第67話 ワロウの油断

 森の中に入ったワロウは今朝入ったときの森との違いを感じていた。


(朝はあれだけ嫌な静けさに覆われてたが...)

(今はいつもと変わらないような気がする...気のせいか?)


 朝の森と違い、今の森は静かは静かだが、時折動物の動きらしき音が聞こえる。嫌な静けさは収まったようだ。もしかしたら昼間に聞いた足音の主は今はいないのかもしれない。そのことに少し安堵しながらワロウは思考を巡らせた。


(...あの足音はあの赤い大蜘蛛だったのかもしれんな)

(それだったら今森の状態が戻っていることも頷ける...)


 変異種の大蜘蛛はまさに今日の昼過ぎ辺りにシェリーの魔法によって討伐されているはずだ。大蜘蛛がいなくなったためにそれまでどこかへ逃げていた動物たちが戻ってきたのだろう。ただ、問題は戻ってくるのは動物だけではないことである。


(森狼もいる可能性があるな...)

(今のところ奴らの気配はしないが...注意することに越したことはないだろう)


 今まで大蜘蛛から逃げ回っていた森狼も来ている可能性は十分にあるのだ。森狼はこのあたりではかなりの強敵のDランクの魔物で、一対一でもワロウでは勝てるか怪しい相手だ。


 しかも森狼は普段群れで行動しており、3~4匹で固まっていることが多い。当然そんな群れとこんな夜の森の中で遭遇したらワロウの勝ち目は無いに等しい。


 前回は森の中を逃げ回って最終的には逃げ切ることに成功したが、それは崖から飛び降りても奇跡的に無傷で済んだためである。もう一度あれと同じことをやれと言われてもそれは無理であろう。だから今、森狼の群れと会うわけにはいかないのである。


 森の中を進んでいると、突然獣の物音がした。森狼かと思い素早くそちらへ視線を向けるワロウだったが、幸いなことにそれは森狼の物音ではなかった。


 少し森の開けているところに何か大きなものが横たわっているのが月明かりに照らされてぼんやりと見える。そこに獣たちが集まっているようだ。


(なんだ...? あそこに何かあるのか? )


 気になるワロウではあったが、わざわざ獣が集まっている危険なところへ確認しに行く暇はない。そのまま無視して進もうとしたが、一瞬見覚えのあるものが見えたような気がして、立ち止まってもう一度横たわっているものに目を凝らした。


(あれは...赤い...棒? ...いや...あれは足だ..! 見覚えがあるぞ...! あの赤い大蜘蛛の一部だ! )

(ここでハルト達と大蜘蛛の戦闘があったわけか...死体に獣が群がってるんだな)


 ワロウが目にしたものは変異種の大蜘蛛の死体だったのだ。シェリーに魔法で一撃食らいながら反撃したのはいいが、そのまま死んでしまったらしい。その死体に獣が群がってワロウがその気配に気づいたということのようだ。


(さっさと離れた方がいいな...)


 死体に群がる獣を狙って森狼が出てくる可能性もある。この場所からは一刻も早く退散したほうがいいだろう。ワロウは少し進む方向を変えて、大きくその場所を迂回しながら先へと進むのであった。


 赤い大蜘蛛の死体を発見してから、森狼の気配がしないか警戒しつつ森の中を進んでいたワロウだが、一向に見覚えのある景色が見えてこない。距離的には結構森の奥まで来ているはずなのだが...ワロウの心の中には不安が宿り始めていた。


(クソ...結構奥まで来てるはずなんだが...まだつかねえか...)

(オレの感覚が狂ってる可能性もあるが...)

 

 辺りは暗闇に閉ざされていて、視界がいいとは言えない。昼間に歩いているときとは感覚が大分異なる。そのせいかもしれなかった。だが、もう一つ考えられるのは...


(もしかして...場所を間違えてるのか...?)


 このあたりは一回森狼に遭遇した後一回も来ていなかった。つまり一か月間近く見てなかったということである。当然周りの風景も前見たときとは変わってくるので、そのせいで場所を間違えている可能性もあった。


(...いや、谷の方角だから...ここらへんで合っているはずだ)

(どのあたりで見つけたんだったか...)


 必死に辺りを見渡すワロウだったが、辺りは暗闇に閉ざされていてほんの十数歩先ですらよく見えない。その状況で目的の花を見つけようとするのは厳しいものがあった。いくら大体の場所を覚えているからといっても無謀だったのかもしれない。


(やっぱり無謀だったのか...?)

(無理して飛び出てきて...危険な目にあっただけだってのか)


 ここまで来て結局キール花を見つけられないで終わってしまうのだろうか。このままキール花を探し続けながら、シェリーが死んでしまうのを森の中で待つだけになってしまうのだろうか。心の奥に潜んでいた絶望が表に顔を出しワロウの心を襲う。


ザァァァァ.....


 その時、森の中に一陣の風が吹き込んできた。それは森を厚い枝葉の層で覆い、暗闇をもたらしていた木々を揺らし、できた隙間から月の光が差し込んできた。


 今まで十数歩先までしか見えなかった森の中も一瞬だけだが、明るくなり少し遠くまで見えた。そのとき、ワロウは見えるようになった視界の中に見覚えのある印を見つけた。


(あそこは...そうだ! 少し開けていて...)

(もう一回同じ場所で採取するかもしれないと思って印を作っておいたんだ!)

(あそこに間違いない...! あそこにキール花が...!)


 いてもたってもいられず、ワロウはその場所へと向かって走り出した。あそこに探し求めていたキール花があるかもしれない。それさえあればシェリーは助かるのだ。ワロウは思わずそのことに夢中になっていて、周りへの警戒を怠ってしまった。


 だから気づかなかった。先ほどの月の明かりによって照らし出されたのは、キール花の場所だけではないことを。ワロウ自身の姿も照らされていて、遠くからでも見えるようになっていたことを。


 ワロウが一目散にその場に駆けつけたときはすでに風は止み、辺りは元の暗闇へと戻っていた。だが、ここまで場所がわかればもうそんなことは関係ない。


(あった! あの木の根元に...!)


 ワロウが見る先には一つの木があった。その根元を見ると...


(....! 一つだけ、ある...! まだ、咲いてるぞ...!)


 一カ月前に見たときはもう少し多くの花が咲いていたはずだが、それらはもう枯れてしまったらしい。ワロウが以前採取したところからほんの少し離れた場所に一本だけポツンと咲いていた。


 一本だけだが、キール花の薬効は強く、量的には問題ないはずだ。ワロウは震える手で慎重に採取の準備を整える。ここで、もし採取に失敗したりすればもう取り返しがつかない。早く採取したい気持ちを抑えつつ、丁寧に準備をする。


(ゆっくりだ...ここで焦るんじゃねえ...)


 準備が整ったワロウは慎重に花を採取した。丁寧に準備したのもあって、特に問題なく採取することができた。ワロウの手には一輪のキール花が握られている。


 だが、採取しただけで終わりではない。これから町まで戻らなくてはならない。早く帰ろう。そう思ってワロウが立ち上がったときだった。


ガサガサガサ...


 何かが草をかき分けこちらへ向かって歩いてくる音が聞こえてくる。その音に気づいたワロウははっとして振り向く。キール花に夢中になっていて周囲の警戒がおろそかになっていたのだ。慎重なワロウにしては珍しい失態だった。


...グルルルル


 振り向いたその先には、2体の森狼がこちらを睨みつけ、うなり声をあげながら立っていたのであった。

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