第56話 いつもの日常へ
(...なーんか嫌な予感がするな、今日は...)
宴から数日後、ワロウは採取をするために一人で森の中へと来ていた。そして何の根拠もない嫌な予感に襲われていた。こういう時は大抵ろくなことが起こらないのだ。
結局あの宴が終わった次の日にボルドーが筆記試験について本部に問い合わせたところ、なんだかんだで試験がディントンのギルドに届くまで10日ほどかかってしまうとのことがわかった。
筆記試験ができるまで、当然ワロウはギルド職員にはなれない。ボルドーは「前も言ったがそんなもの受けなくてもお前ぐらい読み書きできれば十分なんだがな」とぼやいてはいたが、ルールはルールである。
まさかギルドマスターともあろうものがルール違反を自らするわけにはいかないだろう。と、いうわけでワロウはおとなしく筆記試験がくるまで待つことになったのだ。待つとはいっても何もしないでいるわけにはいかない。
貯蓄にそこまで余裕のあるわけでもないワロウは早速生活費を稼ぐために森へと潜っているのであった。それはつまり、半分冒険者半分薬師としての生活に戻ったことを意味する。
森の中を進んでいると、辺りは鳥の鳴き声や風が木々の間を通り抜けて枝を揺らす音がするのみで非常に静かだった。
別にいつもと変わり映えもしない森の光景だ。ワロウはこの光景を十年以上見続けてきていた。だが、今のワロウにはこの森の状態がいつもよりもいっそう静かであると感じていた。
(静か...だな。前と変わらないはずなんだが...)
ここ最近の一か月間はあのにぎやかな3人と行動を共にしていた。ワロウは話を横で聞いているだけのことも多かったが、彼らはとてもおしゃべりで会話が途切れることは少なかった。
だが今は一人だ。周りで話している彼らの姿はもうない。騒がしいと思うこともあったが、いなくなったらいなくなったでどこか寂寥感を感じる。
ちなみにハルト達とはこの3日間はほとんど顔を合わせていない。別に不仲になったというわけではなく単純に会う暇がなかったためである。
あの宴の後、次の日にはケリーと一緒に薬を作る予定だったが、宴ではしゃぎすぎたせいか二人とも大幅に寝坊して、薬を作り始めたのはその日の昼過ぎという体たらくだった。
その分を取り返すために3日目は朝から夜遅くまでひたすらに薬部屋にこもって薬を作り続けていた。当然彼らと顔を合わせるような機会があるはずもなかった。
(あいつらは元気にやってるかね...まあ、俺が気にすることでもないか...)
ハルト達の戦闘能力はワロウよりも間違いなく上だ。しかも、前回の依頼でDランクの受験資格まで得ている。Dランクパーティが最高ランクのこの町であれば、もはや町を代表するパーティとなるのもそう遅くはないだろう。
間違いなくワロウよりもずっと優秀だ。ワロウが彼らくらいの歳のときにはほとんどなにもわかっていないと言っても過言ではなかったのだから。そんな優秀な彼らのことを自分が心配するのはちゃんちゃらおかしい。そう思ったのであった。
3人のことを考えつつも、ワロウの手元はすばやく薬草を集めていた。もう十何年も繰り返した作業なので、体が覚えているのだ。考えずとも勝手に体が採取をしてくれる。そんな感じで採取を続けてしばらくすると、辺りには薬草の姿はほとんど見えなくなっていた。
(おっと...この辺は大体採り終わっちまったか...まだ昼過ぎだが...どうするか)
空を見上げると、太陽はちょうど真上を過ぎたあたりで燦燦と輝いている。最近ではかなり寒くなってきたが、こうも太陽に照らされるとじわじわと汗をかいてくる。背中には薬草のたっぷり入った背嚢があるためなおさら暑く感じる。
もう少し奥の方へ行けば、まだ採取は可能だろう。背嚢にも既にそこそこの量の薬草が入ってはいるが詰め込めばまだまだ入りそうだ。が、ワロウはこれ以上奥に行くかどうか迷っていた。
(もっと奥の方に行くか...?)
ワロウは一瞬考えた。だが、すぐに結論は出た。
(いや、やめておこう。疲れもまだ残ってるしな)
多少無理すればもっと薬草を集めることは不可能ではないが、最近は宴があったり、薬を一日中作っていたりで、体力的にも厳しいものがあった。今日はもう戻って、ゆっくり調合でもしよう。そう思ってワロウは引き返そうとした。
ザリ...ザリ...
(なんだ...? 何かが歩いてるのか...?)
ワロウの耳に森の奥の方から風に乗って音が聞こえてきた。どうやら何か奥の方にいるようだ。
(...そういや、さっきから違和感があるんだよな...なんだ? この感覚は)
それは、森に入ったときから感じていたものだった。何か森の様子がおかしい。そう思っていたのだが、入ってみても特に異常はなく森は静かなままだったのでそのまま採取をしていたのだ。
違和感の原因をさぐるワロウ。そして一つのことに思い当たった。
(...! そうか...! 静かすぎるんだ! )
今朝の森はあまりにも静かすぎた。動物の気配がほとんどしなかったのだ。
最初、森がやけに静かに感じるのはハルト達がいなくなったせいだと思っていたが、それは違った。実際に森が静かなのだ。それも不自然なほどに。
(アイツらがいないせいだと思ってはいたが、やはりここまで音がしないのはおかしい...!)
(クソッ...嫌な予感が的中しちまったな...)
ザリ...ザリ...
ワロウの耳にまた何かが歩く音が聞こえてきた。その音は先ほどよりも大きく、そしてはっきりと聞こえるようになっていた。
(さっきより近づいてきてやがる...! さっさと避難しよう...)
もしかしたら、厄介な魔物でも湧いて辺りの動物が逃げているから静かなのかもしれない。そう思ったワロウは、そそくさとその場から逃げ出したのであった。幸いなことにその音はそれ以上追ってくることはなかった。
(やれやれ...ひどい目にあったな)
謎の足音から一目散に逃げてきたワロウは自分の家まで戻ってきていた。運悪く出くわしてしまったものの、薬草自体はそれなりの量を取って来ている。
ワロウは早速調合の準備を始めた。ワロウの部屋は元々はごく普通の部屋だったはずなのだが、十数年も住んでいるうちにあちこちが調合のために魔改造されている。
特に台所の部分は、調理するためにあるかまどの部分は調合するための器材でいっぱいいっぱいで本来の役目である料理は全くできない状態である。
普通だったらこんな改造をしていたら大家から文句を言われそうなところだが、ここの大家がおおらかな性格であることと、また、たまに作った薬を差し入れすることで今まで特に問題なくやってきている。
部屋の中に乱雑に置いてあった器材から今回の調合に必要なものをいくつか取り出して調整をする。その日の気温や湿度によって細かい調整が必要なものもあるので、調整は慎重に行う必要がある。
(よし、こんなもんか...)
早速ワロウはいつもの採取用ナイフを手に取り、今日採ってきたばかりの薬草を刻み始めた。が、その切れ味は鈍く、なかなか思うように薬草を刻めない。
(...大分切れ味が落ちてきてるな)
(最近酷使してるし...全然研いでもいないしな)
正直、この前ケリーの薬作成に付き合った時から感じてはいたが、ナイフの切れ味が限界に達しているようだ。いつもならすっと切れるはずの薬草も、断面がややつぶれたような状態になっており、切れ味がよくないのは一目瞭然である。
(砥石...どこにしまったかな)
(最近使ってねえからな...下の方に埋もれちまってるのか)
ワロウはざっと部屋の中を見渡してみるが、砥石らしきものは見当たらなかった。結構前に使った記憶はあるので、捨ててなければどこかにあるはずだが、調合用の器材の山に埋もれてしまっているのかもしれない。
(このままこのナイフ使うのも嫌だしな...仕方ねぇ、探してみるか)
ごそごそと辺りを漁るが、なかなかお目当ての品物は見つからない。どうやら器材達の間に隠れてしまっているようだ。仕方なしに器材をどかし始めるが、中にはかなりの重量級の器材もある。
ひぃひぃ言いながらなんとか器材をどかしていくと、ようやく器材の奥の方に砥石が挟まっているのが見えた。引っ張ってみると、案外簡単にするりと抜けて取ることができた。
ようやく砥石を手に入れたワロウだったが、重い器材たちをひっくり返しながら探したせいでかなり体力を消耗してしまっていた。もはや肩で息をしているような状態で、部屋の中なのにも関わらず全力疾走した後のような疲労感が体を襲う。
(ゼェ...ゼェ...クソ...なんで砥石探しでこんなに疲れなきゃならねえんだ...)
やっとのことで砥石を発掘したワロウ。だが、そのとき一つ思い出したことがあった。
(...そういや、予備のナイフを買ってあった気がするぞ...)
砥石を探しているときはそれに夢中で気が付かなかったが、いざというときのため予備のナイフを買っていたのであった。
とりあえず今日のところはそれを使ってもよかったのだ。ここまで苦労した挙句ワロウの目の前にあるのは、切れ味の悪い研ぐ前のナイフと砥石だけである。
「....休憩だ、休憩! やってられっか!」
もう疲れてやる気が無くなってしまった。予備のナイフはあるが、せっかく砥石を引っ張り出してきたのだから、ナイフは研いでおきたい。だが、それをやろうという体力はすでに残っていなかった。
まあ、今回の調合は個人的なものなので、ケリーを手伝ったときのように期限があるわけでもない。自分のペースでやろう。そう思ったワロウはベッドに寝転んだのであった。
ベッドに寝転ぶと、それまでの疲労がどっと押し寄せてきた。朝森に採取に行ってからの重労働は思っていたよりもワロウの体力を消耗していたようだ。
あっという間にまぶたが重くなり始める。今日は特に予定もない。このまま眠ったっていいだろう。そう思ったワロウはそのまま睡魔に逆らうことなくゆっくりと目を閉じたのであった。
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