帝国派は帝国に忠誠を誓っているわけではないのだ。
単純に帝国に従った方が利益が大きい...そう判断した者たちが集まってできた烏合の衆...それが帝国派の実態だった。当然、その利益が危険にさらされるならば、王国派に鞍替えしよう...そう考えてもおかしくない者もいた。
そうなってしまえば、帝国派にとって痛手になることは間違いない。それを防ぐためにもこの婚約をないものにしなくてはならなかったのだ。
ライゼンバッハ伯爵は何とかしてキール少年を害そうと考えた。だが、思ったよりもキール少年の周囲の警戒が激しく、伯爵の手持ちの戦力では襲撃は難しかった。
そこで、将を射んと欲すれば先ず馬を射よというわけで、内通者を使って婚約者であるリンネを狙ってみたが、これも不発。
逆にその内通者が捕らえられてしまい、さらにはリンネに対する警備も厳しくなり、余計に手出しがしづらくなってしまった。
(あの毒ならば毒殺に気づかれることはないと言っていたではないか...!)
(どいつもこいつも役に立たん!)
当然、ライゼンバッハ伯爵も毒殺に気づかれると面倒だということはわかっていた。誰が狙ったのかという話になったときに自分に疑いが来る可能性も十分あったからだ。
なので、毒殺とはわからないような、そしてごく限られた一部の人間でしか知らないような毒を用いて殺害しようとしたのだ。だが、何故かそれは失敗してしまった。
ライゼンバッハ伯爵は焦った。このような好機を前にしておきながらなんの邪魔もできなかったとなれば、派閥の長であるトトラッパ宰相に顔向けできない。
だが、バルド率いるCランクパーティの面々はそう簡単に打ち破ることはできない。Cランクともなれば、数多くいる冒険者の中でも一握りの強さを持った冒険者なのだだ。それに加えて影で護衛をしているものもいるようだ。
何回かバルド達がいない隙に手持ちの駒で襲撃を仕掛けたのだが、あっさりと撃退されてしまった。影の護衛も優秀なのだろう。
もちろん伯爵が保有している騎士隊全員で討ち入れば、命を奪うことはたやすい。だが、そんなことをすればそのことが周囲に知れ渡ってしまい、ライゼンバッハ伯爵は謀反を起こした重罪人ということになってしまう。
それでは当然ダメだ。秘密裏にことを運ぶ必要がある。だが、今の戦力では襲撃は難しい。一体どうすれば...
悩むライゼンバッハ伯爵の元へ一つ耳寄りな情報が訪れた。キール少年が護衛を置いて外へ飛び出したというのだ。
外へ出てしまえば襲撃もたやすい。しかも、誰にも見られずに始末することも可能だろう。ただ、一つだけ問題があった。
キール少年は冒険者ギルドのランク試験を受けているようで、その周りには仲間の冒険者が複数いたのだ。しかも、そのうちの一人は試験官でCランク冒険者だという。下手な刺客を送ったところで返り討ちにされる可能性が高い。
しかも、迂闊に冒険者に手を出すと冒険者ギルドが出てくる可能性が高い。冒険者ギルドの人間は貴族というものに敬意を払うことは少ない。彼らにとって重要なのは強さなのだ。
だが、今を逃せばこれ以上の機会が訪れるとは思えない。この機会に何としても襲撃を成功させるしかなかった。
だが、それを実行できるほどの強さを持った部下がライゼンバッハ伯爵にはいなかった。伯爵家とはいえど、ここは王国の南の方の小さな領地なのだ。当然いる人材にも限界があった。
特に今回は一回失敗すれば冒険者ギルドを敵に回す可能性がある。絶対に失敗はできないのだ。それこそ、Cランク冒険者が相手でも余裕で勝てるだけの刺客が必要だ。
(しかし...そんなものがいるはずが...)
頭を悩ませるライゼンバッハ伯爵。その時、彼の頭にひらめいたものがあった。
(...そうだ...”アレ”を使うときが来たのではないか?)
”アレ”...最近になって帝国から送られてきた魔物のことだ。戦闘力をあげるために改造を行ったものらしく、その見た目は醜悪で、いくつかの魔物をつぎはぎしたような姿だった。
最初に見たときは思わず悲鳴をあげそうになってしまったほどだ。普段魔物を見ることすら少ない伯爵にとっては刺激が強すぎた。
帝国はその魔物の研究を進めるために、伯爵に援助を依頼してきた。なぜ、帝国本国ではなく、王国内で研究をしようとするのかはよくわからなかったが、帝国に逆らうわけにもいかない。
領内で危険な研究を行われるのは正直嫌だったが、それなりの金額も支払われたので、伯爵は渋々とだがその研究を援助してきたのだ。
その魔物は戦闘力をあげるために改造を施されていると聞いている。であればCランクの冒険者を打ち破ることもできるのではないだろうか。伯爵はそう考えたのだ。
そうと決まれば話は早い。伯爵は早速かくまっている研究施設に訪問すると、研究中の化け物を使いたいと申し出た。
当然いきなり研究成果を貸せと言われた研究者たちはすぐには頷かなかった。本国に連絡をとると言って伯爵をいったん帰そうとした。
だが、伯爵としてもさっさと戦力を借りられなければ、キール少年が試験を終えて町に戻ってしまう。それだけは避けたかった。
伯爵は連絡をとるなら今すぐにしろと研究者たちを急き立てた。研究者はその横柄な態度に辟易としていたが、一応支援をしてもらっている身なので逆らうわけにもいかず、渋々本国へと連絡を取ったのであった...
「やれやれ...とんだ厄介事になったぞ...」
研究員は辟易とした思いで、通信室へと急いでいた。普段通り研究を進めようとしていたところに、ライゼンバッハ伯爵が乗り込んできて、挙句の果てには研究中の魔物を貸せと言ってきたのだ。
当然、ここは研究所であって戦力を出すような機関ではないと説明したのだが、伯爵は一向に聞き入れる様子はなかった。
逆に、”君たちがここで研究できているのは誰のおかげだと思っているのだ?”などと脅してくる始末。
だが、ここで逆らうと、逆上して何をするのかわからない。そこで、研究者は一回時間を置いて落ち着かせるためにも本部と連絡を取ると言って部屋を出てきた。
もちろん、研究中の魔物を貸すなんてことはとんでもないことで、当然拒否されるものだと研究者は思っていた。
通信室に入り、本国へ緊急事態だと告げると、すぐに研究所の所長である老人が応答した。
「ウェムー様。急な連絡で申し訳ございません」
「構わんよ。それで?緊急事態だと聞いたが?」
「はい。それが...」
研究者がライゼンバッハ伯爵の急な依頼について話すと、ウェムーは宙に目を彷徨わせた。考え事をする時の彼の癖だ。
「ふむう...そんなことになっておったか」
「いかがいたしましょうか?断ることも可能ですが...」
「研究は続けられなくなるじゃろうな」
ここで断ってしまえば、伯爵の心証は大きく下がることになるだろう。当然支援も受けられなくなる可能性が高い。
「標的は?」
「ええ...聞いたところによるとDランク冒険者が5名、Cランク冒険者が1名とのことです」
「ふうむ...」
ウェムーは再度宙に目を彷徨わせる。そして、いくらか時が経ったその時、結論が出たかのように顔を上げるとぽつりとつぶやいた。
「....まあ、いいじゃろう。貸してやればよい」
「よ、よいのですか?」
「うむ。ちょうどその魔物の試験運転をしてみたいと思っていたところじゃからの」
何事も研究をするだけではなく実際に使ってみてどうだったかを確認して、それをフィードバックする。それをしなければ実際に使えるようなものは研究できない...というのがウェムーの考え方なのだ。
今回の件はそれにちょうどよいとも言える。ウェムーたちは魔物の実戦データを取得出来て、ライゼンバッハ伯爵は邪魔者を葬ることができる。まさに一石二鳥だ。
「ですが...上の方がうるさいのでは?」
ウェムーは帝国の研究所長でかなり上の位だ。だが、それよりも上がいないわけではない。
「宰相殿か...まあ、黙っておけばええ。わざわざ話す必要もあるまい」
「は、はぁ...大丈夫でしょうか?」
「どうせ相手は皆殺しにするんじゃろ?ならば、問題ないじゃろう」
「まあ、確かに...」
相手を皆殺しにするのならば、情報の漏洩も気にする必要はない。そう、皆殺しにできるのであれば...。
その時はウェムーもその研究者も特にそのことについて不安には思っていなかった。今回改造した魔物はCランク相当まで戦闘力が上がっていた。
さらに、彼らはその魔物にいくつかの”特殊技能”をつけることに成功していた。それを考慮すれば例えCランク冒険者が相手だろうが、十分に相手取ることはできると判断したのだ。
「ほれ、伯爵も急いでるんじゃろ?早いところ貸してやっておとなしくさせた方がええじゃろ」
「は、はい!では、さっそく準備の方を...」
「データの収集装置はきちんとつけておくんじゃぞ。それが我々の目的じゃからな」
「了解です!では、失礼します!」
こうしてライゼンバッハ伯爵は魔物を借りることに成功し、キール少年に襲撃を仕掛けたのであった。...結果はもう知っての通り、失敗に終わってしまったのだが。
失敗したという報告を聞いてライゼンバッハ伯爵は更に頭を抱える羽目になってしまったのであった。
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