第3話 ノーマンの依頼
日が暮れかけた町の中をワロウはギルドへと走っていた。少し金策のめどがあったのだ。走っているとすぐに見慣れたギルドの看板が見える。
ディントンの町のギルドは元町長の家を改築したもので、町の規模の割には立派な建物だった。
ワロウはギルドの扉を勢いよく開けると、ギルドの中は閑散としていた。いつもならばこの時間帯は依頼の報告をする冒険者達で混雑しているのだが、今日は幸運なことにあまり人がいない。ワロウは早足で受付まで行くと受付嬢の前に薬草の袋を突き付けた。
「おい、サーシャ、コイツをさっさと換金してくれ。いくらになる?」
「わわっ、私それの匂い苦手なんですよ! 顔に突き付けないでください!」
サーシャはこの町のギルドの受付嬢で、まだ入って2年目の新人である。
本人曰く仕事には大分慣れてきて一人前も近いとのことだが、ワロウから見るとまだ新人の域を抜け切れていない感が否めない少女だった。
現に今も目の前に薬草を突き付けられて目を白黒させていて、とても査定ができそうな感じではない。それを見かねたのか受付の奥の方にいたギルドマスターのボルドーが声をかけてきた。
「...おい、ワロウ。なにをそんなに慌ててやがるんだ?」
ボルドーはディントンの町のギルドマスターで元Bランクの凄腕である。
もちろん、引退した後もその実力はこの町一番で、ギルド内で騒ぎを起こした冒険者たちはもれなくボルドーに沈められてきた。これだけ聞くと暴力的で怖い人間のようだが、実際の彼は誠実で義理堅く多くの冒険者たちから好かれていて尊敬されていた。
「ボルドーか。ちょっと明日までに金が必要になってな。これ、いくらになる?」
「...『におい草』か。相変わらず処理は丁寧だな」
におい草はその独特なにおいからつけられた俗称で、正式名称は他にある。しかし、誰もがにおい草と呼ぶため、正式名称を知っているものはほとんどいない。ワロウ自身も忘れてしまった。
また、処理の仕方が丁寧で新鮮であるほど匂いがきつくなるため、ワロウの持ってきたにおい草は特に強烈なにおいを放っていた。
「銀貨10枚ってところだな」
「おいおい、嘘だろ?袋一杯だぜ?銀貨20枚はあるだろう」
銀貨10枚は、3日間程度の生活費と同じくらいである。十分といえば十分な金額だが、ワロウが考えていた贈り物には少々手が届かない金額だった。
「今は需要があんまりねえんだ。あきらめな」
薬草採取は採取依頼がない場合でも、勝手に自分で取ってきてギルドに売ることができる。ただし、採取依頼と異なりその報酬はその時の需要と供給によって異なってくる。
ワロウが査定額に納得がいかないと不満を顔に出すが、ボルドーは逆に不思議そうに尋ねてきた。
「...ワロウ、お前いつも調合して持ってくるだろ? 金が必要なら調合して持ってきた方が高く売れるだろうが」
「明日までに必要なんだ。調合してる時間はない」
ワロウは冒険者としては珍しく自分で薬を調合できる。昔は普通の冒険者と一緒で依頼の報酬をメインに生活していた。だが、年を重ねるにつれ討伐依頼を達成できなくなり、他の方法で稼ぐ必要があったため今は主に薬を売って生活をしているのである。
今のワロウは冒険者というよりかは自分で採取しにいく薬師といったほうが適切かもしれない。
「...やけに急いでるな。もしかして、ノーマンへの贈り物か?」
「知ってたのか。奴が結婚すること」
「逆に知り合いで知らなかったのはお前だけだろう。タイミングが悪い時に護衛依頼に行きやがって」
「仕方ないだろ。指名依頼だったんだ。断るわけにもいかねえ」
指名依頼とは冒険者を指定して依頼をすることである。ワロウは戦闘の実力としてはDランクとはいえない。しかし、ディントン付近の森に関しては町で一番詳しかった。地形や魔物の縄張り、近道や飲用できる水のありかなどその知識は他に代えがたい技能である。
なので、彼にはたまに指名依頼として護衛依頼(実質的には道案内)を受けることがあったのである。ギルドもその知識や護衛依頼の達成度を評価して彼をDランクと認定していた。
「クソぉ...どうしたもんかな。いやー...こいつぁまいった。どこかに親切な強面のギルドマスターがいねえかな」
ワロウがちらちらとボルドーの顔色を伺うようなしぐさを見せるとボルドーはあきれたように答えた。
「強面は余計だ。はぁ...やれやれ...まあ、金なら貸してやってもいい」
「ホントか! 大旦那、恩に着るぜ」
「...調子のいい奴だ。だが今開いてる店なんかあるのか?もう日が暮れてるぞ」
ワロウが窓の外を見るともうすでに外は暗くなっていた。大きな町だと暗くなっても開いている店があるらしいが、この町では日が暮れると同時に閉まってしまう店がほとんどだった。当然、贈り物を売っているような店も閉じてしまっているだろう。
(チッ...もう間に合わねえか...どうしたもんかな...)
(ん?あれは...)
その時、ワロウの目に受付にある一つの依頼が目に入った。キール花を採ってきてほしいという内容だ。キール花は希少な薬草で入手が難しく、その分価値は非常に高かった。しかし、ワロウが気になった点はそこではなかった。
「なあ、ボルドー」
「なんだ」
「この依頼、依頼者がノーマンじゃねえか」
「...ああ、ちくしょう。見つけちまったか。目敏いやつめ」
「おい、どういうことだよ」
ワロウが不穏なことを口にするボルドーに対して詰め寄ると、そこまで黙っていた受付嬢のサーシャがその依頼について詳しく説明してくれた。
「ノーマンさんの故郷では結婚の際にキール花を贈るのが習わしだったらしいんです」
「なるほどな。だがまだここにあるってことは...」
「そうなんです! 今日まで誰も受けてくれなかったんですよ! ひどくないですか? みんなノーマンさんにはお世話になってるのに!」
「...まあ、状況は理解したぜ」
「ワロウさん、行ってきてくれたりしませんか...?」
「そうだなぁ....むむむ...」
サーシャはみんな薄情だと怒っている様子だった。世話になったノーマンに恩を返したいのであろう。ワロウに上目遣いで依頼を受けるよう懇願してきた。ワロウもその意に答えて依頼を受けたいとは思ったのだが、即答はできなかった。それには理由がある。
「おい、サーシャあまり無茶言うんじゃねえ。ワロウ、わかるだろ?この依頼を誰も受けない理由が」
「ああ、これじゃ誰も受けないだろうな」
「えっ、どういうことですか?」
サーシャは状況が呑み込めていないようで、不思議そうな表情をしている。その様子を見てボルドーは大きなため息をつくと、サーシャの頭を軽くたたいた。叩かれたサーシャは涙目でボルドーに抗議の視線を向ける。
「いったー!何するんですか!」
「少しは薬草のことも知っとけ。仕事に必要な知識だ。おい、ワロウ。うちの新人に説明してやってくれ」
「なんでオレなんだよ。お前が上司だろ?」
「俺よりお前のほうが詳しい。違うか?」
「...やれやれ、わかったわかった。違わねえよ。いいかキール花はな...」
キール花は、希少な植物で条件がそろったところにしか生息できない植物だ。しかも厄介なことにその条件はいまだにはっきりしていない。
いくつかこうではないかという予想は立てられているのだが、それが本当かどうかは誰も知らないのである。さらに極めつけに厄介なのは夜にしか咲かない花だということである。
採取して特殊な処理をすれば、咲いたままの状態で保存できるため夜にとって昼に使うといったことは可能だが、採取自体は必ず夜に行わなければならない。この厄介な特性がキール花の希少性をさらに押し上げていた。
「つーわけだ。わかったか?」
「そんな希少なものだとは知りませんでした...結婚式で送りあうって言ってたからもっと普通にいっぱいあるものだと勘違いしちゃいました」
「希少だからこそ大事な時に送りあうんじゃねえのか?」
そこで、ボルドーが口をはさむ。
「サーシャ、厄介なのは希少なだけじゃない。キール花は採取の難易度が他の薬草とは段違いだ。さっきもワロウが言った通りな」
「え、えーと...なんて言ってましたっけ?」
「...ちゃんと覚えておけよ?一つ目は採取に特殊な処理が必要だっていうこと、二つ目は夜にしか咲かないってことだ。この特殊な処理は普通の冒険者じゃできん。知識のある人間をつれていく必要がある。しかも、夜にしか咲かないから夜の森の中を護衛しながら採取に向かわなきゃいけなくなる。つまり、キール花を採取するためにはただでさえ昼よりも危険な夜の森の中を護衛して進むなんていう無茶をやらないといかんわけだ」
「...じゃあなおさらワロウさんが適任じゃないですか。薬草にも詳しいし、良く一人で森に潜ってるし」
「馬鹿、昼と夜とじゃ危険度が全然違う。夜の森は森狼も出るんだぞ?一人で潜るなんて正気の沙汰じゃない」
森狼はDランクの魔物で、ディントンの町付近では最も高ランクの魔物の一つである。
3~4匹で群れを作り、その危険度はたとえワロウが5人いたとしてもその群れに勝てるかどうか怪しいレベルだった。
サーシャはその話を聞いてすっかり落ち込んでしまった。ノーマンの依頼は達成できそうにもないことが分かったためだろう。ボルドーももうこの話は終わりだというように、手をひらひらと振った。
ワロウとしてもさすがに当てもなく危険な夜の森をさまようわけにはいかない。残念だがあきらめるしかない...と思ったその時、ワロウの脳裏に一つの光景が思い浮かんできたのであった。
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