第55話 冒険者への未練

「...飲んでるか?ワロウ」


 話しかけてきたのは先ほどから声が聞こえなかったボルドーだった。一人で飲んでいたのだろうか。彼の周りにある酒瓶の量から推察するにすでに結構な量の酒を飲んでいるはずだが、その顔色には一切の変化がない。


 ボルドーはそのいかつい見た目の通り、酒に関しては無類の強さを発揮する。本当か嘘かはわからないが、あの酒に強いことで有名なドワーフと飲み比べをして勝ってしまったなんて噂まであるくらいだ。


「まあ程ほどにな。お前みたいに馬鹿みたいに酒に強いわけじゃねえからな。そんなにガバガバ飲めねえよ」

「ふん...そうか?お前も結構強い方だと思うが」

「そうでもねえさ。最近は弱くなった」


 ボルドーが黙って杯を差し出すと、ワロウもそれに自分の杯を軽くぶつける。そのまましばらくはお互いに静かに杯を傾けあった。その場には沈黙が流れたが、決して嫌な沈黙ではなかった。


 ゆったりと時間が過ぎてゆく。数年前まではこうやって二人で静かに酒を飲み交わすこともよくあった。最近はボルドーの仕事が忙しくなってきていてこういう機会もほとんどなかったが、改めて静かに飲むのも悪くないと思った。


 ワロウとボルドーが二人で飲んでいる中、若者たちは一か所に集まって何やらはしゃいでいる。きっかけは不明だが急に腕相撲大会を始めることになったらしい。中央ではケリーがノリノリで司会をやっている。意外とこういうことが好きなのかもしれない。


「...まさか、一緒に働くことになるとは思っていなかった」


 ボルドーがぽつりとつぶやいた。それはワロウに向けて話したつもりではなかったのかもしれない。その声は辺りの喧騒で消えてしまいそうなほど小さなつぶやきだった。


「この町を出ていくと思ったか?」

「...ああ。ゴゴットあたりに聞いたか」

「ご明察だ」


 腕相撲大会はチーム戦になったらしい。片方はハルト達の駆け出し3人チームで、もう片方はジェドとアデルとサーシャだ。


 ベルンは参加せずに見守っているつもりのようだ。こういうときも自然と抑え役に向かうのは、彼の性格が表れていると言えるかもしれない。


「正直...今からでもお前が外へ行くと言い出してもおかしくはないと思っている」

「おいおい、そんなに放浪癖があるように見えるか?」

「見えるさ。昔、お前と初めて会ったときからお前は少しも変わっていない。冒険に憧れる駆け出し冒険者そのものだ」


(変わってない...か。自分では結構変わったとは思っていたんだがな)


 歳をとるにつれ、経験と知識は増えていった。冒険の怖さも知ったし、歳で体が動かなくなっていくのも感じた。だから、冒険者以外の生き方もできるような技術を身に着けた。


 徐々に冒険者から離れて行っていると自分では思っていた。が、他人から見たワロウはそうではなかったらしい。


「俺はお前くらいの年の時はとっくに引退していた。歳をとっていくにつれて危険なことが嫌いになっていったし、冒険者を辞めるときには何の未練もなかった。...だが、お前は違う」


 それまでは自分の持っている杯を見つめながら話していたボルドーが、こちらを向き、そして何かを確認するようにワロウを目を見た。そして何かに納得したように頷いた。


「やっぱりな。お前はまだ、冒険者でいたいと思っている...そうだろ?」

「......さてね。もう、自分でもよくわからねえのさ」


 確かにボルドーが言うように自分の心の中では冒険がしたいという強い思いが渦巻いている。そこにはかつてともに戦った仲間たちの活躍、ワロウが自ら抜けてしまったそのパーティの影響があるのだろう。


 彼らは冒険をして、強敵を倒して英雄にまでなった。それがうらやましいのかもしれない。自分もそうなりたいという意識があるのかもしれない。


 しかし、ワロウの中の理性的な部分が疑問を投げかけてくる。今までずっと十何年もこの町にい続けたのは何故だ?冒険しようと思えばする機会なんかいくらでもあった。


 むしろ若いころの方が今よりは動けていたし、間違いなく冒険するタイミングとしてはそちらの方がよかったはずだ。それなのになぜこの年になるまでずっとこの町から出なかったのだろうか?


(理由は単純明快だ。弱かった...ただそれだけだ)


 弱かった。言葉で言えばたった5文字の言葉だ。だが、そのたった5文字の言葉にワロウは人生を翻弄されていた。


 それが原因でかつてのパーティから抜け出した。追い出されたわけではない。自分から耐えきれなくなって逃げ出したのだ。それが原因でワロウには弱いということがトラウマになった。


 弱いと言うだけで自分の居場所がなくなってゆく、そんな感覚にも襲われた。だからワロウはいままで固定のパーティを組むことはしなかった。パーティに所属しているのに戦闘を任せてもらえない、あの時の惨めな思いをもう一度したくはなかったから。


 もし、自分が強かったら。今は英雄として名を馳せているかつての仲間たちと張り合えるだけの力がもしあったら。違った未来があったのかもしれない。


 ワロウが考えるようにして黙り込むと、ボルドーは空になっていたワロウと自分の杯にエールを注ぎ込んだ。


「まあ、今考えることでもないだろう。今日はお前がギルド職員になったことを祝えばいい」

「....ギルド職員になった...か。そういや、筆記試験があるとか言ってなかったか?受けた記憶がねえんだが」


 ワロウが思い出したかのように筆記試験のことについて言及すると、ボルドーにしては珍しくしまったという顔つきになった。


「...筆記試験か。マズいな...完全に忘れていた」

「おいおい、大丈夫なのかよ?」

「前も言ったが、お前くらい読み書きができれば受けなくても別にいいと思うんだがな。筆記試験か...むむむ...本部から試験を取り寄せねばならんのか...どうしたものか...」

「...なんだか面倒そうな話になってきたな」

「...まあ、いい。今日はそのことは忘れることにしよう。未来の自分が何とかしてくれるだろう」

「多分、未来のお前は今のお前に殺意を抱いてると思うぜ」


 ワロウたちが話している間に腕相撲大会は大将同士の勝負までいったらしい。駆け出しチームの大将はハルト、ベテランチームの大将はジェドのようだ。


 体格差からいって圧倒的にジェドの方が優勢に思えるが、当の本人はかなり酔っぱらっているようで足元すらおぼつかない様子だ。その一方で、ハルトの方は果実水しか飲んでいないので、ぴんぴんしている。こうなると意外といい勝負になるかもしれない。


「それではァッ!!ついに大将戦の開始です!!これでこの勝負の勝敗が決定いたします!!」


 ケリーが声を張り上げて、勝負を盛り上げる。その内容によるとどうやらさっきまでの勝負は引き分けだったようだ。最後の大将戦ですべてが決まるのだろう。


「それでは、勝負開始...」

「おう。ちょっと待ってくれ」


 そこでストップをかけたのはボルドーだ。なにやらニヤニヤしながらよくないことを考えている顔つきになる。非常に嫌な予感がする。


「俺も混ぜてくれないか?こう見えても力には結構自信あるぞ?」


 こう見えてもというが、見た目はムキムキの人相の悪い大男である。どう考えても力に自信がありそうな見た目としか思えない。しかも結構どころか今ここにいる面子の中ではぶっちぎりで一番力があるだろう。むしろこの町で一番力持ちかもしれない。


 そんな凶悪なダークホースの出現にハルトが悲鳴を上げる。


「む、無理に決まってるだろ!!絶対勝てるわけないって!!」


 一方でジェドの方は酔っぱらいすぎて状況がつかめていないようだ。ハルトの声を自分のことを恐れていると勘違いしたらしい。


「お、おお?なんだ?ビビってんのかよ?早く勝負しようぜ」

「ふむ。やる気は十分のようだな。よし、では始めるとしよう」


 ボルドーがハルトがいた場所に座り込むと、流石のジェドも何かがおかしいと気づいたらしい。


「...ん?なんでギルドマスターが俺の前に...え?どういうこと?え?」

「盛り上がってまいりましたぁ!!では、ディントン最強のパーティ! 切り込み隊長ジェドVS元Bランク、ディントン最強の男! ギルドマスターボルドーの熱い一戦が始まります!!」

「え、ちょっと待て、なんで相手がハルトから変わって...」

「では、試合開始です!!」


 その後、哀れなジェドの悲鳴が店内に響きわたったのは言うまでもない。

 冬の夜は長い。まだまだ楽しい宴は始まったばかりであった。

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