第57話 最悪の事態
ドンドン! ドンドン!
荒々しいノックの音で目が覚める。寝ぼけながら窓の外を見ると、辺りはすでに暗くなり始めるころで、夕暮れの終わりに差し掛かるくらいの時間帯であった。
どうやらあれから2、3時間程度は眠っていたようだ。ワロウが寝起きのぼんやりとした頭でそんなことを考えていると、さらに激しくノックをする音が聞こえ始めた。
「わかった、わかった! 今起きたばかりなんだ! 少し待て! 今開けてやる」
(誰だ?こんなにしつこくノックしやがって...イタズラじゃねえだろうな...)
扉をノックしてからその場から逃げ出すというのは昔からある古典的なイタズラである。ただ、今回は扉の前から人の気配が動く様子がない。本当にワロウに用があるようだ。
扉についている小さな穴から外を確認すると、そこには顔見知りの冒険者が立っていた。
普段ギルドではよく話したりもするような仲だが、家にまで来て何の用事だろうか。とりあえずワロウは話を聞くために扉を開けた。
「よお。わざわざ家まで来てどうしたんだ?」
「悪いなワロウ。寝てたところ叩き起こしちまって」
彼は軽く頭を下げながらワロウに謝った。ワロウも手を振って別にいいとジェスチャーで示す。
「別に構わねえよ。で、何があったんだ?」
「ギルドマスターがお前のことを呼んでいる。至急ギルドに向かってほしいって言ってたぜ」
「なんだと?ボルドーがか?一体何の用事だってんだ」
彼の用件はボルドーがワロウを呼んでいるということだった。心当たりがないワロウはオウム返しで何故かと尋ねると、その冒険者はバツが悪そうに頭を掻いた。
「いや...悪い。実は、俺自身よくわかってないんだ。ギルドにいたときにいきなり声をかけられてお前を連れてこいって言われてよ...滅茶苦茶怖い顔してたから、ビビって詳しい話は聞けなかったんだよ」
「お前...いい加減アイツの強面にも慣れろよな。何年ここで冒険者やってるんだよ」
「うるせぇ。お前みたいに話す機会が多いわけじゃないんだ。仕方ねえだろうが」
(緊急の呼び出しか...一体何だってんだ。俺を呼ぶ理由は何だ...?)
最大級に嫌な予感がした。びりびりとワロウの背筋辺りを駆け抜ける悪寒がする。今こうして多少強引にワロウを呼び寄せたということはギルド職員関連の話ではないだろう。そこまで急ぐような話ではないからだ。
(クソ...今朝から嫌な予感がしてたのは、あの謎の森の静けさのことだと思ってたが...)
(どうやら”こっち”が本命らしいぜ...!)
ワロウをわざわざ呼び出すということは、おそらくギルド内で緊急事態が起こったのだろう。そう...ワロウのような”優秀な薬師”が必要な何か...が。
「...これは確かな情報かどうかわからないが...ちらっと聞いた話によると誰かが魔物に噛まれたみたいだったぜ。多分だけどそれ関連の話なんじゃねえか?」
「ふうん...まあ、それならわからんでもないが...とりあえず了解だ。連絡助かった。すぐに向かう」
「おう。確かに伝えたからな。後は頼んだぜ」
彼との話が終わるがいなや、ワロウはすぐに準備を整えてギルドへと出発した。足は若干駆け足になりながらギルドへ急ぎつつも、頭ではずっと今回の呼び出しについて考えていた。
(なんで俺が呼ばれたんだ?普通の魔物に噛まれたんだったらギルドの薬で十分なはずだ)
(それにもし薬が効かなかったとしても、ケリーに真っ先に話が行くと思うんだがな...)
ギルドにある薬は専属薬師のケリーがほとんど作っている。それらは基本的に冒険者の用途に合わせて作られた特注品で、普通の薬よりも高性能である。
それが効かないとなればまずはケリーに話が行っているはずだが...それでもワロウが呼ばれたということはケリーでは解決できないことがあったと考えるのが自然だ。
(...この背筋を駆け抜けるような嫌な予感。当たらなきゃいいんだがな...)
実はワロウには少しだけ心当たりがあった。つい最近、ある魔物に噛まれた冒険者にギルドの薬が効かないということがあった。
そのときはワロウがなんとか薬を作り上げることによって一命はとりとめた。もし、今回もその魔物が関係しているならば、ギルドで対応するのはほぼ不可能に近い。
(着いた...か。頼むぜ...ホントに)
考えている間にワロウはギルドへと到着していた。いつも見ている何の変哲もないギルドの扉だが、今日ばかりはどこか不穏な気配を放っているように感じる。
少しためらったワロウだったが、ここにいるわけにもいかない。覚悟を決めて扉を押し開けると、そこにはいつになく厳しい表情をしたボルドーいた。扉の目の前にいたことから察するにどうやらワロウのことを待ち構えていたようだ。
「おお...いきなり強面で扉の前に立ってるなよ。驚くだろうが」
「強面は生まれつきだ。悪かったな。...今回お前を呼び出した件だが...もう想像はついてるだろう?」
「...さてね。見当もつかないが、どっかの誰かが変異種の大蜘蛛に噛まれたりしなけりゃいいのにとは願ってるところだ」
その言葉を聞いたボルドーは沈痛な面持ちになる。こんな顔をするボルドーは長い付き合いのワロウでも数えるほどしかなかった。
「...残念ながら、その願いは聞き届けられなかったようだ。しかも最悪の形でな」
「最悪の形だと?どういうことだ」
「見た方が早いだろう。...来い。こっちだ」
そういうとボルドーはギルドの奥の方へと向かっていった。どうやら以前ベルンのパーティメンバーのアデルが変異種の大蜘蛛に噛まれたときに使っていた部屋へと向かっているようだ。ボルドーの発した”最悪の形”というのが気にはなったが、見た方が早いと言われてしまったのでこれ以上聞いても無駄だろう。ワロウはその後をおとなしく追った。
部屋の中へと入ると、見覚えのある顔が見えた。いや、見覚えがあるどころかここ最近はずっと一緒に行動していたのだ。忘れるはずもない。何故彼らがここにいるのだろうか。
しかも、彼らはいつも少年2人と少女1人の3人で固まって行動していたはずなのだが、今は少年の二人しか見当たらない。もう一人の少女はどこに行ってしまったのだろうか。
「おい、シェリー! 目を覚ましてくれ!...頼むよ...頼む...」
「なんで、なんで薬が効かないんすか! いつもだったらすぐに効くじゃないっすか! なんで今だけ...なんで...」
二人の悲痛な声が部屋に響き渡る。二人とも顔をぐしゃぐしゃにしながら必死にシェリーに話しかけているようだった。だが、それに対して返答するものはいない。返ってきたのは沈黙のみであった。
「おい....ウソ...だろ?まさか...」
ふらふらとワロウは二人に近づく。近づくと何故シェリーが見当たらなかったのかすぐにわかった。シェリーが床へと横になっていたせいで、見えなかったのだ。彼女がいる場所には布が何重にも敷かれていて、その上に小さな体が横たえられていた。シェリーはピクリとも動かなかったが、顔は火照っているようで、赤みがさしている。熱があるのだろう。呼吸も荒く明らかに普通の状態ではない。
「あ...し、師匠! 来てくれたんすね!!」
「し、師匠...! 師匠! 助けてくれ! シェリーが...シェリーが...!」
ワロウに気づいた二人が縋りつくように助けを求めてくる。しかし、ワロウにはその声がどこか遠くで聞こえているように感じた。この事実がワロウにとってあまりにも衝撃的で頭がうまく回らなかった。なぜなら、ワロウの予想が正しければ...シェリーはもう助からない可能性が高い。
(まさか...そんなことはないはずだ...頼む...杞憂であってくれ...!)
ハルト達に話しかけられても、ワロウが呆然として立ち尽くしているのみであった。その様子を見てこのままでは話が進まないと判断したのかボルドーが助け舟をだす。
「...お前ら、いきなり助けてといっても状況がわからんだろう。まずは説明してやれ」
「せ、説明...説明か。そうだよな。ゴメン師匠、ちょっと気が動転してたんだ...」
「...ああ、悪い。オレもボーっとしてた...で、何があったんだ」
ワロウが先を促すと、ハルトは目に滲んでいた涙を腕で強引に拭うと話し始めた。
「ああ...今日俺たちはいつもみたいに森へ依頼を受けに行ったんだ...」
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