第69話 諸刃の剣

 しばらく森狼とのにらみ合いをしていたワロウだったが、このままではらちがあかない。仕方なく、危険を承知で剣を取りに行くことにした。


 徐々に剣に近づきながら、その目はしっかりと森狼の方へ固定されていた。飛びかかってきたらすぐに対応するためだ。剣に近づいてゆく最中、森狼はこちらを睨みつけたまま一歩も動かなかった。ワロウが近づいてきたところを強襲するつもりなのだろう。


 そして、剣までもう5歩といったところで、予想通り森狼がその大きく溜めるようにして姿勢を低くすると、次の瞬間かなりの勢いでワロウにとびかかってきた。その動きは非常に素早いものだったが、それを予想していたワロウは盾を掲げ姿勢をなるべく低くした。


 先ほどと同じように森狼の突進はワロウの盾によって防がれた。さらに、低く構えていたおかげで今度は姿勢を崩すこともなかった。相手の攻撃を防ぎ切ったことに一瞬安堵しかけたワロウだったが、次の瞬間驚愕した。


(コイツ...! 盾を引きはがそうとしてやがる...!)


 突進を防がれた森狼は、盾が邪魔だと判断したらしい。ワロウの盾に噛みつくと強引に引きはがそうとしてきたのだ。ワロウも必死で抵抗するが、相手はDランクの魔物である。力では少々分が悪いと言わざるを得なかった。さらに...


メキメキメキ....


(マズい...! 持ち手の部分が...)


 ワロウの使っている盾は木製の物で、そこまでの強度はない。しかもその盾は10年以上使っている骨董品で、新品に比べれば大分強度が落ちていた。その古びた盾は、ワロウと森狼の引っ張り合いによって悲鳴を上げ始めていた。


(...チクショウ! これも手放すしかないのか...!)


 このまま持っていても引っ張り合いが続いて盾が壊れるだけである。ならば体力を温存するためにも手放してしまった方が良いだろう。そう判断したワロウは今まで引っ張っていた盾をいきなり手放した。


 森狼は全力でそれを引っ張っていたため、いきなり手ごたえが無くなったことに対応できず、そのままの勢いでひっくり返ってしまった。


(今のうちだ...!)


 ワロウは森狼がひっくり返っている間を見逃さず、すぐに剣のところへと向かった。そして何とか剣を拾って、森狼の方へ対峙しようと振り向いた瞬間、体勢を立て直した森狼が大きく口を開けてのど元めがけて噛みついてきた。


 しかし、盾を手放してしまったワロウには防ぐ手段がない。咄嗟に左手を盾にするように構えたが、そのまま左腕に噛みつかれてしまった。


「ッ....!!」


 左腕に食い込んだ森狼の牙がワロウに激痛をもたらす。何とか口を食いしばって悲鳴をこらえると、自由な右腕で森狼に向けて剣を振り下ろした。だが、それを察知した森狼は一枚上手で、剣が当たる瞬間に噛みつくのをやめ、剣をひらりとかわした。


(すばしっこい奴め...クソ、左腕はもう使い物にならねえな)


 噛みつかれていた左腕は出血が激しく、動かそうとしてもうまく動く様子がない。どうやらかなりの重症のようだ。ジョーとダンからもらったポーションは二つ。一つは先ほど使ってしまったがもう一つ残っている。ここが使い時だろうか。


(いや...まだだ。ポーションは最後に使う必要がある...)


 今、ここでポーションを使ってしまうと、後でケガを負った時に治す手段がなくなってしまう。擦り傷程度の軽傷ならばよいが、重症だった場合、最悪町に戻ることができなくなってしまう可能性がある。まだここでポーションを使うわけにはいかないのだ。


(どうすればいい...左腕は使えないし、盾ももうない。さっきよりも状況は大分悪くなっちまった)

(剣はあるが...片手だけじゃ早く振れん。素早い森狼には当てられないだろう)


 状況は絶望的だ。ただでさえ一対一では勝てない相手なのに、さらに左腕は使えないし盾もない。ここからどうやって森狼に勝てばよいのだろうか。その筋道が全く見えなかった。


 諦めに似た感情が生まれ始めたその時、ワロウは一つのことを思い出した。


(...待てよ...! 剣だけじゃないぞ...オレが持っている武器は...!)

(だが、どうやって使う? 相手に接近しなきゃ使えんぞ...)


 ワロウは必死に考えた。どうすればこの状況からひっくり返せるのかを。


(結局、まともにやったんじゃ勝ち目はない。相手を油断させる必要がある)

(かなり分が悪いが...とにかくやってみるしかない...か)


 ワロウは覚悟を決めた。そして、こちらの様子をうかがっている森狼に向かっていきなり持っていた剣を投げつけた。森狼は最初、剣を投げつけられたことに驚いた様子だったが片手だけで投げつけた剣は勢いがなく悠々と避けられてしまった。


“馬鹿な奴め”


 ...もちろん、森狼が人の言葉を話すわけがない。しかし、その表情がそう語っていた。わざわざ先ほど苦労して拾った武器を自分から放棄したのも同然なのだから、そう思うのも仕方がないだろう。


 だが、ワロウは剣を投げつけただけではなかった。森狼の視線が投げつけられた剣に集中した瞬間に腰の道具入れから採取用ナイフをこっそりと取り出したのだ。


 それを森狼から見えないように持つと、そのまま走り寄って殴り掛かった。自ら近づいてきたワロウに対して、森狼はその殴りかかってきた右手に噛みつこうと大きく口を開けた。


(かかったな!!)


 それこそがワロウの狙いだった。ワロウは臆することなくそのまま右手を大きく開いた森狼の口の中に突っ込んだのだ。当然、そのまま噛みつかれてしまい、牙がワロウの腕に刺さる。


 激痛が彼を襲う。だが、ワロウは顔を苦痛に歪めながらも、右手に隠し持っていた採取用ナイフを手放さなかった。そして、森狼の口の中でナイフを振り回して口の中を切り裂いたのだ。


グググウッ!?


 効果は抜群だった。森狼は悲鳴を上げようとするが、ワロウの右手が口の中にあるためにこもったうなり声になってしまった。そして、ワロウの右腕を必死に吐き出そうともがくが、ワロウはそれを許さず、逆に更に奥へと右腕を押し込む。


 それに気づいた森狼はあわてて再度ワロウの腕に噛みつくことでそれを防ごうとする。噛みついたまま腕を動かせまいとする森狼とナイフを奥へ差し込みたいワロウとの間で膠着状態が始まった。


 しばらくワロウと森狼はもみ合っていたが、先に根負けしたのは森狼の方だった。口の中に散々ナイフを突き立てられ、あごの力が一瞬緩んでしまったのだ。ワロウはその瞬間を見逃さなかった。


 自分の腕の拘束が緩んだと思ったがいなや、最後の力を振り絞り右腕のナイフを森狼ののどの奥深くまで差し込んだのだ。そして、奥深くまで差し込まれたナイフは森狼ののどを突き破った。


 森狼は声なき悲鳴を上げ暴れまくったが、逆にそのせいでナイフがのどのあちこちへと突き刺さる。すると、森狼の抵抗が徐々に弱まってゆき、さっきまでの暴れっぷりが嘘のように静かになる。


 もう十分だろう。そう判断したワロウは腕を引き抜いた。もう噛みつく力もほとんど残っていなかった森狼からは簡単に腕が抜けた。


 腕を引き抜かれた後の森狼は口から大量の血を吐き出しながら、ワロウを睨みつけていたが、そこには最初対峙したときほどの迫力はなかった。


 お互いに満身創痍で自分から仕掛ける余裕はない。しばらくそのままにらみ合っていたが、やがて森狼の体がぐらりと揺れる。


 そしてドウッと地面に倒れこむと、そのまま動かなくなった。ワロウが投げつけた後地面に落ちていたままで放置されていた剣を拾い、剣でつついてみて確認するが、森狼はもうそれ以上動くことはなかった。


 倒しきった。あの森狼を。ディントン付近で最も強い魔物を。ワロウは森狼との戦いに勝利したのだ。だが、その代償は大きかった。


 左腕も右腕も森狼の噛みつきを喰らっておりかなりの重症だ。特に右腕は噛みつかれながらも強引に押し込んだせいで、かなり傷跡が深い。勝ったはいいが、このままではワロウの方も道ずれになってしまう。


 ワロウは、うまく動かない左腕を何とか動かして背嚢から最後のポーションを取り出すと、右腕に振りかけた。


 すると先ほどと同様に、みるみるうちに血が止まって傷が治ってゆく。数十秒ほどでほぼ、元通りになってしまった。残りのポーションも左腕に振りかけると同じようにすぐに傷が治ってゆく。


(...アイツらのおかげだな。これがなければ絶対に助からなかった)


 門番の支給品である高価なポーションを彼らが譲ってくれなければ、ワロウは今頃森狼の餌になっていただろう。彼らのおかげでワロウは生き残ることができたのだ。そのことを深く感謝しつつ、ワロウは頭の片隅に引っ掛かるものを感じていた。


(なにかを忘れているような...)

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